表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/93

059. 感染地帯【下】

 



 “プラセボ効果”というものがある。プラシーボとも呼ばれるそれは、いわゆる偽薬《ぎやく》のことを言う。


 つまり、医学的に根拠はないが、心理的に暗示させることにより身体に影響を及ぼすこと。たとえば、「この薬で治る!」と言われて、長年の原因不明の手足の痺れが本当に治ったなど、“思い込み”を前提とした効果のことだ。


 しかし、治療法としては不完全な上に、使い道を誤れば危険極まりない。効くかどうかも個人に左右されるし、“騙す”ことが基本になる。


 もちろん、病気を倒す自分の絵を描いていたら、脳の腫瘍《しゅよう》が小さくなったという子供の事例もあるため、一概にそうとは言えないのだが。――涙を流すクロナを見て、友歌はそんなことを思い出していた。





















 *****





















「モカ!」




 民家から出てきた友歌と器を持ったサーヤに、レイオスは駆け寄った。ずっと立っていたのか、数人の騎士は変わらない位置に佇んでいる。


 それに会釈をし、友歌は心配そうに友歌を見るレイオスに笑みを浮かべた。目に見える異常はなく、レイオスはひとまず安心する。


 ――けれど、もしかしたら既に菌を保有し、いつ発病するかもわからないのだ。いくらサーヤが魔法をかけ続けていたと言っても、それは決して確実ではない。


 無意味かもしれないが、気休めにでもと風呂に入って体を清めるよう言い、レイオスはまた村人たちの所へ戻っていった。それを見送り、友歌はいくつもの視線が自分を見ていることに気付く。


 騎士たちのものもあるし、もちろん村人たちのものもあった。そこには、疫病への恐怖とはまた別に、違う雰囲気もあるようにも思えた。




(…ひとまずは、みんな冷静になれたかな。)




