057. 感染地帯【上】
疫病にかかりやすいのは、お年寄りや子供など、免疫力があまりない者たちだ。どこの時代も、世界も、やはり体の健康が大事である。
予防としては、やはり適度な運動と栄養価の高い食べ物。そしてなにより、病気にかかりにくい環境だ。
この世界で、日本ほどの衛生環境は用意出来ない。城では水の精霊使い達が清潔に保ち続けていたが、ごく普通の民にそれは無理な相談だ。
それはつまり、とても差の激しい危険地に、友歌たちが踏み込んだことを意味していた。――今まで病気にかかりづらい環境にいたからこそ、もしかしたら現地の人々よりかかりやすいかもしれない。
「…クロナさん、」
この村で初めての感染者となった女性の名を呟き、友歌は服を着替えていた。
*****
「モカ!」
「あ…レイ、」
外に出ると、すぐに気付いたレイオスが友歌に駆け寄った。村人のいくつかの視線が友歌たちに突き刺さったが、それどころではないのかすぐにそれは逸らされた。
慌ただしく民家を入ったり来たりしている人々を見て、友歌はおそらく他に感染の傾向がないか調べているのだと当たりをつけた。傍に寄ってきた騎士に指示を飛ばすレイオスを見て、友歌は口を開く。
「…クロナさんは、何処に?」
「…隔離してある。
気休めにしかならんだろうが…村で一番遠い家だそうだ。」
(……あそこ、かな。)
騎士が数人、遠目に見える民家を背に守るように――誰も通さぬようにぐるりと囲んでいるのを見て、友歌は思った。騎士たちは無表情に、ただそこに立ち続ける。
それを視界に入れたレイオスは、友歌の手首を掴んだ。ぴくりと反応した友歌は、けれどその家から視線を外さない。
それを見て眉を寄せたレイオスは、小さく息を吐き出した。
「…危ないことは考えてくれるな、モカ。」
「……もう、どこもかしこも危ないよ。」
「モカっ!」
咎めるようなレイオスの言葉に、友歌は苦笑を浮かべる。そして――するり、と手首の緩い拘束を解いた。
振り向けば、青い瞳が強く友歌を射抜く。――ああ、そういえば、久しぶりにまともにレイの目を見たな…。
レイオスも同じ気持ちだったのか、目を見開き…けれど、静かに友歌を見つめた。
「…サーヤ、クロナさんへの食事を用意して。」
「精霊様…それは、」
「病は気から…まずはいっぱい食べないとね。」
息を詰まらせたサーヤだったが、少し考え込むと、すぐに踵《きびす》を返し村人の集団のもとに走っていった。どこかの台所を借りるつもりなのだろう。
それを見送り、友歌はレイオスをちらりと見る。レイオスもサーヤを見つめていたが…止められるはずがなかった。
すでにサーヤはレイオスのものではなく、友歌に仕える女中となっている。もちろん、レイオスの指示も聞くのだろうが、優先順位は友歌の方が上になるのだ。
サーヤが友歌の指示に従ったのなら、レイオスが言ったところで意味はないだろう。それを理解しているレイオスは深く、深くため息を吐いた。
「…俺も行く。」
「駄目。」
「……モカ、俺は…、」
「レイにはレイの役があるでしょ?
