077. 炭坑【上】
山の側面に穴が掘られただけの、簡素な造り。洞穴《ほらあな》に近いそれは、いつ崩れてもおかしくないように思われた。
それでも、水の精霊使いの保つ魔法と、金の精霊使いの強化の魔法で、炭坑はちょっとやそっとの力では壊れにくくなっているそうだ。その説明を受けながらも、実際に目の当たりにした友歌は、唾を飲み込んだ。
火の精霊の魔法だろうか、入った途端に灯った明かりが、洞窟内をうっすらと照らした。
*****
「…暗い…。」
ぽつりと呟いた友歌の言葉は簡単に反響し、どこまでも続くエコーは穴の深さを物語る。それに頷いたレイオスは、火の精霊騎士の魔法でさらに照らされた足下に目をやる。
「…劣化はしていない、な…。」
「やはり、採れなくなったことが原因でしょう。」
レイオスの言葉に、応えたのはサーヤだった。サーヤ達精霊使いは、かけられた精霊魔法を感じ取ることができる。
洞窟内で限るならば、等間隔に天井に着けられたランタンや、洞窟の表面をコーティングしているかのようにかけられたもの。レイオスにその力はないが、単純に保存状態の良さにそう予測しただけのこと。
――通常、精霊石とは精霊の力そのものが結晶となったものだ。人の手の加わる精霊魔法とは、相乗効果を生むこともあるし、また互いを損なわせる結果をも生む。
特に、天然の精霊石は力を垂れ流している場合も多い。かけられた精霊魔法を相殺し、効果を弱め、また持続時間も短くしていってしまうのだ。
洞窟内の精霊魔法は、未だ強固なまま残っていた。それはつまり、既にこの山の精霊石は取り尽くされてしまったということである。
けれど――、
「…多少は残さねばならないのだが…これは、どういうことだ?」
精霊石には、自然界に満ちる微量な精霊の力を集める力がある。つまり、精霊石を作る能力があり、もちろん、天然のものであるほどその効力は比べものにならない。
一口に“枯渇”とは言っても、取り尽くしては本当に採れなくなってしまう。少しだけ残し、何十年か後、再び精霊石の鉱山として利用するのだ。
けれど、一月もの間、精霊石のある場所に放置されていたにしては、この鉱山は綺麗すぎた。一握りの精霊石であっても、その時間と、街の人々が出入り禁止されていた期間も含めれば、多少は魔法にも綻《ほころ》びが生じてもおかしくない。
「歴史ある鉱山の街です…そのしきたりを忘れるはずありません。
困るのは、自分たちなのですから。」
精霊石が採れなくなる――それは、確実に収入が減ることを意味するのだ。鉄鉱石などより、精霊石の方が儲かるのは誰でも知っていることであり、まさか目先に捕らわれて取り尽くしたなど考えられない。
何かが起こった。おそらく、それが今回の疫病と関係しているはずである。
「…足下には気をつけろ、モカ。
外との連絡も途切れさせるな。」
「はっ。」
「わかった。」
洞窟に入るのは、レイオスと友歌、そしてサーヤ。騎士は水の精霊騎士が四名、他精霊騎士が一名ずつ、騎士が七名。
炭坑に入るには多すぎるくらいの人数だが、それでも友歌の不安は拭えない。もちろん、ついこの間まで街の人々が入り浸っていたであろうこの場所に、危険なものは存在しないはずである。
それでも、人手があるに越したことはない。特に、こういう場所にかろうじて慣れているだろう者は、サーヤが多少知識があるくらいなのだ。
精霊騎士は貴族出身で、このような場所に来たことは初めてだろう。騎士はほとんどが裕福な家の、道場に通わせて貰えていた者たち――騎士となれる下地の出来ていた者たちである。
皆、山での、しかも洞窟内での動きなどわかるはずもなかった。
「…こちらですね。」
「段々下がっていっているな…滑るかもしれん、気をつけろ。」
サーヤを先頭に、地図を手元に持ち進んでいく。その街独特の記号や癖の多い固有地図は、慣れた者でないとまず迷うからだ。
様々なこの街特有の地図を照らし合わせて、ようやくサーヤが地図の読み方を理解し、今に至る。自分より優れている場合に頼ることができるのは、レイオスの長所だと、話し合う二人の様子を見て友歌は思った。
