056. なつかしの
夜になると、ようやく雨があがった。空はまだ曇り空ではあったが、もう降る心配はないとサーヤが断言する。
いつもより暗い外を見ながら、友歌は息を吐き出した。レイオスは騎士達が泊まる民家に行っており、明日の予定のことについて話しに行っているため、この家には友歌とサーヤ、そして家主たちだけである。
*****
「精霊様、」
「…サーヤ。」
カチャリとドアを開け放ち、サーヤがトレイを持ち入ってきた。上には湯気をたてた夕食が並び、友歌はお腹に手をあてる。
すでにそんな時間であることに驚きつつも、自覚すれば確かに胃は空いているようだった。器用にドアを閉めると、サーヤがにこりと笑ってトレイを持ち上げる。
「今日は部屋で食べましょう。
…この家の方々と一緒では、あちらが緊張するでしょうから。」
「ん…わかった。」
近くのテーブルにトレイから皿を移すと、サーヤは椅子を引いて友歌に座るよう指示した。それに素直に従うと、サーヤが立ったまま近くに控える。
――友歌とレティが同じ席で食事をとることはない。友歌が食べた後に、いつの間にか終えているのだ。
それでも、友歌が強制することは出来ない。それはレティが決めている、女中としてのルールなのだから。
いつものように手を合わせて食べ始めると、いつもとは少し違う味がした。その理由に思い当たり、友歌は顔を上げる。
「これ…クロナさんが?」
「はい。
私が傍で手伝いましたが、基本は彼女が作りました。」
「そっか…うん、美味しい。」
クロナとは、この家に住む年配の女性の名だ。若い青年はケインと言い、クロナの息子らしい。
父親は出稼ぎに出ており、ケインの姉は大きな街に嫁にいったという。四人で過ごし、今は二人で住むこの家は、ごく普通の民家である。
道中、今まで泊まったのは宿で、出た食事も万人向けの味付けがされているはずである。けれど、ここは違う。
友歌達が居る部屋も、嫁に行った娘の部屋を借りているのだ。もちろん食事は、この家独特の家庭の味ということになる。
友歌は皿を見回し、近くにあったスープを掬い、口に入れた。――この世界に来て、初めて口にする“庶民”の味。
それは、召還された当時と同じ、原型がわかる程度に切られた食材がごろごろしているものだ。味付けも、食材を殺さないように総じて薄い。
もちろん、今までの宿でもそれと同じようなものが出されていたのだが…――不思議とこの夕食は、食べにくいとも味が薄いとも思わなかった。
友歌は手を休めることなく、一心に手を進める。芋のようなものが何種類か入ったスープはかなりの薄味で、メインであろう骨付きの肉も果汁の甘みがするだけですぐ飽きてしまうだろう。
けれど――城や宿で食べたものよりも、何倍も美味しく感じられた。友歌はただ口と手を動かし、皿にあるものを消化していく。
と、何故かサーヤが目を見開き、慌てだした。
「ど、どうしましたか精霊様…っ!?」
「え、…………?」
顔を上げると、頬がひやりと冷たくなった。スプーンを持っていない手で触れると、濡れた感触が指先に伝わる。
ボロボロと、友歌は涙を流していた。声の漏れない、ただ瞳が水を流しているだけの現象。
思わず手の甲で拭う友歌だったが、サーヤが慌てて膝をつくと、エプロンから取り出したハンカチのようなもので頬を叩くように水分をとる。されるがままの友歌だったが、涙は流れ続けた。
焦ったサーヤだったが、友歌が平然としているのを見て、苦しみなどの負の感情からではないと当たりをつける。困ったように涙を拭い続けるサーヤに、友歌は目線を逸らした。
「…止まりませんね。」
「……ごめんなさい。」
「いいえ、感情がコントロール出来ない時もありますよ。」
ぽんぽんと頬に当たる布の感触に、友歌は素直に拭き取られ続ける。一方サーヤも面倒ではなさそうで、楽しんですらいるかのように笑みを浮かべて作業を止めない。
それから数分、ようやく涙が止まり始める。優しく拭っていたとは言え、瞳は少し赤くなってしまっていた。
