064. 歩む先は
優しい光、暖かな光。胸の内側から溢れる蒼いそれは、【朱月の顕現】を思い出させる。
呆然とそれを見つめる友歌は、きゅ、と握り込んだ手に力が込められたのを感じた。見れば、レイオスが呆然と光を――否、友歌に包まれた手をじっと見つめている。
何かあるのかと思っても、友歌には光の異変以上におかしなところは見受けられなかった。そう、建物の内部を照らし続ける、自らから溢れる光以上には。
*****
「せ、せせせ精霊様…!」
慌てたようなサーヤの声に、友歌は顔を上げた。驚きと戸惑いを浮かべるサーヤは、おそらくこの場の全員の困惑を的確に体全体で表している。
瞳を見開きながら、友歌とレイオスを交互に見つめて、どう言葉を発するか考えているのだ。それが手に取るようにわかる友歌だったが…友歌自身、どう反応をすればいいのか戸惑っていた。
友歌の胸の内から溢れる光は、建物中を蒼く染め上げる。騎士たちも、意識のある病人たちも、それを看護していた人々も、皆友歌とレイオスを見ていた。
両の手の平でレイオスの右手を握る友歌は、それを辿るように上を見上げる。――手を見ていたレイオスは、友歌に視線を戻していた。
そこには、サーヤ達のような戸惑いも、未知のものへの恐怖も感じ取れない。ただ、いつものように、静かな優しい色を宿して友歌を見つめる。
――ふ、と。安堵とも、ただの呼吸ともとれぬ息を吐き出し、友歌はずるずると背もたれに体重をかけた。
「…冬の精霊、リュートの欠片…無事、力を解放中…。」
「!」
言葉を聞いて、真っ先に喜びを表したのは、やはりと言うかサーヤだった。それを見上げ、友歌はそっと笑みを浮かべる。
欠片の力を使えないと嘆く友歌を、サーヤはずっと見てきたのだ。そして、そのせいで疫病が流行っているのだという、心ない噂を消してきたのもサーヤである。
友歌の傍に、おそらくは誰よりも近くに居たサーヤは、これを誰よりも待ち望んでいた。驚きも戸惑いも消え去ったサーヤは、両手を合わせて微笑んだ。
「…【朱月の顕現】を、思い出しますね。」
二月ほど前…友歌の元に降りてきた蒼い光を、サーヤは忘れていなかった。それでなくても、立ち会えることなど生涯であり得ない者の方が多い行事である。
神秘的なその光景を忘れることなど出来ないし、それが仕える主だとするなら、その喜びも増す。友歌を選んだ蒼い光は、その胸に入り込んで行くときも、こうして周囲を眩しいほどに照らしていた。
素直に、心から嬉しいと言うサーヤを見上げ、ほんの少し照れた友歌。――きゅ、と、まだ左手を握っていた友歌は、もう一つの暖かいもので握り替えされたことに顔を上げた。
お互いに、それぞれ右手を包んでいる状態。そして、離された左手は友歌の目元に伸びた。
「…瞳が、蒼い。」
「……あお?」
――それは、この胸から溢れてる光のせいでは?友歌は首を傾げるが、レイオスは目尻を撫でる。
「…ライアンが、モカが舞姫に選ばれた時に…瞳が蒼くなった、と。
……次に目覚めた時には、すでに黒く戻っていたようだが…そうか、欠片が…。」
「…………。」
鏡も水も手元にない今は、それを確かめることは出来ない。けれど…おそらく、今溢れているこの光と同じ色をしているのだろう。
そう憶測をたてつつ、友歌は左手で胸の辺りに触れた。未だ収まらない光は、胸の奥から凄まじい勢いで流れ続けている。
――暖かな光は、今は熱いくらいに感じられた。それでも、心地の良い熱さ。
それに目を細めていると、レイオスが、すでに触れ合う程度になっていた右手をそっと離した。最後に、中指同士が違いの熱を失う。
それと同時に、光も収まっていった。
(…………あ、)
ゆっくりと、蒼は小さく、細くなっていく。それを見つめ、友歌はレイオスを見上げると――その額の、うっすらとした模様を描く蒼に目を奪われた。
けれど、瞬きをした一瞬で、それは跡形もなく消え去る。なんだったのだろうと首を傾げているうちに、光は上にたなびいていった。
