055. 雨宿り
雨の降る中、友歌達の乗る馬車は進んでいた。雲は太陽を遮り、地面はぬかるみ足場が悪い。
精霊魔法で振動は抑えられていると言っても、動きがおかしいのはわかる。いつもより進みの襲い馬車の中、雨の叩き付ける窓に触れ、友歌は心配そうに外を眺めた。
「視界悪いなぁ…。」
ぽつりと呟かれた言葉に、サーヤは頷く。
「昼食も兼ねて、そろそろ休憩に入ると思われます。
馬車が動かなくなったり、馬が怯えては元も子もありませんから…。」
その言葉を肯定するかのように、馬車はゆっくりと停止した。
*****
城を出発してから一週間。サーヤの計算によれば、そろそろ疫病の流行っている場所に突入する頃である。
けれど、ここ数日の天気が嘘のように朝から雨が降り、進みが遅くなっているもの事実だった。もしかしたら、あと数日はかかるのかもしれない。
小さな村に辿り着いた一行は、事情を話しに騎士の一人が民家へ走っていった。雨が降っていなければ休憩など何処でもいいのだが、今は屋根の在る場所でないとそれも難しい。
友歌達は馬車の中でその影響は受けないが、外で護衛をする三十人は芯まで冷え切っているはずだった。このままでは、いくら屈強な体を持っていると言っても体力は奪われ続けてしまう。
それでは、“これから”が持たない。――これから三十三人が行く所は、それでは耐えられないだろう場所だ。
数分後に騎士が戻ってくると、滞在の許可が出たことを報告した。それに皆が頷くと、その騎士が案内する家へと馬を進める。
着いたのは、見渡す限りで一番大きな民家である。そこには人影が、雨にもかかわらず外に出ていた。
それを窓から確認し、レイオスは自らの上着を脱ぎ、友歌に頭から被せる。
「、レイ…?」
「雨に濡れる…中に入るまで、そうしていろ。」
さらに上から防寒用の布を被せられ、友歌の上半身は重みに少し揺らいだ。なんとか体勢を立て直すと、レイオスとサーヤは同じく防寒用の布を頭から被っているところだった。
――レイの上着を被る必要があったのかな。
視界の上と両端に見える白と青の服をそっと支えつつ、友歌は首を傾げた。ほのかに暖かいそれは、確かに防寒用の布だけよりは雨は凌げるだろう。
けれど、レイオス自身は見るからに肌寒そうだった。今は冬月で、積もり月…雪が降り始めてもおかしくない時期なのだから。
本当は、先月の“降る月”に名前通り降り始めるはずなのだが、今年はどうやら春の精霊シュランが張り切っているようで、まだ初雪は拝めていない。
そんな友歌の視線にレイオスは気付かないのか、馬車が民家に横付けられるのをそっと伺っていた。そう寒くはないのかもしれないと思いつつも、友歌も外にすぐ出られるよう握っているそれらを引き寄せる。
「モカ、先に…。」
頷き、友歌は開けられた扉から外に出た。当たり前だが地面はひどくぬかるんでおり、泥が跳ねている。上等な服をこれ以上汚すのは気が引けて、友歌は小走りで家に滑り込んだ。
扉を開けていてくれ人とは別に、中に居た、気前の良さそう年配の女性が友歌にタオルを差し出す。友歌はそれを受け取りつつも、被った服と布は取らずに振り返り、二人を待った。
すぐに駆けてきた二人の後ろで、戸を開け続けてくれた若い青年も入ってくる。馬車は他の場所に置いてくるのか、カラカラと動く音が聞こえた。
「…騎士さん達は…?」
「隣の家も借りて、交代で護衛だろう。」
ばさりと防寒用の布を取ったレイオスは大して濡れることもなかったようで、そう言うと女性からタオルを受け取る。サーヤも同じく、気になるところと言えば、やはり足下に泥が跳ねてしまったことだろう。
レイオスは軽く足下を気にしながらも諦めたのかほうと息を吐いた。いまだ布と服をとれないでいる友歌をちらりと見ると、そっと手を差し出す。
「…濡れてはいないが、それは乾かす必要がありそうだな。」
言外に寄越せと言っているレイオスに、戸惑いながらも友歌はそっと頭上を覆っていたものをとった。――部屋に居る二人が、息を呑んだのがわかる。
