072. 望む結果
サーヤが友歌に提案した、体力を余り減らさないようにする精霊魔法。それは、効果覿面《てきめん》だった。
体が以前よりずっと軽く、欠片を解放する時の効率までもが良い気がする。それは、友歌にとってはとても有り難いことであった。
もちろん、サーヤの言いつけも守りながら、友歌は欠片の力を最大限利用していった。
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「…は、」
小さく息を吐き出し、友歌はいつの間にか閉じていた瞳を開ける。――きらきらと輝く世界、何もかもが美しく見えるそれは、蒼い瞳が映し出すものだ。
それに慣れつつある自分に気付きつつも、欠片を友歌の限界めいっぱいまで解放し続ける限り、おそらくなくなることはない。早急に諦めながら、友歌はそっと隣を見上げた。
じっと地面を見つめているレイオスの手は、友歌と握られている。ぼんやりとレイオスにまで伝っている蒼い光は、つい先程まで欠片の力を使っていたことを示していた。
「…レイ、大丈夫?」
「、ああ…問題ない。
少し、考え事をしていただけだ。」
声をかければ、意識の戻ったらしいレイオスが友歌に笑いかける。それに安堵しながらも、友歌は繋がれた手をそっと離した。
――そこかしこから、力の入っていない、けれど明るい歓声が囁かれ始める。暗い建物の内部は、欠片の力によって清々しい雰囲気に満ちていた。
おそらく、外の街もどんよりとした空気は吹き飛び、爽やかな風が感じられるのだろう。そしておそらく、サーヤが精霊魔法をかける以前より、はるかに力強い清涼さが。
(…サーヤは、すごい。)
たった一つの魔法で、友歌は見違えるように元気になった。否、サーヤ曰く体を騙しているだけらしいが、それでも嘘のように疲労感はない。
けれど、サーヤの体力まで削られており、しかもサーヤ自身にその魔法はかけられていないのだ。そのため、最近でじゃ友歌よりサーヤの体調の方が悪くなってきている。
サーヤ自身にもかけることは出来ないのかとも思うが、おそらく二重での発動は無理があるのだろう。ならば、友歌が出来ることと言えば、今の状況を生かし、迅速に疫病を退けることである。
そう、ずっと続けてきた欠片の解放は、今までとは違う輝きを放っていた。それは、友歌の体力の最大まで欠片が奪っていけるから。
放てる欠片の波動が強力であればあるほど、効果があるのは疑いようもない。つまり、今が絶好の好機なのである。
「レイ、お疲れ様…。
私、みんなのお手伝いしてくるね。」
「…ああ、わかった。」
ふ、と笑ったレイオスは、そっと外に向かって歩き出した。それを見送りながら、友歌は感染者たちの病の進行具合を診ている騎士のところへ駆け出す。
――レイオスも、ほんの少し、疲労を滲ませるようになった。顔色は悪くないし、体温にも変化はないが、確実に蓄積されていっている。
それを感じて、友歌はぎゅうと拳を握りしめた。
(…早く、終わらせないと。)
慰安部隊、計三十三名のうち、疫病にかかったのは騎士一名。感染地帯に入ったにしては極少数のそれは、やはり免疫力によるものだと、友歌は思っていた。
騎士たちは、日頃厳しい訓練に耐え抜いている精鋭たち。サーヤ自身、貴族の令嬢として、何よりレイオスや友歌の女中として、武を嗜《たしな》んでいるという。
レイオスは言わずもがな、王族として体を鍛えるくらいはしているだろう。それらは、疫病にも耐えられるくらいには強力に身に付いているらしい。
けれど――決して、絶対ではないのだ。日頃、肉体労働の多いという民たちは、おそらく日本のような先進国に住む人よりも体力や精神面は優れているに違いなく、そしてそれは、この国の貴族にも言えることなのだ。
