068. 息抜きと
欠片の力を初めて解放してから一週間、友歌たちはさらに足を進めていた。奥に行けば行くほど、より濃く疫病が流行っているのが肌で感じられる。
早くに疫病の感染地帯となった街や村は、やはり感染者が一つの建物に押し込まれており、衛生状況を悪化させていた。街ごとに一晩は泊まらなければならない旅は、今までよりもずっと進みが遅い。
それでも友歌は、欠片を解放していった。いつ、確実な効果が現れるともしれない中、友歌はただ無心に力を放っていくのだった。
*****
「…う、」
ぎしぎしと軋む体を動かし、友歌は伸びをした。それだけでも腕や足がびきびきと音をたてるようで、友歌は顔を引きつらせる。
それを心配そうに見守るサーヤは、けれど、そっと背中に両手を当てた。
「精霊様…、」
「ん。」
こくこくと頷いた友歌は、そっと力を抜く。触れた両手の平からそれが伝わってきたサーヤは、見えないと知りながらも同じく頷き――ぐ、と腕を前に押した。
必然、友歌の背も前に倒れていく。
「――――!!」
「精霊様、十秒我慢ですよっ!」
声にならない叫びを喉で響かせた友歌に、サーヤは後ろから力を掛けながら励ます。思わず上がりかける膝を気合いで押し止めながら、友歌はサーヤが数える数字を気の遠くなるような中で聞いていた。
友歌がやっているのは、なんてことはない、ただのストレッチである。座り、足を前に伸ばした状態で上半身を倒していく、体育でもおなじみのそれだ。
けれど――人を壊す限界まで解放される欠片に消耗した肉体では、とてつもない痛みと痺れを伴った拷問となってしまっている。涙目になりながら体中の筋を伸ばす友歌は、背中からサーヤの手が退くと同時に横に倒れ込んだ。
「ううう…痛い。」
「でも、やらなければ明日は動けませんよ?」
「…わかってますー。」
――通常なら、欠片の力を解放するくらいでここまで体を酷使することはない。元気に動き回るレティを見れば一目瞭然で、欠片が人を害するものになるはずがないのだ。
けれど、今は非常事態なのである。二月半ほど、力を解放することの叶わなかった欠片は、その力を未だラディオール王国中に満たすことが出来ないでいるのだ。
本来であれば、舞姫が選出された数日後…遅くとも一週間後には、少しずつ使われていなければならない欠片。それが完璧に滞っていた代償はやはりあった。
舞いを踊るだけでも、欠片の力が流れ出しているのである。舞いを踊るのが舞姫の役割なのだから、実際、精霊魔法など使えずとも関係はない。
しかし、友歌の場合は、それすら封じられていた状態だったのだ。契約という目に見えない力のせいで、欠片が出て行く隙間などなかったのである。
そして、力が解放出来るようになった欠片のとった行動は、友歌の体の限界ギリギリまで力を解放すること。友歌に異常をきたさない程度に、国中に欠片の力を満たすことだった。
それは友歌もわかっていた。欠片を解放するたびに体力を奪われていくし、体を重く感じる。
けれど、それを苦しく思っているのも欠片だと、友歌はわかっていた。胸の奥で、申し訳なさそうに、けれど容赦なく友歌の体力を削っていく欠片…そしてそれは、友歌自身が願っていることだった。
「いいいいたた痛い痛い…!」
「頑張ってください十秒です精霊様…!!」
座り込んだ状態で、ぐぐ、と今度は頭上に引っ張られる友歌の腕。筋肉を伸び縮みするだけの運動のはずなのに、友歌の体は腕と脇腹、両方に鋭い痛みを感じていた。
――だんだん、体が痛みっぱなしになってくるのがわかって、友歌は腕を頭上に持って行かれながら項垂れる。言うなら、もともと100ある体力が20にまで減らされ、一日寝ても90までしか回復しない…つまり削られるばかりの友歌は、それでもやめられなかった。
欠片の力が解放出来ていなかったのは、友歌のせいではなく、そして友歌のせいでもある。舞いで放たれるだろう力まで封じられていたのは誤算で、それは契約のせいである。
けれど、契約がされているのは友歌で、それはやはり友歌の責任になるのだ。たとえ契約自体に肯定した覚えがなくとも、人間である友歌に精霊の力を弱める契約の効力がそのまま残っていることも知ったことではなかったが、それでも。
――疫病に冒される人々を見て、無関係だなんて言うことは、友歌には出来なかった。否、それによって大した被害も被っていないのだから、自分が動くことで変わるならと、友歌は喜んで“関係”する。
精霊魔法が使えないことで冷たい視線は浴びたが、ただそれだけだった。待遇が変わることもなければ、不本意ながら精霊という肩書きも相まって気になるほどではなかった。
理不尽な目には、それなりに遭っているのかもしれないが、それでも、母から聞いていた芸能界よりは断然易しいものだと友歌は思う。視線程度で済むなら、それはとんでもなく軽いものだ。
(でもこんな筋肉痛はちょっと聞いてない…!)
