060. 片割れへ
心地よい天気の中、レティは日向でのんびりと過ごしていた。城の大きな、誰でも出入り可能な庭で、レティは大きな木に背を預けて目を瞑る。
少し厚着をしなければ冷え込む外は、それでも雪の降る気配はまだなかった。ひんやりとした風が凪いでいったが、日差しはまだまだ暖かい。
くあ、と欠伸をしたレティは、ゆっくりと目を開けた。
*****
(…今年は、シュランが頑張ってます…。)
ぼんやりと思いながら、レティは目を擦る。眠気が出て行かず、ずっとまどろんでいる状態だったため、体中が少し重かった。
少し伸びをすれば、心地の良い脱力感がレティの体に満ちる。それにまた欠伸をしながら、レティは空を見上げた。
真っ青な空――ラディオール城周辺は、晴天続きである。けれど、友歌が旅をしているところは豪雨が凄かったらしい…民家に泊まることになったのだと、“思念の腕輪”で伝えてきた。
これが例年通りなら、雨ではなく雪だったろう。今頃は、視界いっぱいの銀世界が見えていたはずである。
春月の、空をも埋め尽くさんほどの花びらや地の花と、冬月の、降りてくる雪や異世界かと見間違うほどの白。密かなラディオール王国の名物となっているそれらは、二大精霊の加護の賜《たまもの》だ。
レティ自身、それらはとても好きな情景である。その一つがまだ見れないことに、レティは肩を落としていた。
(リュートが拗ねているのでしょうか…。
それか、シュランが意地を張って譲らない…?)
むう、とレティは唇を尖らせる。もちろん、こんな年が全くないわけではなかった。
“白の月”――10月まで降らないこともあったし、逆に春月に冬が退かない年もあったのだ。春の精霊シュランと冬の精霊リュートの力は拮抗し、けれど対等なばかりではないのである。
待ちわびる気持ちで空を見続けていると、ピィ、と遠くから鳴き声が響いた。
「――小鳥さん!」
ぱたぱたと飛んできた灰色に、レティは声を上げる。小さな丸い体を懸命に浮かべて、小鳥は差し出されたレティの指に止まった。
友歌に拾われた頃より大きくなった体は、少しだけ重く、大きくなっている。将来、どれくらいの成鳥になるかはわからないが、おそらく手乗りサイズで終わるだろうとレイオスは言った。
愛くるしい黒い瞳を瞬かせ、首を傾げる小鳥に、レティは頬を緩ませる。鳥籠で飼われているわけでも、刷り込みによる親の認識でもなく、ただ放し飼いにされているにもかかわらず、小鳥は人を怖がらなかった。
誰かに飼われているのか、飼われていたのかと、友歌、サーヤ、レティで話したこともあるが、結論は出なかった。ただ、友歌が呼べばどことなく飛んできて、友歌と親しい者ならば指にも止まってくれる。
“あにまるせらぴー”と友歌は言い、小鳥の魅力を周囲に存分に知らしめ、和ませていた。それを思い出しながら、レティはのんきに鳴く小鳥を見つめ、友歌のやるように指先でうり、と頭を撫でる。
「…お互い、置いて行かれちゃったねー。」
わかっていない小鳥が首を傾げる様に、レティはくすりと笑った。――面倒を見きれないからと、小鳥を連れて行くのを友歌は拒んだ。
友歌たちが行く場所は、治った者のいない病の巣窟である。精神的に擦れていくであろう土地に、友歌は小鳥を連れて行こうとは思えなかったのだ。
もちろん、小鳥を見れば和むだろうし、冷静にもなれるかもしれない。けれどそれ以上に、友歌は小鳥が心配だったのだ。
未だ動物への感染は確認されていない疫病。けれど病気に絶対などなくて、ひょんなことからかかってしまう可能性もないとは言えない。
自ら連れて行かないと言った友歌は、言葉とは裏腹に寂しそうだった。けれどそれ以上に、やはり小鳥のことも、それに割いてしまうであろう僅かな時間のことも心配だったのだ。
変なところで気を遣う精霊を思い出し、レティはくすくすと笑う。――いつもは、自分が決めたことは曲げずに実行する友歌なのに、考え始めたことには遠慮してしまう。