ガチャガチャと、騎士たちが剣と鎧を擦り合わせて歩く。動きやすい服に着替えた友歌たちに比べ、今までと変わらない姿の騎士たちは、閉鎖された空間で動きづらそうである。
けれど、それを脱いでは、逆に危険度も上がるのだ。精霊騎士たちが鎧に刻む五行の色には精霊魔法がかけてあり、それぞれの魔法の力を増幅させ、騎士たちに彫られた模様にも、体力や素早さの特化に関した魔法がかけられている。
慣れない服を着るよりそのままが良いだろうと、レイオスと騎士たちの判断した結果が、軽装の三人と重装備の十五人というちぐはぐな光景を生み出していた。
「、レイオス王子…声が聞こえづらくなりました。」
「…ふむ、ここらが限度か。」
ふと、水の精霊騎士の一人が呟き、一行が止まった。何事だろうと友歌は首を傾げていると、レイオスが奥と入ってきた道を眺める。
「水の精霊騎士、一人残れ。」
「はっ。」
(…え。)
静かな声に、一人、先程声を上げた精霊騎士が敬礼し、そのまま壁を背に横を向く。それを見たレイオスは、「頼んだ、」と声をかけ、サーヤに先に進むよう促す。
驚いたのは友歌で、ぐい、とレイオスの、かなり質素になった服の裾を引っ張る。
「レ、レイ…。」
思ったほどではないにせよ、こんな狭く暗い炭坑に一人きり。おそらく、そう間もないうちに声も届かなくなるだろう。
もとは人で賑わっていただろう炭坑だとしても、今は一月以上もの間放置されていた場所である。何か、凶暴な動物が棲み着いていないとも限らない。
戸惑うように声をかけると、それだけで伝わったのか、レイオスは少しだけ息を整えた。歩みは止めないまま、サーヤの後ろ姿だけを見つめる。
「流石に、ここまで深くなると外と連絡が取れなくなる…。
不慣れな場所で、それだけはなんとしてもさけたい。
中継役に残したから、彼が途切れかかった精霊魔法を繋いでくれるはずだ。」
「…何を心配されているかはわかりませんが…大丈夫ですよ。
何より、一人でも生き残れるくらいの実力はあります。」
レイオスの言葉を引き継いだのは、地図から目を離そうとしないサーヤである。その言葉に、友歌は思わず周囲の騎士たちの顔を見渡す。
皆、視線が合うと頷き、笑みを浮かべる者までいた。――それは、一人残された騎士を心配の欠片もしていないということ。
友歌は、疫病にかかり、途中の街で残してきた騎士の一人を思い出していた。そう、あの時も、この騎士たちはあっさりと出発した。
その時は、仕事だから心配な気持ちを押し殺しているのだろうかと友歌は思った。けれど、この騎士たちの様子を見るに、本当に心配などしていなかったのだと友歌は気付く。
――信じているのだ。否、信じる間でもなく当然のことなのだろう…それほどに騎士たちは、気にしていなかった。
(…いや、この場合、不安になる私がおかしいのかな…。)
友歌自身が考えた通り、この炭坑は少し前まではフル稼働だったはずだ。炭坑の街と言うのだから、朝も夜も、人々はこの炭坑に入り浸り、発掘作業を続けていたのだろう。
盗み見れば、サーヤの地図には蜘蛛の糸のように、複雑に入り乱れた模様が描かれている。その隅々まで人は堀りに行き、そして行き止まりで作業しているのだ。
そう、不安に思うことなどない。ここはダンジョンですらなく、ただの施設に近い。
――なのに。
(…恐いわけじゃない、欠片もまだあったかい。
じゃあ…なんで、私、こんなに…。)
言葉には出来ない気持ち。焦り、不快感、苦手意識…いろいろな負の感情がごちゃまぜになったような、そんな感情が、友歌の中に渦巻く。
――この、炭坑に入るという普通なら体験しない場所が、関係しているの?
「…もう少しですね。」
二人目の中継役を残し、友歌たちはさらに進む。けれど、友歌は何も言えないでいた。
暗さや狭さのせいだと自分に言い聞かせながら、友歌は足を動かす。欠片はただ、ゆっくりと点滅するだけだった。




