054. 精霊様の対
くるりくるり、とレティは一人で舞っていた。足首を器用に回し、その流れのままに腕を回転させる。
視線はほぼ閉じられたままで、時折笑みを浮かべながら“もう一つ”に集中する。――レティは今、一人で舞っていながら、もう一つの存在とも舞っているのだ。
ふとそれが止まり、レティはゆっくりと目を開く。夜とはいえ、照明の付けられた部屋は明るく、一瞬目が眩んだのか目を瞬かせる。
それを邪魔しないように見ていた二人、アリエラとイルエナはパチパチと拍手をした。
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「間違える頻度が少なくなってきたわねー。」
「良い感じ…精霊様の方はどう?」
息を切らしながら二人の元に駆け寄ったレティは嬉しそうに笑い、二人が腰掛ける近くの椅子に座った。イルエナが暖かな紅茶を差し出すのを受け取り、さらに破顔する。
「調子よかったように思われます。
少し、疲れていたようですけれど…。」
「んー…やっぱり、移動しっぱなしっていうのが体力奪いそうね。」
神妙な顔をして分析するが、アリエラの手の中には菓子が握られている。暇があれば何かを口に入れているアリエラに苦笑しつつも、その言葉には心の中で肯定した。
――詳しいことまではわからなかったが、深くイメージすれば、顔色や声色という微細なものまで“思念の腕輪”は伝えることが出来る。流石に深層心理までとはいかないが、表面化するものは感じ取れるのだ。
レティが“見た”友歌は、ほんの少し疲れていたように感じられた。声にはあまり変化はなかったが、疲労は確実に溜まっているだろう。
表情を曇らせたレティに、双子は顔を見合わせて苦笑した。
「大丈夫よう、精霊様は。
と言うか…出発してまだ数日よ?そんなんじゃ、貴女がもたないわ…。」
「サーヤさんも着いている…何かあれば、治療が出来る。」
「…ですよね、サーヤが居ますもんね。」
ほがらかに笑うアリエラと、冷静な言葉を放つイルエナ。どちらの言葉にも納得は出来て、レティは素直に頷いた。
――そう、サーヤが傍にいるのだ。自分よりも精霊魔法を使いこなせる、サーヤが。
そっと右手の甲…緑色の紋様のある場所をなぞり、レティは小さく笑みを浮かべた。それにほっとしつつ、アリエラはまた両手の菓子を食べ始め、イルエナは紅茶を口に含む。
レティとサーヤは、父親同士が親友という関係で仲良くなった。引き合わされたのは物心が付く前で、もう覚えていない。
同時期に妊娠が発覚したことから、おそらくどちらかが男児として生まれたなら許嫁にでもされていただろう。けれど結果は、父親たちを少しがっかりさせることとなった。
――そうして、親同士の交流があるうち、レティたちは必然的に一緒に面倒を見られる。どちらかの家でパーティーがあれば一緒に遊ばされ、一緒に出かけることがあれば一緒に連れ回される。
幼馴染みと呼ばれる間柄になるまで、そう時間はかからなかった。幼い頃はお転婆で、動くことも大好きなサーヤと、今と変わらない大人しさで、サーヤの後ろをついて回るレティ。
正反対の二人は、逆にその相性の良さで仲良くなったのである。
「…サーヤは、なんでも出来ちゃうもんなぁ…。」
レティにとって、サーヤは羨望の固まりだった。今でこそそうでもないが、かなり内気だった幼いレティは、人前に出るのも、言葉をはっきり話すのも苦手だった。
サーヤは逆に、なんでも行動に移し、口に出した。欲しいものがあれば駄目もとで強請り、苦手なものがあれがすぐさまレティの後ろに避難し――もちろん、レティも半泣きでサーヤにしがみついたが――ぎゅうと抱きついた。
――しっかりしているサーヤは、やらなくてもいい精霊石での魔法の練習に許可を出され、レティはそれを見ているだけ。もちろん、今ではその頃の自分に精霊石が使えただなんて思わないが、それでも、幼いレティには“ずる”に見えて仕方なかった。
(…でもほんと、なんで精霊石使う許可出たんだろう。
難しいし、負担もかかるのに…やっぱおじさんが早めに慣れさせたかったのかな。)
サーヤの父親は、なんでも挑戦させるのが好きで、無理でもなんでもやらせたがった。あの人ならやりそうだと思いつつ、レティは菓子を口に運び、ほうと息を吐き出す。
ふと、双子の視線とばっちり合って、レティは狼狽《うろた》えた。