「…私たちは、ゆっくり帰りを待とうね。」
城から、舞姫が二人ともいなくなるのはまずい。それはよくわかっているし、レティ自身も自分が荒事に向いているとは思えなかった。
確かに、舞姫二人共が行けば、疫病は確実に退けられるのではと思わなかったわけではない。城の女中仲間の噂は暗いものばかりだったし、友歌繋がりで話すようになったレイオスからの情報も重い。
少しでも可能性があるなら、本当は着いていくべきだったのではとも思う。けれど――現実は、そうもいかない。
不確かな憶測で、舞姫を二人とも“失うかも知れない”事態を起こすことは、城の者にとっても…精霊研究機関の者にとっても歓迎すべきことではないだろう。――そう、危険だとわかっている場所に、切り札を一気に投入する者はいない。
(…自分で言っておきながら、むかついてきました。)
けれど、全て本当のことだ。もちろん、精霊に疫病など通用しないだろうし、そこは城の者たちも胸を張って言うだろう。
それでも、“もしも”を考えなければならないのだ。何かが起こってからでは遅い。
起こす原因を作っている者の意見ではないとレティは思っているのだが、それでも、城の総意はこれだった。――“二人”いるなら、一人は“予備”に置いておくべきだろうと。
(黒い黒い考えが黒い…!
というか片方だけの舞姫とかもう“春冬の”とは呼べないでしょう!?)
歴代の中で、“春冬の舞姫”が欠けたことはない。その伝統が失われるということは、二大精霊のどちらかに見捨てられたということだ。
それがわからない“上”ではないだろうに、今回は良いように手の平で踊らせているようである。あえて、どこにとは言わないが。
「あ の 狸 ど も ~ !」
小鳥の頭を撫でていたはずの指先は、いつの間にか小鳥の翼を弄りまくっていた。低い声で唸るレティは、この場に友歌がいたならば「間違いなくサーヤの親友だ…!」と納得したことだろう。
翼を上下に振られたり閉じさせられたり広げられたり、不快なはずの小鳥は、レティの不穏な空気を読んだのか大人しかった。そんな健気な灰色の様子にも気付かず、レティはぶつぶつと口の中で呪詛を呟く。
「うう、大体あの方達…胡散臭すぎるでしょう。
なんなんですか、中央にまで気持ちの悪い情報網張り巡らせて…。
粘着すぎます、調子乗りすぎです、年の終わりの掃除とともに城の中もお掃除すべきです…!」
「うんうん、それには同感かな。」
がさがさと、レティの後ろの茂みが音を立てた。けれど、レティは慌てることなくただただ小鳥の翼で遊ぶ。
「なんとかならないですか、これじゃあ精霊様もレイオス王子も巻き込まれちゃいますっ!!」
「まあ、もう巻き込まれているようなものだけれどね。」
ガサッと、一際大きく草が擦れ合うと、茶色を纏う青年が現れた。レンズだけの眼鏡をかけ、一部分だけ三つ編みにした美丈夫《びじょうふ》――ライアンが、頭についた葉っぱを摘みながら。
断じて王子が通るはずのない、むしろ道すらない所からの出現だっだ。けれど、レティはただただ小鳥にかライアンにか…おそらく両方に、言葉を零し続けた。
――レティの右手の甲に宿る精霊は、風の属性である。だからこそ、“空気”を切って動いてくるものには気付いていたのだ。
「…精霊様の馬鹿。」
「おや…精霊への言葉は真実となるよ?」
「……嘘です、大好きです…。
なので無事に帰ってきてください~!」
最後は懇願のようになってしまったレティの叫びに、ライアンは小さな笑いを漏らした。――“対”と離れたことで不安定になるかと思ったが、上手に先代がやっているらしいな。
“二人で一つ”…真実、その関係の舞姫は、周囲とわからぬ絆で結ばれている。気になって様子を見に来たライアンは、杞憂《きゆう》となりそうでほっとした。
今度は自らの対への思いを述べ始めるレティに、大人しく弄られたままの小鳥が、疲れたようにピィと鳴く。抗議ともとれる小さな鳴き声は、レティ自身の言葉にかき消されていった。