 ――逆に、そうなってもらわなければ困る。第一でないとは言え、正統な王家の血を引く王子と、認識できるヒトガタの精霊が率先して動いているのだ。


 これでまだ固まっているようだったら、友歌にはもう打つ手はない。まずは、心を気丈に保って貰わなければならないのだから。


 用意してくれたという風呂場に足を進めながら思っていると、ふと近付いてくる足音が聞こえた。顔を上げると同時に、平伏した人影。




「…ケインさん。」




 短く刈られた茶色い髪に、友歌はその名を呼んだ。肩を震わせ伏せったままのケインは、密かに嗚咽を漏らしている。




「………………す、」


「…………。」


「ありがとうございます…!」




 ――治したわけではない。それでも、それをわかっていても涙を流すケインに、友歌は目を細めた。




「…まだ、です。」


「…………っ、」


「…ケインさんが、信じてあげていてください。

 クロナさんは、絶対治ると。」




 私も、そうすることしか出来ない。


 口には出さずに、友歌は心の中で思った。ケインはただ、体全体を震わせながら声を必死に抑えていた。





















 *****





















「…疫病に、水の精霊魔法って効くの?」




 湯船に浸かりながら、友歌はぽつりと呟いた。ちらりと目線を上げれば、眩しいほどの白い背中が見える。


 ぴくりと一瞬だけ動きを止めたサーヤは、長い髪の水を搾り取った。少し間を置き、口を開く。




「……一応は。

 けれど…確かに、水の精霊は“保つ”ことに特化し、病にも強いですが…絶対ではないのです。」


「…うん、だよねー。」




 きゅ、と紐で髪を高く縛り上げると、サーヤが立ち上がった。友歌が気付いて横にずれると、少し頭を下げてサーヤも湯船に足を入れる。


 ――家の規模はそうでもないが、風呂の一番広い民家で、友歌たちはくつろいでいた。まるで、日本の風呂のような造りのそれは、友歌を非常によく和ませる。


 この世界の風呂は、日本とそう大差ない。一々湯を汲み、薪で湧かすのは昔を思わせたし、友歌にとって至福の時間でもあった。


 それは城でも、宿でも、こうした民家でも同じのようで、木で作られた湯船は触り心地も良い。二人で入ってもそれほど狭さの感じない温かなそれは、小さな沈黙を落とした。


 特に、サーヤは魔法を休む暇もなくかけ続けていたわけで、疲労もしているはずである。目を瞑り、体を休めるサーヤは時々体の節々を揉んだ。


 湯を手で掬い、落とし、友歌はそんなサーヤをぼうっと見つめる。口を尖らせ、ジト目の友歌に、サーヤは苦笑を浮かべた。




「…後悔してませんよ?」


「何も言ってませんー。」


「目が訴えてきてます。」




 空色の髪を撫でつけながら、サーヤは言った。それに友歌は子供のように語尾を伸ばし、小さな抗議を表した。


 ――ついてこなくても、よかったのだ。クロナが隔離されたあの民家には、疫病が蔓延しているはずで。


 もし水の精霊魔法が効いていなかったり、効きづらかったりしていたら、慰安に訪れた者たちの中で一番に発病するのは、おそらく友歌とサーヤだ。友歌の場合は、あの場を収めるためにも、慰安の役割としても、…自分を貫くためにも、その選択は正しかったと胸を張って言える。


 けれど、サーヤは違うのだ。サーヤは女中で、そんな強制力は発生しないのだから。


 あの場で反対すれば、レイオスに行かせて貰えないだろうから頷いた。だが、決して納得したわけではないのだ。


 そんな友歌の気持ちが手に取るようにわかるサーヤは、しょうがない、というような笑みを浮かべる。




「もう、どこもかしこも危ないのでしょう?」


「…サーヤったら、いつから人の揚げ足をとるように…。」




 さらりと言い放ったサーヤに、友歌は手の平で顔を隠すと、打ちひしがれる真似をした。それに笑いながら、友歌の湯から出た肩の部分に、お湯をそっとかける。


 それに素直に受けながら、友歌は顔から手を退けた。優しげな、満足そうなサーヤに、友歌は反論する言葉を失う。


 それにふわりと笑ったサーヤは、まだ明るい日の差す窓を見つめた。窓と言っても、覗き見防止のためか、大人の男でも届かないような、天井に近い場所にある。


 板をくり抜いただけのそれは、鮮やかな空の色までもが見えた。それを友歌も見上げると、サーヤは小さく息を吐き出す。




「…私の伯母は、クリス王妃の専属の女中なのです。」




 ぽつりと呟かれた言葉に、友歌はそっと聞き入る。




「憧れでした…たまの休暇に帰ってくる時に、話を聞くのが大好きで。

 …ずっと、自分も女中になるのだと思っていました。」


「……じゃあ、夢、叶えられたんだ?」


「はい。」




 友歌に視線を戻したサーヤを見て、友歌は小さく息を呑んだ。──キラキラと光る、サーヤの瞳。


 水色の、水分を含んだ髪も陽に輝いて、サーヤの外見だけでない美しさまでもが見えた気がした。自分に自信と誇りを持つ、そんな人の…母と同じ、生き様に後悔しない人の美しさ。


 友歌はほんの少し、眩しそうに目を細めた。




「だから、私は全力であなたを守ります。

 伯母と同じように、自分に負けない仕事をすること…あなた方に負けない意思を示すことが、今の私の夢であり、生涯なくなることのない思いです。


 私はあなたと、…レイオスと同じ景色を見ていたいのです。」




 “精霊様”でなく、あなた。“王子”でなく、レイオス。


 ほんの少し言葉を変えただけのそれは、友歌の耳にじわりと浸透した。内緒です、と人差し指で口に触れ、首を傾げたサーヤは、本当に綺麗な大人の女性、だった。




「…私、なんにもしてないよ。」


「いいえ、皆が変わりました。」


「…なんにも、する気、ないよ…?」


「それでも、何かせずにはいられないでしょう?」




 ついには沈黙した友歌に、サーヤは笑みを深めた。それを横目で睨みつつ、友歌は息を整える。


 自分に正直に、自分を保って生きれる人は、美しい。──祖母も、母も…友歌が初めて懐いた人も、友歌が初めて憧れた人も、皆、美しい生き方をしていた。


 そして、脳裏にちらついた白銀と蒼に、友歌は唇を噛む。そして──水しぶきを上げ、バシャンと立ち上がった。




(…私、だって。)




 きょとんとしたサーヤは、何か気に障ることでもしてしまったかと狼狽える。それをスルーして、雫を体中に纏わせながら、友歌は大きく息を吸い込んだ。




(──私だって…!)





















 泣き声にも、叫びにも似た歌声が、村中に響き渡った。











評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