004. ヒトガタ
「モカの様子はどうだった?」
夜、自室に入ってきたサーヤを迎え、レイオスは椅子に座ったままそう言った。招かれたサーヤは礼をした体勢のまま、静かに口を開く。
「夕食をお持ち致しましたが、すでに眠っておられましたので下げました。」
「そうか…やはり、疲れていたのだな。」
レイオスの言うとおり、友歌の顔色は少し悪かった。それを慣れない環境での精神的なストレスだと見たレイオスは、早々に部屋を後にしたのだった。
精霊が食事をするのかと疑問にも思ったが、もし大丈夫であるなら、人界のものも食べて貰いたかった。気に入ってくれたら良いと、レイオスは思ったのである。
けれど、睡眠は疲れた友歌の体を癒すだろう。明日でも問題ない、そうレイオスは予定を変更した。
「…ヒトガタの精霊、か。」
ぽつりと呟く言葉に、サーヤは反応しない。基本、動作を求められなければ動いてはいけないのだ。レイオスも返ってくるものを期待したわけではないので、ただ自分の思考に没頭する。
──歴史というものが始まり、記録されてきた時代から…初めての、ヒトガタを保てる精霊。誰しもが精霊は人間と似通った姿をしていると想像し、同時に形を持たないものだと思ってきた。
そうして誰もが精霊との対話を望み、けれどその身に宿す事だけで精一杯であった。その力を自在に引き出せた歴代の賢者達でさえ、それは叶わぬ幻想だったのである。
けれど、レイオスは喚んでしまった。喚べたのだ。ヒトガタの、女性の姿をした精霊を。
その時の衝撃は、三日経った今でも語り草だ。
ラディオール城の召還の間で、レイオスは星と円を描き、言霊を書き──言葉を放った。変わった事などしていない。その場を見守っていた全員が知っていることだ。
なのに──現れたのは、黒髪を高い位置で結んだ“ヒト”。誰もが、レイオスや王でさえ言葉を失った。
召還の音と光と共に現れたヒトは、ゆっくりとその形を成していく。描かれた陣から風が吹き上がり、それが髪を巻き上げ──収まったその場所では、ヒトが苦しそうに息を吐き出していた。
正気に戻ったのは、王座に居たレイオスの父だった。
「──レイオス!」
呆然としていた──見惚れていたと言っても良い──レイオスは、弾かれるようにヒトに駆け寄った。体を震わせるヒトは、今度は自ら光を発し今にも消えてしまいそうだった。
友歌の推測は正しい…召還の効果は数秒の間だけなのだ。それを、契約で固定しなければならない。その場の誰もがそれに気付き、騒ぎ立てた。──「ヒトガタの精霊が還ってしまう!!」
レイオスは友歌を抱き上げると、その頬に触れた。
「世界は常に我と共に在り、自然は常に我の隣に在る。
古き友であり近き存在よ、精霊よ。今ここに我は契約を願わん──、」
そして、一瞬の思案の後──その唇に、自らのそれを合わせたのだった。
通常、精霊と契約をするには“言霊”だけでいい。降りてきた精霊は光の玉の姿をしており、それに触れつつ先程の言霊を発するのだ。
そうすると、精霊はその者の身の内に溶け込み紋様を刻む。その紋様の意味は未だに解明されていないが、精霊を宿すことを示すとともに、位置を表しているt9という説が今のところ有効である。
けれど──その精霊が、“体”を持っていた場合はどうなのであろうか?
