005. 認められない
「…なんか私、こっち来てから寝てばかりな気がする…。」
朝、すっきりと目の覚めた友歌はベッドの上で項垂れた。友歌は、召還された日を除けばこの部屋から出たことはなかったのである。
許可が出たら少し歩き回りたいと思いつつ、友歌はゆっくりと伸びをした。
──帰る方法を探すのだと、決心した。そうなれば、友歌は──人間は、頭を切り換える事が出来る。目標を持つ事が出来れば、人はどんな状況でも自我を保っていられるのだ。
例えば、ある者にとってそれは憎しみだった。
例えば、ある者にとってそれは欲求だった。
感情に直結するそれは、人間にとって必要なものである。友歌の目標は“帰る事”──その思いは、“希望”である。
昨日と同じように、そろりと床に立ち上がった友歌は広い窓の外を見た。青い青い、快晴だった。
「…お腹すいたかも。」
──友歌がどんな場合でも余裕を持てるのは──持とうと努力出来るのは、ひとえに祖母のおかげである。祖母は、時間を大切にする人であった。
それは、残り少ない人生を悟っていたからかもしれない。けれど、友歌の祖母は懸命に日々を充実させ、楽しんでいた──おそらく、家族の誰よりも。
『時は金なり…無駄な時間はないよ、友歌。
人の人生は三万日…とてもとても短くて、あっという間に過ぎていくのだから。』
遠い目をした祖母の瞳を、友歌は忘れることが出来ない。──帰るのだ。三万日が、過ぎる前に。
友歌の瞳は空を見ながらも、遠くを見つめていた。そうして、サーヤが食事を持ってくるまで無心に眺め続けていたのであった。
*****
昨日のお茶会と同じ場所の同じテーブルに、所狭しと並べられた料理の数々。友歌は見慣れないものも多いそれらを、ゆっくりと慎重に口に運んでいた。
──この世界の食事は、はっきり言ってレパートリーが少ない。肉を焼いたもの、炒めたもの、煮たもの、野菜を焼いたもの、炒めたもの、煮たもの、果物を…と、料理法は地球に劣らない。劣らない、のだが。
──気になるのは、味付けである。
始めてちゃんとしたものを食べた友歌は、最初こそ美味しそうに口に運んでいたが…そう、“最初”の話なのである。
どれを食べても変化の見られない味に、友歌は嫌な予感がしながらもサーヤに問いかけた。
「…味付けは何?」
「塩と果汁ですが…。」
首を傾げながら放たれた簡潔な言葉に、友歌は空笑いをした。──美食文化の育った現代っ子には厳しいぜこれ…!
帰るまでこれを食べ続けなければならないのか、と友歌は心で涙した。サーヤはサーヤで、明後日の方向を向いた友歌に涼しい顔をしながらも内心大慌てだった。
友歌に出したものは、王族の食べるものである。わかりやすく言うなら、最高の料理人が出した、最高の食材の使われた、最高の料理である。
それが口に合わないとなれば──この世界の全てが、精霊を満足させられるものではないかもしれないと言う事だ。
友歌の場合は日本人としての、否、地球人としての味覚の問題。対してサーヤの意見は相手が精霊であるという、互いの認識は食い違っていながらも──食事が“精霊様”の口に合わない事については、同じを意見を出したのである。
「…ソースとか、そういう文化は育ってないのかなー…。」
「(…………!)精霊界には、文化があるのですか?」
友歌の漏らした言葉に、サーヤは食い付いた。──何気ない一言も拾ってくれと、サーヤはレイオスに言われていた。その一言が、今後の精霊に対する扱いを変えるかもしれないからだ。
けれど、“精霊界”という言葉を華麗にスルーした友歌には、そんな事知るよしもなかったのである。
「(精霊違うって…良いよもう、これは私に対する長期戦の申し入れだな…受けて立つ!)
