082. 思考と感情
精霊は、綺麗なものが好き。美しいものが好き。甘いものが好き。真実が好き。
精霊と交信できないエルヴァーナ大陸の人々ではあるが、作り上げた精霊像はそういったものだ。けれど、あながち間違いでもないのではないかと、友歌は思う。
精霊は、その力の結晶たる精霊石は、あまりにも俗世に…否、俗世の穢れに耐性がなさすぎた。まさに――受け入れることが出来ないかのように。
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レイオスが倒れて数日。いまだに疫病の発症した土地に留まっている友歌たちは、街と炭坑の様子を逐一見に行くことになった。
今日は白の月、二の春…つまり十月十日であるため、まだ、ほんの少しだが余裕があるからだ。流石に三の金、十五日ほどになれば出発せねば時期的に危ないらしいが、今慌ただしくするのも良くない。
冬の精霊、リュートの蒼い欠片の精霊石が黒の精霊石を覆っていっているとは言っても、まだ半分にも満たない位置で攻防を続けている。蒼い精霊石の方が明らかに勝ってはいるが、油断は禁物だとサーヤは言った。
一月余りの間、友歌の欠片の分が欠けていたとは言え、【朱月の顕現《けんげん》】でラディオール王国中で増幅されていただろう精霊の力を押し退け、疫病を流行らせた黒い精霊石。
どれだけの間、闇を蓄えていたのかはわからないが、少なくとも、数百年でやっと手の平サイズになるというのだから、軽く千年単位で数えていく計算になる。ちなみに、一般的な精霊石の大きさは、大人の片手で握り込めるほどだ。
歴史を見ても、ここまで巨大になったものはそうないらしく、また、街の人々が一気に最終段階にまで進んでしまったのも気になる。外出していたような恰好の者もいることから、おそらく疫病にまだかかっていなかった人までもが、だ。
たとえ黒に堕ちたとは言っても、もとは精霊石。じわりと力が滲んでいくはずのそれが、一度に人々を昏睡《こんすい》状態にまで持って行った原因が、まだわからないのだ。
(…溜まっていた力が吹き出した…か。)
サーヤや精霊騎士たちの間で、最も有力視されているのもそれである。小さな、普通の手の平サイズの精霊石ならまだしも、人ほどまで大きな精霊石ならありえないほどではないのでは、という意見だ。
外殻の結晶に押し止められた力が、圧縮され、許容量を超した時に、逃げ場を求めて勢いよく吹き出した闇が街を覆った。全くあり得ない現象というわけでもなく、その原理を利用し、空の精霊石を利用した発破《はっぱ》も売られているらしい。
――なんて脆《もろ》い。
(精霊って、神様よりすごい存在じゃなかったのかな…。)
精霊を宗教として見るならば、存在を感じることができ、力までも目に見える形でわかる精霊の方が圧倒的だろう。いわば、エルヴァーナ大陸の住民皆が信者と言っても過言ではない。
だからこそ友歌は、この事態を招いたのが精霊石だということに落胆も隠せないでいた。確かに、力が結晶化したのが精霊石であるなら、それはすでに精霊の手を離れたものになったと言うことなのかもしれない。
けれど、それにしたって――。
「…レイの、馬鹿。」
もっと、精霊石が強かったら。精霊魔法の威力の話ではない…人の欲や感情、世界に満ちる、醜くてくすんだものを跳ね返すくらいに、輝いてくれていたら。
友歌は自身を捨て身にしてでも欠片を解放し続けることはなかっただろうし、サーヤに魔法をかけさせてしまうことにもならなかった。
レイオスも、友歌のために自分に負担がくるよう画策することもなかったろう。
「…馬鹿レイ。」
枕元でどれだけ恨み言を言おうが、レイオスは身動ぎすらしなかった。いつもなら、少し近付くだけで目を覚ますのだというサーヤに、友歌はレイオスの危機と感じ取る。
――欠片の結晶たちが抑えてくれているとは言え、未だ疫病が蔓延しているのだ。しかも、今のレイオスは生命維持の方に全力のため、外からくるもの…つまり、そういった菌にとても無防備だという。
このまま街に置いておくことが、レイオスの体にとてつもない悪影響を与えていることは言うまでもない。けれど、完全な安全地帯に脱するには時間もかかるため、今から出発しても意味はないという決定が下された。
本音を言うなら、すぐにでも連れ帰った方が良いのは誰もがわかっている。けれど、欠片が覆いたがっている黒い精霊石を放っておくわけにもいかないため、待機という形になったのだ。
――欠片の力を解放出来たら、空気が清涼になる。レイオスが倒れてから、友歌がずっと考えていることだった。
けれど、今の友歌にそれは無理なことであった。欠片の大半が友歌から離れ、結晶化しているため、今友歌の中に残る力は、いつもに比べればほんの僅かなもの…かろうじて、欠片としての形を留められるくらいしかないのだ。
それは欠片が、友歌が一刻も早く疫病を退けたがっている心を汲んで行った全力。けれどそのために、友歌はレイオスの眠る一部屋分ですら、空気を清浄化出来ないでいた。
(…欠片が精霊石を覆ったら…何か、変わるのかな。)
詳しいことはサーヤたちが調べているが、それが効果があることなのかはわからないようだった。確かに今以上の疫病はせき止められているが、それは精霊石の採掘場で結晶化した欠片が、浄化し続けてくれているからだ。
それでも足りないとばかりに、まるで栓でもしようとでも言うかのように、覆おうと頑張っている欠片。――想像で行くなら、封印しようとしてくれているのだろうと、友歌は思った。
黒い精霊石のクリスタルの外殻に、さらに自らで殻を作る。それは確かに、有効な手段のように感じられた。
(…何も、また何千年もかけて浄化しなくてもいい。
【春冬の祈願】まで抑えていられれば、きっと平和に終わる。
みんな元に戻って、…平和、に…。)
――本当に?