精霊は思念体である、というのは周知の事実。では、契約とはイコール形のないものを縛るものだという事になる。となれば、“肉体に邪魔されて術が作用しないのではないか”──…レイオスは、そう考えた。
だから、言霊の効力を友歌の体内に移した。表面ではなく、内面に作用するように。体だけではなく、魂ごと縛れるように。
体越しでも作用するのであれば問題はないのだが、“もしも”をレイオスは一瞬で考えついたのだ。
“もしも”が実際にどう効果したのかはわからないが、今のところ友歌は人界にいる。──そうしてレイオスは、史上初の精霊を手に入れたのである。
「…恋しいのだと。
もといた、場所が…。」
レイオスが、友歌の涙を見たのは二回。召還した際の、零れた涙。そして──部屋に訪れた時、思わず問いかけてしまった言葉への涙。
──聞かずにはいられなかった。専属の女中でもあり、信用の置けるサーヤを世話につけて、起きたら人界について知って貰うよう言付けた。友歌は、丸一日眠っていたのである。
精霊は基本人間とは馴れ合わないとされていたため、サーヤは本を渡すだけに留めたらしい。が──どうやら精霊は自らについても無知のようだと、レイオスは報告を受けた。
つまり──彼女は、全てにおいて真っ白な状態。
(…精霊は、降りてくる人間を選ぶと聞いた…だが、何も知らないモカが何故、オレのもとに…?)
精霊については、未だわからない事ばかりである。この世界が出来て何千年と過ぎているらしいが、それでもまだ、世界の礎であるという精霊の事は疑問に溢れている。
そして──ヒトガタの精霊を持つレイオスは、それを解明する手段を得た事になる。姿を持たない今までの精霊と、姿の持てる自身の精霊。二つの異なるものがあれば、それがわかるかもしれない。
レイオスは、友歌を傷つけない形でそれらが知りたかった。──もしかしたら、召還は精霊を苦しめているのかも知れないと、レイオスは友歌を喚んで考えたのである。考えついて、しまった。
(──…モカは、苦しんでいた。)
召還の儀式で、息も絶え絶えに体中を震わせて。段々浅くなるその命は、決して還ろうとしていたからだけではない事を、間近にいたレイオスは気付いていた。
もし、召還が精霊の望んでいない事ならば?
──実際、精霊と話など出来なかったのに何故、精霊が召還者を選ぶなどとわかったのだろう。
もし、召還が精霊の苦痛となる事ならば?
──精霊は、世界そのもの…それをわざわざ、利己のためだけに利用するのか。
レイオスは、誰も考えたことすらない領域に、足を踏み入れたのだった。他の誰でもない──己の喚んだ、“精霊”によって。
美しい顔を歪め、レイオスはため息を吐いた。
もう一つ、知りたい事がある。──普通ならば、精霊は召還者と共に在るものだ。契約を鎖として、召還者の紋様に宿る。場所は決まっており──額、鎖骨の真ん中、鳩尾、両肩、両手の甲…その七カ所のいずれかに、その紋様は現れる。
けれど、レイオスにそれは現れない。それは、精霊自身が特別だからなのか──やり方を知らないのか。
紋様は、契約と共に精霊が刻むものとされている。ならば、交流を持ってこなかったのであろう精霊は知らなかっただけなのか──その紋様すらも、契約が描かせているものなのか。
レイオスは、友歌がなんの属性なのか知りたかった。それによって、調べなければいけないものが変わってくるからだ。
(…オレに何をさせようと言うのか…春の精霊シュラン、冬の精霊リュートよ。)
エルヴァーナ大陸に、友歌の存在は知れ渡った。レイオスの父が──王が、広めたのである。
史上初の、ヒトガタを保てる精霊を我が息子が降ろした、と。それは、レイオスが、ひいてはラディオール王国がその精霊に選ばれたのだと、暗に知らしめるため。
必要である事はわかっている。レイオスも考えた通り、精霊の存在についての解明はいつかは確実に日の目を見るし──外交の手段にもなる。
今、世界に戦争はない。けれど、いつ起こっても可笑しくなどないのだ。にらみ合いの状態──冷戦である。そんな状態の中、友歌の事は国民に希望も与える。
「…………。」
サーヤが静かに頭を下げている部屋で、レイオスは考える。
自分と、自分の精霊にとっての最善の道を。友歌は、レイオスの精霊である。レイオスが惜しみなく護り、支えなければならない、自分だけの精霊である。
──それは、自分のところに降りてくれた、友歌へ返せるものを探す事でもあった。




