047. 地のライアン
「王子、新しい資料をお持ちしました…!」
「そこに置いてください、あとこれを父上に。」
「はっ!」
素晴らしい勢いで敬礼した騎士に、ライアンは目を遣ることなく手元の本を読み、メモを取り続ける。騎士も気にした風はなく、即座に書類を持ち部屋を飛び出して行った。
ライアンの私室であるそこは、床まで埋めつくすほどの本と書類で埋まってしまっている。けれど、ライアンは迷うことなく次から次へと本を手に取り、メモを取る作業を止めなかった。
(――くそ、見つからない…!)
舌打ちをしたい気分に駆られながらも、ライアンは口をきつく結び、作業を続ける。けれど、いっこうに成果の見られないそれに、ついに椅子にもたれかかったのだった。
*****
ライアンがガウリル王より疫病の調査を命じられたのは、疫病のことがあがってすぐのことだった。まだ一週間しか経っていないが、ライアンは城の誰よりも不眠不休で働いている。
王は今、内政より外交で忙しい…友歌が降りてきたからというのもあるが、何より今は冷戦状態なのである。ラディオール王国が平和だからと言って、巻き込まれないという根拠には繋がらないのだ。
疫病のことを気にしていたら外から攻め入られるかもしれない。けれど、外ばかり気にして内から崩れても元も子もないのである。
そこでガウリル王は、知恵を司る地の精霊を宿し、かつ次期国王となる丁度良い人材のライアンに、疫病の対策を命じたのだった。
(とは言っても…量が多すぎますね。)
ふっと息を吐き、いつの間にか用意されていた紅茶を流し込む。すっかり冷めてしまったそれは、逆に少しだけ体を冷やしてくれた。
目線を下にやれば、病気や感染病のことが書かれた医療の本が視界を埋め尽くす。所々、メモをとった紙まで落ちている。
その一つを拾い上げ目を通しながらも、頭の中では様々な思考が飛び交っていた。
(報告では、致死性の低いものと書かれていますが…さて。)
致死性が低いと言っても、侮ることは出来ない。周囲の環境によって、同じ病でも発揮する威力が違うことは知られていた。
特に、貧しい民たちの集落では、それらは特に強く人に作用するのである。そして、子供や高齢の者の方が、若く体力もある者たちとは違って罹《かか》りやすく治りにくい人が多いというのもわかっていた。
そして、ラディオール王国ではそこまで差はないが、民の大半はその貧しいとされる民なのである。国の礎《いしずえ》である彼らが倒れては、全てが上手くいかなくなってしまうのだ。
それを歴史から学んでたライアンは、流行病と呼ばれるものの怖さをよく知っていた。そして――それを防ぐ術があまりにも少なすぎることも。
(時間が足らないな…。)
城の女中達に運ばせた書庫の本は、読んではすぐにもとの場所に返していっているが、それでも膨大な量がある。そしてそのどれもに、明確な解決策は載っていないのだった。
数十年前に一度、似たような症状の病が流行ったようだが、その時は大した広がりも見せずに沈静化している。それに、“似た”ものであって同じではなかった…それは、調べた水の精霊使いが証言していた。
基本的に、治療は水の精霊使いが得意としている。ものを安定させる力は、体にも通じる所があるからだ。
また、生物の体の大部分は水分を保有しているらしく、水の精霊の能力が及びやすいというのも理由の一つである。――その体の水分に、水の精霊を同調させることで、診断をするのである。
それを応用させ、数十年前のその病を診たことのある精霊使いに、今回の疫病も診させたのである。もちろんその精霊使いにも危険が伴うことではあったが、リスクなしでは先には進めない。
結果、別物であることがわかったのである。参考には出来るだろうが、根本的には意味がなかった。
(感染源を調べなければ意味がありませんね…何から害が及んでいるのか。)
数十年前のそれは、どうやら動物からの感染だったようである。山で不可解な死に方をしていた動物を診た水の精霊使いが、似た物質を感じ取ったのだと言う。
その報告を受け、数ヶ月の間動物との接触を禁じると、病はすんなりと形を潜めたのだった。けれど、今回は動物を調べさせても、何も得られるものはなかった。
そのことに苛つくライアンだったが、普通ならば一週間程度でここまで辿り着くのは不可能である。それを可能にさせたのは、ライアンの使えるものは使う主義に他ならなかった。