髪と瞳の色には、五行か、珍しいが二大精霊の色が出るらしい。つまり、白と黒はあり得ないのだ。
黒髪と黒の瞳に目がいっているのを感じながら、友歌はレイオスに手を取られ、暖炉の近くの椅子に座らされる。ぱさりと頭にタオルを被せられ、レイオスはぽん、と頭を撫でた。
「さて…急な申し出にもかかわらず、受け入れてくださってありがとうございます。」
「え…あ、い、良いのです、こんなみすぼらしい家でよければ…っ!」
ぼうっとしてしまったことに気付いたのか、慌てて平服する二人。それに頭を上げるよう言うレイオスを眺めつつも、やはり王族は手の届かない存在なのだと改めて実感した。
――そして、自分は、それよりもさらに崇められてしまう肩書きなのだとも。
暖かな飲み物を用意しに行った女性と手伝いにいったサーヤを尻目に、扉を開けていた男性の視線が友歌に突き刺さる。瞬きをするのすら惜しいとでも言うように、じっと見つめてくる視線。
これが、“精霊”へ向けられるもの。二人が、城では厳重に遠ざけてくれていたものだ。
「…モカ、体は冷えていないか?」
「……、大丈夫。」
すっと、レイオスが友歌の手に触れた。どうやら男性との間に体を入れたらしく、痛いほどのそれは感じなくなった。
指先を探るように握る手をじっと見つめ、腕を辿ってレイオスを見上げると、真剣な顔で友歌の体温を探る目が射抜く。それを言葉を詰め、友歌は暖炉の火に視線を戻した。
互いに冷えてはいなかった手の平は、じんわりとした温《ぬる》い体温を伝え合う。――パチリ、と薪がはじけた。
「レイオス王子、精霊様、お茶を淹れました。」
コツリと靴を響かせて、サーヤが三つの湯気の立つ三つのカップを持ってくる。後ろから着いてくる女性が恐縮そうに肩を縮めているところから、どうやら仕事を奪ったらしい。
スルリと離れた指先に、友歌をレイオスはカップを受け取った。けれど、いつもより熱く感じるそれに、友歌はぱちくりと目を瞬く。
それを目敏く見つけたらしいサーヤは、小さく息を吐き出した。
「それが熱く感じるなら、冷えている証拠です。
いつもと同じ茶葉で、いつもと同じように淹れましたから。」
「…………。」
「ふむ…俺も冷えていたか。」
じっとカップを見つめる友歌に、ぽつりと呟いたレイオス。サーヤは苦笑を浮かべると、キッチンを使わせてもらったお礼を女性に言った。
じわりと熱が指先に移ってくるのを感じて、友歌は頬を綻ばせる。知らず、気温の変化に体温は奪われていたらしかった。
友歌はカップで暖をとっていたが、レイオスはすぐに飲み干したらしく、サーヤに空になったそれを手渡した。少し熱くなった息を吐き出しつつ、レイオスは背を伸ばす。
「すまないが、質問を良いだろうか?
ここはまだ無事のようだが…感染の規模などはわかるだろうか。」
「は、はい。」
レイオスの言葉に、女性は頷く。戸惑ったように口を開き、言葉を選ぶように話し始める。
「確かに、此処ではまだ疫病の患者は報告されていません。
ですが、三日ほど前には、ここから二つほどいった街で広がり始めたようです。
だいたい…一週間ほどで次の集落で、新たな感染者が見つかっています。」
「…一週間。」
厳しい顔で呟いたレイオスに、友歌とサーヤは表情を厳しくした。一週間ほどとは言っても、所詮気休めなのである。
そして、ここから一つ先へ行った街には、今夜泊まるはずだったのだ。もう、疫病の感染範囲は目の前と言っても良い。
「…すまないが、今夜は泊まらせてもらっていいだろうか。
……これ以上先に進むのは、話し合ってからの方が良さそうだ。」
「も、もちろんです!」
ブンブンと首を縦に振る女性を視界に収めつつ、友歌はようやくカップに口をつけた。多少温くなったそれは、友歌の喉を潤す。
――もうすぐ、疫病の真っ直中に向かうのだ。それに、知らず体を縮こまらせながら、友歌は暖炉の火を見つめ続ける。
雨足は止むことを知らず、窓を叩き続ける。それを遠くに聞きつつ、友歌はカップをぎゅうと握りしめていた。