「…水を用意しましょうか。
腫れたままの目では、レイオス王子や家の方々を心配させてしまいますから。」
サーヤがハンカチを手に持って退室し、友歌は目の縁《ふち》に触れた。たしかに少し熱を持ったそこは、いつもと触った感触が違う。
そのままなぞりつつ、友歌は少し冷めてしまった食べかけの夕食を見つめた。城で出るものとも、宿のものとも違う味。
――懐かしいと、思ったのだ。
入っている具材も、味付けも、作った人も違うはずなのに、友歌は自らの家族を思い浮かべてしまったのである。料理が得意なのは父親の方で、歌手である母親は不器用なこともあり、あまりやりたがらなかった。
次いで上手なのは兄であり、その次に友歌とくるが、そこは料理経験の差だろう。祖母は、文句なしにプロ級の腕前だったと記憶していた。
――クロナの料理で、色んな思いが涙となって流れたのである。それは完全な不可抗力で、抑えられるものでもなかった。
(…そういや、こっちに来て…料理なんてしてないな。)
城には料理人がいた。それは彼らの仕事で、友歌がそれを奪うわけにもいかなかった。また、精霊様の口に合う料理を作ろうと必死になって、技術の向上に繋がったり城お抱えとしての驕《おご》った部分が解消された面もある。
友歌が作るのは、周りに作る人がいなかった時だけだ。忙しい両親は言うまでもなく、兄までもが出かけてしまった時などは、友歌に順番が回ってくる。
目の回りにやっていた手を下ろし、友歌はじっと皿を見つめる。そして、スプーンで掬ってもう一度口に入れる。
冷えていても、やはり“なつかしい”という感情が湧き起こる。涙腺はもう緩みそうにはなかったが、それでも感傷的な気分になる。
(…たまには、歌だけじゃなくて…料理も、してみようかな。)
そこまで考えて、ここ一週間は移動ばかりで本気で歌えていないことに気付き、友歌は落ち込んだ。練習さえきちんとやれていない喉は、おそらく歌いづらいものになっているだろう。
サーヤが戻ってくるまで、友歌は喉をさすりながら料理を見つめ続けていた。
*****
「…晴れた。」
友歌が目を覚ますと、外はすでに明るくなっていた。伸びをして起きあがれば、体が目を覚ましていくような気分になる。
ふと目元に手をやると、大した違和感もなく肌の上を滑り、友歌はよし、と頷いた。サーヤのおかげで、どうやら目を腫らすようなことにはならなかったらしい。
ベッドから下りれば、床がキシリと音をたてる。窓に寄ってそっとカーテンを開ければ、まだ地面は少しぬかるんでいるようだった。
(…今日はもう出発するのかな。)
レイオスと騎士達との話は長くかかるらしく、サーヤは友歌に眠るよう諭されたのである。よって、友歌は話し合いの結果を知らない。
ぼうっと外を見ていると、少し騒がしくなってきたのに気付き、見れば、遠目に見える民家で人が集まっているようだった。情報収集のためにか、慰安部隊の騎士の姿もちらほら見える。
なんだろうと首を傾げていると、ぱたぱたと廊下を走る音が聞こえた。友歌が振り返るのと同時に、サーヤがノックをしてすぐ入って来る。
普段なら返事を聞いてからが礼儀なのだが、サーヤは切羽詰まった表情をしており、それを言うタイミングはない。急ぎの用らしいサーヤに、友歌は嫌な予感がした。
「…サーヤ。」
「……はい。
感染者が、出ました。」
眉を寄せた友歌にサーヤは頷くと、答えを言葉に乗せる。友歌は一瞬沈黙すると、そう、とぽつりと呟いた。
――わかっていたことだ。一週間が目安と言われても、それは絶対ではない。
遭遇するのがたかたが数日早まっただけだと、友歌はざわつきそうになる心を抑え、冷静になるよう努めた。そんな友歌に少し落ち着いたのか、深呼吸をしたサーヤは厳し顔で部屋の中に踏み入る。
「着替えてください。
…この家をすぐに離れます。」
「?なんで家を…、」
「クロナさんが、疫病にかかりました。」
友歌は、頭の中が真っ白になる気分に襲われた。