奥底から滲んでくる気持ちは、ずっと燻《くすぶ》っていたものだった。こんな場所にまで乗り込んで、へとへとになりながらも旅を続けて、最後は結局、二大精霊がどうにかすると言うのだろうか?
確かに、この数ヶ月は、疫病に震える民たちを励ますという意味では、必要だったかもしれない。手を握り、ありがとうを繰り返す人々に触れて、来て良かったと思ったのも本当だ。
けれど――感情が、理解してくれない。
ここまで必死になって、騎士の一人は途中に置いてきて、最後の最後でレイオスまでも倒れてしまった。確かに、“終わりよければ”なんて諺《ことわざ》があるくらいには、過程より結果の方が大切なのはわかっている。
けれど、それでも。
「精霊の力が吸収した穢《けが》れを、精霊がどうにかするとか…っ。」
ふるふると体を震わせる友歌。不始末の世話を押し付けられ、なんとかならない確立の方が高い中、どうにかしようと奮闘していたら、最後は舌でも出されながら『どうにかなっちゃった!』で終わらされてしまいそうなな状況。
そう…友歌に広がったのは、不燃症気味の、生半可では昇華出来そうもない不快感と、それに連なる不満。――ぎり、と奥歯が鳴った。
(だいたい、どういうこと?
こんなに崇められて讃《たた》えられてる精霊が、人の感情に、環境に負ける?
何それ、人様なめてんの?それとも高尚な精霊には人なんか関係ないって??)
原因が特定できたことに安心し吹っ飛んでいたが、考えてみればなんと理不尽なことだろう。レイオスたちは【春冬の祈願】でどうにか出来るかもしれないことを最初から知っていたが、期待させないようギリギリまで教えられなかった友歌は違う。
レイオスたちにとっては、“冬月の舞姫”であり、精霊である友歌が生きて城に戻れば万々歳なのである。それまで、絶望の淵にいるだろう感染者や周囲に、希望を持ち続けることを諭せればそれでよかった。
もちろん、出来ることなら疫病を退ける気でいただろう。けれどそれ以上に、五分五分で【春冬の祈願】へも期待はかけていた。
――冗談ではない。友歌は、親指の爪を噛み締めた。
(結局、私は体の良い宣伝になっただけじゃんか。
優しい精霊様、舞姫な上に歌える精霊様…なるほど、城の思惑はここか?
私という“精霊”が力を発揮できなくても、二大“精霊”が解決するだろう、って??)
“精霊”という括り。友歌が退けられたなら尚よし、無理であっても、二大精霊が、おそらく十中八九退けられる。
混同された名前は――全てラディオール王国へと返る。
(結局私は、余計にレイを傷付けただけ!??)
ならば、最初から話してくれれば良かったのだ。それならば、本当に励ますだけで終えられたのに。
疫病を退けるのではなく、抑えるという目的で、旅へと送り出してくれれば良かったのに。そうすれば、出来そうもないことに必死になることもなかった。
――出来れば良いと、出来たなら良いと思って、ギリギリまで身を削って、レイをこんなにまですることもなかった。適当なところで、手を抜くことだって出来たのに。
「冗談じゃない…!」
立ち上がった友歌は、足早に部屋を歩き、扉を開け放った。びくりと、扉の横に居た精霊騎士二人が震えた。
「え、あ…精霊様?」
「炭坑に行きます。」
「はい!?」
カツカツと廊下を歩く友歌に顔を見合わせた二人は、慌ててその背を追った。擦れ違った仲間にレイオスの護衛を頼み、深い紺と赤い髪の二人は、静かに後に続く。
黒いポニーテールを揺らし歩く友歌に、かける言葉を見つけられなかった。