069. 世界の色
友歌が欠片の力を解放するたび、瞳が蒼く変わる。それも少しすれば元に戻るようだが、鏡に映すと奥でキラキラと光っているかのように煌《きら》めいた。
それはまるで、欠片が友歌の目を通して世界を見ているようで、友歌は落ち着かない気分になる。もちろん錯覚なのだろうが、自分の瞳だと言うのに、別の意思がそこにあるように感じるのだ。
今日も友歌は瞳を蒼く変え、行く先々で力を放つ。――蒼い色素で見る世界は、どことなく輝いて見えた。
*****
「ふぅ…。」
「お疲れ様です、精霊様。」
欠片を解放し終わり、まだ微弱な蒼を漂わせている友歌は、感染者が収容された建物から外に出た。今回も効果があったらしく、街に入った時より確実に空気が澄んでいる。
それに喜びつつも、体力を奪われた友歌の体は重い…日当たりの良いベンチ座り込めば、サーヤは濡れたタオルを差し出した。それを受け取り、友歌は椅子に座り込んで目の上に乗せる。
温かな濡れタオルが、じわりと友歌を暖めていく。それに小さく息を吐くと、サーヤが傍でごそごそを動き、水音が聞こえた。
友歌はそれに反応することはせず、冬月の涼しさですぐにでも冷めていきそうなタオルの温度を感じることに集中する。ゆっくりと、けれど体の疲労をぬぐい去っていくような心地の良い温度は、すでにサーヤの手慣れたものとなっていた。
「精霊様、お取り替えします。」
「ん?…んー。」
そっと取り上げられたタオルを追いかければ、新しい温かなタオルが優しく置かれた。一瞬見えたサーヤの手は濡れていて、先程の音は湯を持ってきた音だったらしい。
されるがままにされていると、また水音が響いた。休んでいる友歌の邪魔にはならないよう、最小限にまで抑えられた音は、決して不快なものではない。
それどころか、まるで子守歌のように友歌の眠気を誘う。もちろん眠るわけにはいかないのだが、額と瞼を覆うタオルとも相まって睡魔が寄ってくる。
(…日本人って、水の音に癒しを感じるんだっけ。)
何かの本で読んだ気がした友歌だったが、すでに記憶の彼方らしく思い出せない。それでも聞こえる音に体中の力が抜けていくのだから、それなりに効果はあるのだろう。
さらに数度タオルを取り替えてもらい、汲んだ桶の湯がぬるくなってきた頃、友歌は立ち上がった。これ以上座っていれば確実に眠りそうだったし、疫病の対処に追われているレイオスや騎士が居る手前、休み続けているわけにもいかない。
サーヤは近くの植わった木に水を捨てに行き、友歌はそれを見送りながら目を瞬かせた。――なくならない瞳の違和感に、友歌はそっと手の平を顔に持っていく。
(…世界がキラキラして見える…。)
レティが意図的に欠片の力を解放する時、友歌のように瞳の色が変わったりはしなかった。綺麗な深緑のまま、春の精霊シュランの色である赤や金が滲むことはない。
詳しいことはわからないが、欠片の力のせいであることは確実だろうとレイオスは言った。大きな力を発するということはつまり、友歌が一番力を浴び続けるということでもある。
その影響が瞳に現れている…そう考えるのが妥当だろうと、精霊騎士たちも頷いた。友歌自身、他に理由も見つからなかったのでそういうことにしている。
けれど――友歌にとって、瞳の色が変わることなどどうでもいいのだ。十八年間付き合ってきた黒が蒼くなるのは違和感があったが、それは見ようと思わなければ友歌には見えないので問題ない。
それよりも、世界が輝いて見えることが友歌は気になっていた。もちろん、その物体が発光しているわけではなく、確認してみたところ、サーヤ達この世界の住人もそうは見えていないらしい。
となれば考えられるのは瞳が蒼くなる弊害《へいがい》なのだろうが、同じ蒼色であるはずのレイオスも、友歌の言葉に首を傾げていた。地球の科学的に見ても視力と色素は関係ないし、あるとすれば光に強いか否かの差でしかない。
――それでも友歌には、世界が輝いて見えるのだ。初めて外を歩いたかのように、全てが眩しく、新しく、美しく感じるのである。
(新たな価値観に目覚めそう…。)