それを見届けて、レイオスは右手を見つめる。
「…なるほど。」
ぽつりと呟いて、レイオスは後ろを振り返った。呆けていた騎士たちは、その動作に正気に戻ったようで、背を伸ばし敬礼する。
「感染者たちに異変がないか調べろ。
街ももう一度見てこい…残りの三組に合流してな。」
「はっ!」
目配せでまた意思疎通を図ったらしい騎士たちは、半分に別れて、片方は外に駆けていった。残った一組も、並んだ感染者のもとに寄っていく。
それを見届け、レイオスは友歌とサーヤを振り返った。
*****
「…レイと、手が触れたから?」
外に連れ出された友歌は、近くのベンチに座らされる。どこか、どんよりとした空気が払拭された空気は、街を明るく見せていた。
何処も変わっていない。変わっていないはずなのに、吹く風が心地よいと感じられた。
友歌とレイオスはベンチに腰掛け、少しだけ雰囲気の違う街並みを見つめる。人のいない、閑散とした街…けれど、寂しさはあっても、当初の息苦しさはもうない。
サーヤは中で看護の人たちと騎士とを橋渡ししており、この場には二人の静かな呼吸が響く。レイが、「おそらくだが、」と話し始めたのは、先程の欠片の力のことだった。
「…モカとオレには、契約がなされている。
宿るための紋様もないから、見せることは出来ないが…それは確かなんだ。
そしてそれが、おそらく力が外に出せなかった原因でもあると思う。」
「…契約のせいで、欠片が使いこなせなかった、…ってこと?」
頷いたレイオスは、上を見上げた。――細かく彫られた、精霊に祈りを捧げるための建物。
屋根に建つ女人の像が変わらず空に手を伸ばし…ふと、それが青白く発光しているような気がして、友歌は目を凝らした。明るくてよくはわからなかったが、それでも、蒼い色を纏っているのは感じられた。
「精霊の力は、人には強すぎるんだ。
それを、人が使いこなせるまでに抑え、この世界に留まらせるのが契約。
…欠片も、契約されたモカに宿った時点で例外ではなかったと、そういうことなのだろう…くそ、何故そこに考えがいかなかったんだ。」
項垂れたレイオスに、友歌は力無く笑う。――そういや、そんなことも言っていたね。
友歌自身、忘れていたことだった。契約と言われてもピンとこない上に、今の友歌には何の負担もなく感じる。
“この世界に留まらせる”…それは確かに、効力を発揮しているのだろう。けれど、ただの人間である友歌に“精霊の力を抑えられる”感覚などわかるはずもない。
レイオスも、調べていたのは舞姫や二大精霊、欠片についてのことだ。幼い頃から学び、身近にあっただろう精霊のことは、後回しにしていたのだ。
否――そこまで掘り下げて調べていたとしても、辿り着けはしなかったかもしれない。貴族や王族なら誰でも使えるだろう契約が二大精霊の欠片にまで効果があるなど、“契約された”誰かがいなければ立証されない。
そしてその誰かは、ヒトガタの精霊…喚ばれた友歌が初めてなのだから。
「もしこれで、疫病を抑えることが出来れば…民を救える。」
じっと、蒼く光る像を見上げて呟く。その横顔を見つめていると、レイオスが友歌へ視線を動かした。
「…こう、言うのは卑怯かもしれないが。
……頼む…モカ、皆のために力を貸してくれ。」
「…………うん。」
願ってもないことだった。欠片の力を引き出せたならと、あれだけ思い続けてきたのだから。
けれど――間が空いたのは、心が揺れているからだった。
(…どうし、よう。)
――これ以上は、本当に、駄目だ。
何が、とはもう言わない。…言えない。
それを明確に言葉にしてしまえば、本当にそうなってしまいそうで。それでも…今の友歌には、ラディオール王国の人々を救うことを優先したいと思ってしまった。
「…モカ、」
嬉しそうに、綺麗に微笑んだレイオスに、友歌もぎこちなく返す。そう、――何よりもそう思ってしまったのだ。
警報が鳴り続ける。すぐに引き返さないと…そう思うのに。
友歌の手は、触れてきたレイオスの指先を弱くも握り返していた。