…うん、私は精霊ではないけど、文化はあったよ。他にも、味付けの方法は色々あったと思うけど…。」
「知りたいです!!」
同じく“精霊でない”という言葉をスルーし身を乗り出したサーヤに、友歌は椅子の座った状態で若干後ずさる。それを見たサーヤは、咳払いをして非礼を詫びた。
そして、友歌を少し上目遣いに見た後おずおずと口を開いた。
「…その、出来ればお教え願いたいのですが…。」
申し出に、友歌は飛びついた。──食材は良い、シンプルな味付けだからこそわかる事。でも、それとこれとは話は別だ。
料理にだって、いろいろあるのである。食材の味を活かしたものだけとは、それはなんとも寂しいではないか。味以外にも、見た目、色…もっとちゃんと見てあげて。
食事とは、楽しむものである。だからこそ友歌の世界では食文化があれ程までに発達した。そして、和、洋、中──様々な味があってこその食!
「…私も詳しいことはわからないから、探り探りだと思うけど…。」
「いいえ、城の料理人は協力を惜しみません。」
(…………そういえば、レイオスは王子なんだっけ。)
立場的に、友歌はレイオスの精霊である。つまり、滅多な事でもしない限り、却下は食らわれにくいという事だ。
それはちょっと美味しい不可抗力かも、と友歌は思った。本当の精霊ではないが──だからと言って、精霊使い達に実験動物扱いされるのは面倒だし、困る。
──それならば、王子の精霊として身分が証明されれば下手に手は打ってこないに違いない。
友歌は昨日のレイオスとの会話で、自分が特殊な位置にいる事を掴んでいた。
あれほど特別な存在であると言われればわかるだろうが、友歌としては早々に気付いて良かった事である。──重宝されている精霊ならまだしも、召還された事のない“人間”が来たとなれば、その扱いの変化は容易に想像出来た。
冷や汗を流しながら、友歌は唾を呑み込んだ。──本当に人間である事を主張すべきか、ちょっと考えないと。
友歌は、少し身を乗り出した。
「じゃあ、今度厨房に連れて行ってくれる?」
「…あの、それは…。」
「どんな道具があるのかとか、食材とか、見てみたいんだけど…。」
困ったように視線をうろつかせるサーヤに、友歌は確信した。──やっぱり、精霊だと認識しているうちは、私を邪険には出来ないよね。
厨房に行きたい、などという言葉を叶えるわけにはいかないだろう…王子の関係者であるなら、なおさら。けれど、ここで拒否してしまえば“友歌の機嫌を損ねてしまう”かもしれない、きっとそんな葛藤がサーヤを襲っている。
友歌は権力をかざすつもりはなかった。下手に実力があったためそれを周りに見せびらかし、使う事に躊躇のなかった者が消えていく様を、友歌は母にうんと語られた。
──力は、使い所を見極めなければ、自分自身を追い込むのだと。
そして、精霊という肩書きは、友歌の望んだものではない。だから余計に、友歌は“王子の精霊”である事を認めるわけにはいかない。──この世界を受け入れるわけには、いかなかった。
そのためには──その肩書きを、名乗る事は出来ない。
「駄目かぁ…じゃあ、料理の本とか見せてくれる?」
「…はい、それならば。」
ほっと息を吐き出したサーヤに、友歌も小さく吐息を漏らした。──肩書きは使わない。なら、精霊であると言うことを認めちゃいけない。──ならば、今まで通り、人間であると主張すればいい。
──どうせ周りは、勝手に良いように解釈してしまうのだから。
友歌は──たった昨日だけの事だったが──何度言っても届かない言葉に、変な自信を持ってしまった。それはマイナスからくるもの…けれど、友歌にとっては、自分自身の免罪符に成り得た。
“私は、人間だと何度も言ってるのだから。
勘違いしているのは、あなた達…私は、一度もそうだとは言っていない。”
きゅっと口を引き結び──どんな本が良いでしょう、まずは器具からでしょうか…そう問いかけてくるサーヤを見つめ、笑う。
──笑顔には、自信がある。女は生まれながらの女優なのだと、使い古された言葉を使う母は確かに、その才能を余すところなく発揮していた。
友歌は、人間である。それだけは譲れない。
──そう、たとえ、周りの誰もが“精霊の友歌”を望んでいたとしても──…。
笑みの下に罪悪感を感じながらも、友歌はその仮面を被り続けた。サーヤが出て行った後には、ほんの少し影の落とした友歌が、窓の外を見つめ続けていたのだった。