今この場で頼りにされるのは、村長じゃなくて騎士でもなくて、レイ。
…私なら大丈夫…すぐ戻るから。」
納得いかないという顔をするレイオスから視線を逸らし、村人と話をしているサーヤを見つめる。――たとえ精霊という肩書きがあっても、それと指導力とは関係ないのだ。
けれど、レイオスは違う。王子という肩書きに相応しいよう育てられてきたはずのレイオスなら、この場を仕切るのには適しているはずだった。
王子だからと言って甘やかすこの国ではない。――初めてガウリル王と会った宴の席で、王はレイオスに「国のために礎《いしずえ》となれ、」と言ったのだから。
――それに、友歌が行くことで、村人に安心を与えることは出来るだろう。精霊という名には、それほどの意味があるのだから。
けれど、友歌にも、決して疫病にかからないなんて確信はない。けれど、同じ土地に、村に居ても、まだ実感は湧いていなかった。
嘘だと思っているわけではないが、危険が迫っているのだという気持ちになれない。――典型的に、友歌は平和ボケしていた。
それでも、それを自覚しながらも、友歌はクロナに一目会いたかった。何が出来なくても、食事を摂らせ、地球の予防方法や改善策を教えることくらいは出来そうだった。
――友歌は、昨日の夕食も忘れられなかった。決して深くもなく、知人と言うにも浅すぎる付き合いではあるが、放って置くには記憶に残りすぎている。
ぱたぱたと駆けてきたサーヤに友歌は目を細めた。息をほんのりと切らすサーヤは、背筋を伸ばして手をお腹の辺りで組む。
「少々お時間をいただきたく思います。
どうやら、どの家もまだ作る前だったようで…。」
「なるべく栄養価の高いものでお願い。
あと、出来れば食べやすくて、消化に良さそうなも、の…………。」
言外にこれから作ると言うサーヤに丸投げするつもりで話す友歌だったが、途中で段々声が小さくなっていった。それに首を傾げたサーヤは、何やら考え込んでしまった友歌を心配そうに見つめる。
視線を落とし黙っていた友歌は、急にがばりと顔を上げた。
「サーヤ、私が作る。」
「…………え?」
「私が作る。
でも材料がわかんないから、サーヤも手伝って。」
サーヤの服の裾を掴み言い放った友歌に、サーヤは唖然とした声を漏らした。――精霊様が、料理!?
どうしましょう、とかなり焦った顔でサーヤはレイオスに助けを求めたが、肝心のレイオスも友歌を凝視していた。けれど、すぐに正気を取り戻し、サーヤの視線に気付くと、肩を落として苦く笑う。
「…好きにさせてやれ。」
「…………は、はい。」
戸惑いながらも頷いたサーヤに、友歌は真剣な顔で頷く。――まだ、私にもやれることはあった。
借りることの出来た家に案内されつつ、友歌は脳内でこれから作るレシピの確認をしていた。似た材料があるかはわからないが、おそらくは再現出来るだろう。
背中に痛いほどレイオスの視線を感じながら、友歌は大きく深呼吸をした。
*****
「…クロナさん。」
扉を開け、友歌は小さく呼びかけた。反応はないが、それでも友歌は一歩踏み出した。
後ろからついてきたサーヤが扉を閉めたのを確認し、友歌はトレイを持ちながら薄暗い部屋野中を進む。――俺が駄目ならサーヤを連れて行けと、レイオスは厳しい表情で友歌に告げた。
サーヤなら、水の精霊魔法で友歌や自分の周りを清潔に保てる。もっともな理由に、友歌は渋々頷いた。
けれど、それなら、友歌も無茶はしない。自分の行動でサーヤを危険に晒すようなことはないだろうと。レイオスは考えたのだ。
レイオスの思惑に気付き、またそれに賛同したサーヤはすぐさま頷き、クロナとの面会に同行している。そして、徹底的に、定期的に部屋に精霊魔法をかけ続けるサーヤに、友歌は内心安堵していた。
――自ら病気にかかりたいわけではない。かからないだろうとは思っても、もしかしたらという恐怖はもちろんあるのだから。
「…クロナさん、お食事です。」
ベッドに見つけた膨らみに、友歌はそっと声を掛けた。案の定、もぞりと動いた布団から、クロナさんが顔を出し――驚愕の表情を浮かべた。
「せ、精霊様…!」
「騒がないで、…体に障りますから。」
起きあがろうとしたクロナを手で制し、友歌は近くの机にトレイを置くと、引きずってベッドに横付ける。湯気を立てる器にクロナは釘付けになり、椅子に座る二人を見上げた。
――泣き出しそうな瞳に、友歌は出来るだけ安心させるように笑う。
「…まだ、お礼も言えてませんでしたから。
昨日の夕食、とても美味しかったです…ありがとうございました。」
「…………っ、」
少しだけ涙を零したクロナに、友歌は昨日サーヤにされたように、布で優しく吸い取った。