蒼い瞳のまま見渡せば、世界がとても美しいもので囲まれているのだ。陽を受けて葉を伸ばす草木は生命の呼吸をしているし、建物もそこに住む人々を祝福している。
踏みしめる大地は優しい鼓動を鳴らし、空は隔てなくどこまでも広がっていく。まるで、楽園か何かのように、目から入ってくる情報がとてつもなく愛おしいものだと感じてしまうのだ。
「精霊様、お待たせしました。」
桶を抱え、絞ってきたのだろうタオルを二つ抱えたサーヤが走り寄ってくると、友歌はその様をじっと見つめる。小首を傾げるサーヤはいつもの如く美しく――それ以上に、他の景色と同じく輝いているのだ。
「…サーヤ、私の目…まだ蒼い?」
「はい、蒼いです。
…なんだか、元に戻るまで時間がかかってませんか?」
「……サーヤもそう思うかあ。」
蒼い瞳でいる時間が長くなっている。それは、友歌自身が感じていることだった。
最初に欠片を解放した時はすぐに黒に戻っていたらしいのだが、今は数十分置かねば色が戻らない。このままだと蒼い瞳がデフォルトになりそうで、友歌はため息を吐き出した。
キラキラ煌めく世界は、友歌の精神衛生上あまりよろしくない。もちろん、世界が綺麗なものや美しいもので溢れているのは知っているが、それと同等以上に醜いものや不快なものがあって当然なのだ。
けれど、この瞳はそれすらも尊いものだと捉える。綺麗なものはさらに輝き、美しいものはさらに光り――醜いものも不快なものも、それすら包み込んでしまうのだ。
ふと見てしまった動物の死骸すら、命のサイクルに感動した自分がいたのである。大地に還り、魂が昇華されまた生まれてくる様を思って、一瞬で胸が熱くなったことには軽く引いてしまった。
悪いことではないのだろう。世界が美しく見えることは、嫌な感情を抱かなくていいということなのだから。
きっとこの瞳で戦争を見たなら、人の、争わなくては解決出来ない思想に愛おしさを感じ、殺さなくてはならない仕組みに胸を熱くさせ、死に行く様に来世での出会いを期待するのだ。
そして…人はそれを、盲目と呼ぶ。
「…あの、大丈夫でしょうか…?」
「いや…うん、考え事ー。」
――友歌が思うに、これは二大精霊の思想だ。冬の精霊、リュートが見る人の世の世界。
人の体の限界すれすれまで力を浴び続けることにより起こる、欠片との同調。欠片は精霊自身だと言うのだから、蒼い瞳で見える世界がリュートの見る世界なのだ。
「“精霊は綺麗なものが好き”…。」
「…あの、本当に大丈夫ですか?」
呟いた友歌に、サーヤは心底不安そうに聞く。まだ休むかというサーヤに、友歌は手を振って拒否した。
――だとすれば、なんという欠陥だろう。片方でしかものを見ることが出来ないなら、それはもう不完全だとしか言いようがない。
選り好みをしたってしょうがないのだ。あるがままが本当の姿で、いくら瞳で補正しようと現実は変わらずそこに在り続ける。
「…精霊の価値観はわからない…。」
「あの、本当に休んでください精霊様…!」
ついにはサーヤが懇願までし始める。それでなくても、欠片を強く解放し続け、体力の消耗の激しい友歌が心配なのだ。
けれど、精霊に対する意識には変化があったかもしれないが、その他はいたって健全な筋肉痛と体の節々の痛みだけである。友歌は先程と同じく否定し、サーヤの泣き落としを食らった。
「どうかお休みください、後は私がやりますから…!」
「大丈夫、ちゃんと休憩はとってるからっ、」
「もっと休んでと言っているのです!」
「平気だってば…。」
「――モカ!」
ぴたり、と二人の言葉が止まる。声を頼りに振り向けば、レイオスが友歌たちに向かって駆けてくるところだった。
友歌は立ち上がり、サーヤは一歩下がる。――近付いてきたレイオスの表情は、いろんな感情を押し止めた無表情だった。
嫌な予感がした友歌は、唾を飲み込む。
「…レイ、」
「…ああ、おそらく…モカの考えている通りだ。
……騎士から、感染者が出たらしい。」
――ついに。
そんな言葉が友歌とサーヤの頭を過《よ》ぎり、友歌は唇を噛んだ。静かなレイオスの声は、いつもよりもずっと低い。
何時の間にか黒に戻っていた瞳には、世界が暗く沈んだ色をして見えた。




