074. 震源地
どろりと濁ったような空気。吸い込むだけで体が重たくなるようなそれは、生温い風と共に街を吹き抜ける。
――そう、街なのだ。人の住んでいそうにない、暗い雰囲気を纏ったそこは、確かに街であったはずなのだ。
何処よりも異彩を放って見える街に、友歌たちはたどり着いていた。
「…ここが、疫病の始まり…?」
呆然と呟いた友歌の声が、不気味なほどに静かな街に響いた。
*****
――欠片を解放していくことで、疫病は退けられていくはずではなかったのか。その街を一目見て、友歌が思ったことだった。
“死んでいる”…おそらく、そんな言葉が似合ってしまう街。人影なんてない、ただ、風景と化してしまった建物がそびえ立つだけの場所。
明らかに、今までの村や街とは違っていた。
「…気味が悪い、です。」
空はまだ明るく、太陽も天を少し過ぎたところで輝いている。それなのに、この翳《かげ》ったような濁りはなんなのだろうか。
人が住んでいるだろう街で、おそらくは言っては行けないだろう言葉が、するりとサーヤから零れた。――皆、同感だった。
およそ、人の住んで良い環境ではないと友歌は、その場の全員は感じた。否、住める環境ではない。
こんな場所に長く滞在すれば、絶対に体のどこかに支障を来《きた》す。容易に想像でき、そして、支障を来したからこそ…疫病が蔓延したからこそ、この空気を纏っているのだと、友歌は唾を飲み込んだ。
「レイ、」
「…………。」
呼べば、迷わずレイオスは手を差し出す。サーヤとの約束で、日に二度までしか使えない欠片の解放…けれど、まずはこの空気をどうにかしなければ、確実に友歌たちも倒れてしまう。
レイオスの手を包めば、もう片方の手でレイオスも友歌の手を握り込んだ。そして友歌は――奥底から、欠片の力を引き出す。
すでに慣れたものとなっているその光は、あっという間に友歌の胸の辺りから滲み、レイオスを巻き込んで大きくなっていく。清浄な空気が二人を中心に沸き起こり、サーヤは思わず顔を庇った。
時間にして数十秒。けれど、全力を維持する友歌には、これが丁度良い時間なのだ。
蒼い光がぼんやりと淡く消えていく中、友歌は閉じていた瞳を開ける。――相変わらず、視界は美しく輝き、先程のイメージが残っている友歌は、顔を盛大に歪めながら瞳を閉じた。
――疫病が最初に流行り始めた街。ここは、近くの鉱山から全体的な収入を得る場所だったらしい。
見渡すまでもなく、少し遠目の所には大きな岩山が見えていた。安全のため、高額だが金の精霊使いも数人雇った、働く者にとっても良心的な街でもあったようである。
その精霊使い達のおかげで情報が早く城に回ったため、友歌としてはその用心に拍手を送りたかった。世の中、情報が全てを決めるのである。
生きるも死ぬも、正確で素早い情報が伝わるからだ。そして、もう少し遅ければ、友歌たちが訪れることなく、感染者たちを待たせるだけだったかもしれない。
治る手だてはないにしても、あれだけ涙を流されて感謝されて、それを無駄だとは友歌は言えなかった。けれど――この街は、一体どういうことなのだろう?