久々の感触に、友歌はサーヤに問答無用に体中をほぐされながら毒づいた。高校に通い始めてからはあまろ運動に関わることは少なかったが、「柔な体でトップに立てると思うな!」という母の教訓のもと扱《しご》かれた友歌は、ちょっとやそっとのことでは息も切らさない。
もちろん運動部と張り合っては負けるだろうが、帰宅部でバイト三昧だった体にしては上出来ではないかと思っていたのだ。その体が悲鳴を上げるほどに疲れている…どれほど欠片が容赦なく力を解放しているのか、知りたくなった友歌である。
望んだのは友歌で、欠片が応えようとしてくれているだけなのはわかる。わかるが、気力と体力の減り方が比例していないため、違和感も相まって非常に不快なのだ。
どうせならやりきったという充実感を感じさせてくれればいいのだが、欠片が勝手に体力を奪うだけなのでそれも難しい。友歌は今、やる気十分だが体がへとへとという、不完全燃焼の気分を味わっていた。
「うぐ!?
待った待ったサーヤ待った痛い痛いちょっと筋が張る…!!」
「大丈夫です大丈夫です、ほら十数えますよー。」
「なんか投げやりになってませんか!??」
ズキンと音をたてた右の脇腹に声を上げた友歌だったが、平坦なサーヤの声に一蹴された。賑やかに、ゆっくりと、昼食の後の時間は過ぎていく。
その音をBGMに、レイオス達は束の間の平和を感じていた。騒ぐ二人の様は、ほどよく皆の緊張を解く。
「レイオス王子、出発の時間はどうしましょう。」
石に腰掛け、二人の様子を見ていたレイオスに一人の騎士が近付いた。視線を外し、それに考えるような仕草をしたレイオスは、空を見上げる。
「あの太陽の位置なら…もう少し後でも、夜になる前に次の街へ行けるだろう。」
「…オレもそう思います。」
了解しました、と敬礼した騎士は、二人を見て微笑ましそうに少しだけ笑むと、他の騎士たちの元へ走っていった。それを見送り、レイオスは再び友歌たちに視線をやる。
――当初は、やはり“精霊様”に気軽に接するサーヤは、あまり良い感情を持たれていなかった。精霊は至上の存在で、召還主であるレイオスならともかく、ただの女中が馴れ馴れしくすることを快く思わない者も確かに居たのである。
淡々と任務をこなしているように見える騎士たちだが、疫病のかかりにくさを重視した結果、比較的年齢の若い者が選ばれた。サーヤが友歌に話しかけるたび、それを視線が追いかけているのもレイオスは気付いていた。
けれど、友歌自身の性格が浸透してきたと同時に、サーヤを頼りにしていることもわかってきたのだろう。特に、初の感染者との遭遇となったクロナの一件から、騎士たちの見る目が変わってきた。
(…良い傾向だな。
このまま、何事もなく旅が終わってくれればいいが…。)
未だ騒いでいる二人を見つめながら、レイオスはそっと息を吐き出す。――希望は見えている…欠片が解放出来るようになって、皆の顔も明るくなってきた。
せめて改善できればいい。治すことが出来なくても、おそらく【春冬の祈願】で全てが良くなる。
記憶にはすでに残っていないが、あの舞いがあれば、ラディオール王国中に二大精霊の力が満ちるのだ。“欠片”ではない、本物の力が溢れるあの行事が成功すれば、きっと。
――それまで疫病を押し止めることが出来れば、進行を遅らせられたなら、この旅は大成功と言える。民を、守れるのだ。
ふと、友歌が顔を上げレイオスに気付く。笑みを浮かべた友歌は、そのままサーヤに再びストレッチ地獄に戻らされた。
悲鳴の上がる様を眺めつつ、口元に笑みを浮かべる。少し痛む首を鳴らし、自分も入れて貰おうかとレイオスは腰を上げた。
未だ雪の降らない積もり月の風が、一行の間を吹き抜けていった。