自分一人で手の回らない所は、人に放り投げる。自分が出張らなければいけない所は、これでもかと手を出す。
そのお陰で主要な情報は最初の数日で集まったし、知識欲が講じてかもともと数十年前の病気のことも知っていたためすぐさま精霊使いを派遣出来た。けれど――それでも、時間が足りなかった。
ラディオール王国は広大である。情報を行き渡らせるのにも時間が必要で、反応を知るのもまた時間が要るのである。
この世界では、“最新”と呼ばれる情報が一月前であってもまかり通ってしまうのだ。けれど、今は、そんな悠長なことを言っている暇はない。
――コンコン、
扉をノックする音に、ライアンは顔を上げて返事をする。入ってきたのは、レイオスの専属女中サーヤだった。
その手には紙の束が握られており、サーヤはそっと頭を下げる。
「精霊使いからの新しい情報です…レイオス王子からのものもありますので、同時に持ってきました。」
「ああ、ありがとう…そこら辺に置いておいてくれ。」
そこらへん…、と口の中で呟いたサーヤは、きょろりと視線を彷徨わせた。が、視界に入ってくるのはどれも本で埋まった机ばかりで、サーヤは仕方なくそろりと足を進める。
不用意に触れて雪崩が起きないかとびくびくしながら、サーヤは唯一広く取られているライアンの執務机にそれを置いた。
ライアンも予想の範囲内だったらしく、ただ熱心にメモを清書し続けている。
「感染者は五千人を超えたようです。
奇跡的に、まだ死人は出ていませんが…時折、意識をなくす者もいるようで、時間の問題です。」
痛ましい表情をしながら呟いたサーヤを横目で見ると、ライアンはメモを放り、腕を組んだ。
「意識不明…ね、ありきたりに寝しまっていたとか、」
「瞳は開いているのですが、返事も反応もなくなるようです。
呼吸も正常なので…意識と言うより、意思が消えてしまったかのようで。」
サーヤの仕事は、城の噂話や情報を知ることも含まれている。人の口に鍵は付けられず、また疫病のことを調べるために人が頻繁に出入りすることから、城では限りなく真実に近い様々な話が飛び交っているのだ。
それを個人的に整理し、纏めたものをレイオスとライアンに話しているのだった。もちろん噂の域を出ないものがあるのは当然だが、それでも二人はサーヤの情報を貴重には思っている。
女性の噂話ほど、浸透率の高く素早い情報源はそうそうない。ちなみに、レイオスの女中であるサーヤがライアンにまで情報を教えているのは、他ならぬレイオスの民にだからだ。
実際はもっと詳しく、サーヤ自身が持ってきた書類に書いてあるのだが、床に所々落ちているメモを見ると、不安になるのも無理はなかった。
重要なものとは言っても、ライアンの中で優先順位の低いものは、流し読みされただけで当然のように後回しにされるのである。もちろん無駄な情報ではないし、大事なお知らせがあったりもするので、サーヤとしては要点だけでも、というこのなのだろう。
しかし、あくまで噂話のため間違っていることも否定できないので、やはりもっとちゃんと読んで欲しいと思うサーヤである。
「…やはり、以前の病とは別もののようですね。」
「おそらくは…断言は出来ませんが。」
こくりと頷いたサーヤに、ライアンは深々と息を吐き出した。――ライアンの懸念は目下、疫病のことであったが、もう一つ頭の片隅に残るものがあった。
「…精霊殿の方はいかがかな?
心ない噂のせいで心を痛めていたりとか…。」
“不完全な舞姫”…そんな言葉が、友歌の代名詞として通じていまうくらいには、魔法が使えないという事実は重く受け止められていた。
今までの舞姫がそんなことはなかったため、余計に風当たりが強いのである。――もちろん、それでも“精霊様”であるという意識の方が強いのだが。
ライアンの心配そうな表情に、サーヤはにこりと笑った。
「最近は、舞いの練習で気にするどころではないようですよ。
息を合わせる練習というのは、難しいようで…。」
「なるほど…なにであっても、気を紛らわせられるのは良いことだ。」
頷いたライアンは、再び手の中のメモに目をやると、クシャリと握り潰す。
「――とにかく、まずは予防だな、
精霊殿とレイによろしく言っておいてくれ。」
「了解いたしました。」
そっと礼をしたサーヤは、音を立てぬよう部屋を出た。それを見送り、ライアンはまた新しい本を開き、内容を新しい紙にメモっていく。
――どれだけ調べても終わりの見えないそれに、けれどライアンが不用意に手を休めることはなかった。