「な、なんですっ?」
「ん?なんかすごい考え込んでいるなぁって…。」
「眉間にシワ、すごかった。」
「うえっ!」
イルエナに指摘されぐりぐりと揉みほぐしつつ、レティは困ったように笑った。
「昔から、サーヤはすごく要領が良くて…。
若いうちから仕事に就くと、十五歳で精霊召還が出来るじゃないですか…その時も、サーヤは早くに慣れていったし。
…昔から、差を付けられっぱなしなんですよね。」
エルヴァーナでの成人は二十歳。けれど、働くことが可能なのは、十二歳からである。
幼い内から慣れさせないといけない専門職などは、吸収が早い子供から教えたがる。とくに、舞いや楽はいつから始めたが鍵となることも多いため、積極的な勧誘も行われているのだ。
もちろん、さらに幼い内から教えることは可能である。けれど、十二歳以上は“教育”ではなく正式な“仕事”となり、賃金が発生するのだ。
さらに、仕事上、精霊魔法が使えると便利なものも当然ある。レティとサーヤが就いている女中などはまさにそれで、精霊を宿しているかどうかで効率も任される仕事も変わるのだ。
そういう者のために、申請をすれば特別に、五年早く精霊召還が出来る。サーヤとレティもまさにそれで、女中となったことを理由に召還の許可を貰った。
――けれど、十二歳の頃から精霊石を使ってきたサーヤと、代わりに知識を詰め込んできたレティとでは、やはり実践的な意味で差はあった。それに劣等感を抱いたことはなかったが、それでも――、
「寂しい?」
「、…………。」
何時の間にか下がっていた視線を思わず上げると、アリエラがにこりと笑っていた。イルエナは我関せずで紅茶を一定のペースで消費しているが、無視をしているわけでないのは短い付き合いでわかっている。
アリエラの言葉を反芻《はんすう》し、戸惑いつつもレティは頷いた。――そう、寂しかったのだ。
物心付く前からずっと一緒に居て、ほとんど一緒に育ってきた。なのに、遠くなる背中に距離は縮まらず、こうして、…しょうがないことだとは思いつつも、レティは城でただ帰りを待つしかない。
同じ舞姫である友歌は危険なところに飛び込んで、王子という、レティよりも高い身分のレイオスは、文句も言わずに友歌と共にいる。同じ女中であるはずのサーヤまで着いていってしまった。
置いて行かれる、寂しさ。同じ場所から、同じように始まったはずなのに。
「…しょうがないんですけど。
単なる我が儘ですし…勝手に、私がそう思ってるだけですから。」
それでも、割り切れるものでもなくて。口を尖らせながら言ったレティに、アリエラが声を上げて笑った。
「天下の舞姫様がそんなことじゃあ!
言っておくけど、貴女も十分羨望の位置にいるのよぅ?」
アリエラが菓子を頬張りながらそう言うと、レティはぱちりと瞬きをする。それにイルエナは頷き、カップを置いた。
「“あの”精霊様と対の舞姫。
…差を付けられたと思っているのは、案外、貴女ではないかも。」
少ないとは言えど、精霊石を使う子供が全くいないわけじゃない。回りの大人達が素質有りと判断すれば、珍しいが稀少なわけでもない精霊石は簡単に手に入るし、使える。
――逆に、“舞姫”の肩書きを名乗れる者と比べれば、圧倒的に多いはずである。しかも、“精霊様”の対となれば…それは、どの歴代の舞姫よりも注目される。
「今じゃ、私たち“双子の舞姫”よりも名前、知られているのよ?」
「…う、嘘っ?」
「言ってどうするのよ。
あーあ、まだ先代なのに…もう話題を攫《さら》われちゃったわぁ。」
ぺろ、と舌を出して笑うアリエラに、レティは言葉を失った。けれど、それも当然なのかもと思い直す。
――史上初の、精霊の舞姫の対。それは確かに、少し遠慮したいことではあるが、誰もが羨む立場になってしまうのだろう。
考え込んだレティに、アリエラとイルエナは顔を見合わせてそっと笑った。――そう、案外、置いて行かれたと思っているのは、逆かもしれないのだ。
「うふふ、【春冬の祈願】が終わったころが楽しみね!」
「…求婚者多数…頑張って。」
「…………!!」
“春冬の舞姫”は、役割は終わってもずっと残り続ける肩書きである。身に覚えのあるらしい双子の遠い目に、レティは絶句してしまった。
――少し人数の少なくなった舞姫の練習は、こうして過ぎていく。双子の言葉に翻弄されながら、レティは皆の無事の帰還を心から願った。