つまり、おそらくこの世界でも誰より免疫があるだろう平民の者でも、簡単に倒れていく疫病。はっきり言って、剣術などでは騎士たちの方が上だろうが、体力面はそう変わらないのではと思う友歌だった。
この世界に、便利なものは少ない。特に、友歌の常識ではあまりに効率の悪い方法がとられていたり、時間のかかる方法が普及している。
歴史の差から仕方ないことではあるのだろうが、重要なのはそれをカバーしているのは他ならぬ自分自身であるということ。――はっきり言えば、友歌よりも免疫というものを味方につけているだろう人々なのだ。
そんな場所に長いこと居るのは、わかってはいるが誰にとっても危ないということ。もしかしたら、今は元気でも、一気に疫病にかかっていってしまう可能性もあるのだ。
もし、メンバーの中で感染者が急増すれば、帰りでの回収は難しくなっていくる。馬は要るからまだ良いし、人手がない今なら、馬車を借りることも簡単だろう。
けれど、馬車を動かす者が要る。馬車に補強の魔法をかけ続ける者も要る。
おそらく、騎士の半分が機能しなくなるか、もしくは水の精霊魔法が三分の一倒れてしまえば、身動きがとれなくなるだろう。――本当の意味で、戦いはこれからと言っても良かった。
(…欠片、お願い。
【春冬の祈願】まで、どうか…!)
サーヤから魔法をかけるという提案があった日、レイオスが言うには、【春冬の祈願】で疫病は退けられるかもしれないという。今までも、災害などがあった次の年の【春冬の祈願】で、好転していったと言うのだ。
けれど、効果は期待出来るが絶対なわけではなく、完全に良くはならなかった時もあったため、今まで黙っていた、と。下手に希望を与えても、“もしかしたら”があるかもしれないからと、そう言ったレイオスは、苦しそうな顔をしていた。
――すでに、友歌が欠片を解放し始めて時間もたっている。回数なら、友歌が倒れそうになるくらいまでやった。
それでも、治った者はいない。友歌が限界まで身を削って、欠片もそれに応えてくれたというのに、治りきったという報告は未だなく…最近疫病にかかった者にさえ、いないというのだ。
レイオスの言葉は、友歌が挫《くじ》けないようにだろう。いくら“大丈夫”と言い聞かせても、“頑張ろう”と自らを励ましても、いつか疑問を抱いてしまうようになるから。
それを退け、自信を保てるかどうかはともかく、不確定であるとはいえ、友歌の活力にするために。――友歌だけが気を張らなくても良いのだと、伝えるために。
(…完治出来ないかもってことを考えられてるのも悔しいけど。
でも、それをこれとは別だし。
だから、欠片…それまで、少しでも頑張ろう。)
冬の精霊、リュートの欠片。けれど、【春冬の祈願】は、二大精霊の祭りなのだ。
効果は期待出来るだろうし、何より…背中を預ける“春月の舞姫”がいる。けれど、それは確かに友歌の心を軽くした。
――だから、友歌がすることは、それまでに欠片を少しでも解放していくこと。レティにも先日、協力をお願いしたため、おそらくシュランの欠片も疫病を退ける手助けをしてくれるだろう。
無理はせずに、疫病の力を弱めていく。出来れば、治った者も出てきてくれれば、きっと【春冬の祈願】で確実に疫病は消え去る。
「…精霊様、」
「、」
はっと、思考が戻ってくれば、横たわった何十人もの視線が友歌に集まっていた。その瞳には、涙の膜がうっすらと張っている。
すでに対応も慣れたもので、友歌はそっと手を触れていく。誰一人零れた者がいないよう、一人一人と視線を合わせて、治りますようにと言う本音も、やらなくてはいけないという義務感も、全て織り交ぜた表情で、言葉で会話する。
――友歌が今やるべきことは、決して倒れないことだ。無茶はもちろん続けるし、そのための我が儘も言うだろう。
けれどそれ以上に、後に繋がる希望も出来た。友歌は、レイオスやサーヤ、騎士たちへの感謝も込めて、ただ、疫病を退けることが出来ますようにと、それだけを思った。