未だに煌めく世界を眺め、友歌は握ったままのレイオスの手に力を込めた。応えるようにレイオスからも握り込まれ、顔を上げれば真剣に街を見つめる瞳。
嫌な予感しかしなかったが、それでも、友歌たちが立ち止まってはいけない。
「…いこ、レイ。
人を探さないと。」
幸いにも、少しだけ空気は柔らかく凪いでいた。それでも、今までのように効果覿面《てきめん》とはいかないようで、ぬるい空気が友歌たちに纏う。
居ても立っても居られず、急かすように言う友歌だったが、レイオスはただ街を睨み付ける。騎士たちやサーヤも、まるで何かを五感で感じ取ろうとでもしているようで、全く動かない。
――何かがおかしかしい。それは友歌もわかる。
けれど、早く動かなければと思ってしまうのは止められなかった。友歌には、レイオスのような勘は備わっていないし、サーヤや精霊騎士たちのように精霊を通して感じるものもない。
騎士たちのように研ぎ澄まされた戦士としての感覚もまた、持っていないのだ。友歌に出来ることと言えば、自らの足で動き回り、自分の目で見て、触れることしか出来ない。
(…欠片も、なんか、変。)
――危険を伝えるものではないと、友歌は思う。ゆっくりと点滅する欠片は、けれど、いつもと違って落ち着きがない。
危険ではなく、何か、言いたいことがあるような…そんな光。けれど、友歌はそれを感じることは出来ても、通じ合うことは出来ないのだ。
けれど、そう、もともとがおかしいのだ。今まで、欠片が解放出来るようになって何十回とそれをしてきた。
最初は、進めば進むほど、感染の規模も、感染の進行具合も酷くなっていった。けれどその内、変わらなくなってきたのだ。
奥に行けば、それほど感染が早かったことになる。それが、“変わらない”と感じるくらいに和らいできていったということで、吉報のはずだった。
なのに――それらがまるで効果がないと言うように、この街だけは暗く、重い。前の村から進んで行けば行くほど、友歌以外…とくにレイオスが厳しい顔色をするようになったが、もしかするとこれを感じ取っていたのかもしれない。
「…十名一組で行動、水の精霊騎士は各三人。
一人欠ける、余った一組はオレ達と共に居ろ。
街の人々を、探すんだ…!」
はっと思考から戻ってきた友歌は、レイオスが皆に告げた言葉に、さらに手の力を強める。――今までは、六名一組の計五組で班が作られた…それが、少人数での機動力や意思伝達の利便さをなくしてでも、なるべく大きな固まりを作った。
それの意味は、考えたくないがやはり――何か、おかしなことが起こっているという意味なのだろうか。友歌が考え込む前に、騎士たちは離散した。
「…モカ、」
「……大丈夫。」
それを見送り、蒼い瞳が友歌を射抜く。まだ輝いて見える世界は、翳る表情のレイオスをとても美しく魅せる。
けれど、レイオスには似合わない表情だと友歌は感じた。反射的にそう答え、友歌は閑散とした街を見つめる。
(…とは言っても…どうすれば、いいのかな。)
今までとは気色《けしき》の違う街。けれど、ここ一月で見慣れてきた、何処にでもある民家の建ち並ぶ街。
それは嫌でも、人が確かに住んでいたのだと感じさせた。
「…オレ達も行こう。」
する、と片手だけ友歌の拘束から逃れると、肩を優しく叩かれる。それに呼吸が浅いのを感じ、大きく疾呼級した。
――生温い空気。けれど、この街の人々は、もっと濃い淀みのような中にいたのだ。
言いようもない焦りが心に沈んでいく。それを感じながらも、友歌はレイオスに手を引かれて歩き出した。
*****
結論を言えば、街の人々は確かに居た。皆、それぞれの家だろう中で、寝具にくるまって眠っていた。
否――最終段階にまで到達していた。生気の抜けた表情、薄開きの瞳と口、反応を返さない体。
中には、酒場で俯せになったままの者や、うたた寝をしたような恰好の者まで居た。そう、一人残らず、街の人々が全員疫病に感染し、例外なく眠りに入っていたのだ。
「…まるで、途中の段階をすっ飛ばしたようだな。」
第一段階は、体の節々への痛み。第二段階で、五感が消え去っていき、最後に意識を刈り取られる。
寝具にいる者はまだしも、疫病になってまで出歩くものだろうか。と言うより、最終的には感覚までもが失われていくのだから、出歩くことなど不可能なはずなのである。
――動いている人影は、終ぞ見なかった。救いはと言えば、見つかった誰もが死んでいないといった所だろうか。
「調べる必要があるな…。
くそ、こういうのは兄上の方が得意なのに。」
意見と悪態に、もしくはそのどちらもに、反論出来る者はいなかった。