045. 間違い探し
世界は繋がっている。それは変わりなく、どんなに遠い場所にいても、同じ空が見下ろして、同じ大地に立っていられる。
けれど、その世界自体が違ってしまったら、もうどうしようもない。どれだけ似ていようと――どれだけ思い込もうと、全くの別物なのである。
そして、似ているがゆえに、違和感がない。違和感のなさは、別世界にいるという無意識の嫌悪を、麻痺させる。
「あの、どうかしましたか…?」
「大丈夫!なんでもないよー、レティ。」
にこりと笑った友歌に、レティは納得はしていないようだったが、友歌は構わず笑い続けた。
*****
「うーん…キレがないわねぇ。」
舞いとは、細かな動作の必要とされるものである。指先から足先までの流れを滞《とどこお》らせることなく、滑らかに、水を連想させるように。
停止の動作はそういった表現をする時のみで、それ以外は動き続けるのが望ましい。そして、友歌が舞うのは精霊への献上の舞踊であり、それを忠実に実行しなければならないのだ。
習い始めは、舞いよりもその動作に慣れることから覚える。その簡単な動きを見ていたアリエラは、難しい顔をして唸った。
「すみません…ちょっと寝不足のようで。」
「んー、休憩にしましょうか。
無理にやり続けても変に覚えちゃうし…イルエナ、そっちはどう?」
くるり、と手首を回しながら言った友歌に、アリエラは頷く。くる、と振り向いた先には、レティとイルエナが同じように動きを確認していた。
「良い感じ…レティ、休みましょう。」
「あ、じゃあお茶用意してきます!」
元気に頷いたレティは、いつものように壁際に立っていたサーヤのもとに駆けていく。話は聞こえていたのか、サーヤと少し話すと、すぐに廊下に出て行った。
それを見送っていると、友歌は急に頬を掴まれる。
「!?」
「顔色悪いわよー?」
ぐい、と顔を近付けたのはアリエラだった。イルエナも同じように目を覗き込んでいる。
それに友歌は引きつった笑いを返すが、アリエラは目に入っていないかのようにじろじろと顔を眺めた。
「ちょっと色々考え事を…。」
「…、魔法が使えないこと?」
ズバリと言ったイルエナに、友歌は苦笑を浮かべる。それを肯定を受け取ったらしい二人に、友歌は少し気分を沈めた。
――嘘ではないし、本当でもない。ぐるぐると渦巻く思いは、確実に友歌の中に溜まっていく。
「舞姫のこともよく知らない人たちの言葉なんて、聞き流しちゃいなさい。」
「役割はただ一つ、舞うこと。
舞姫にとって魔法を使うことは、ただのオマケ。」
「…わかってはいるんですが…。」
――オマケであっても、逆に、なくて困ることもないはずなのだ。友歌は複雑そうな顔をした。
二大精霊の欠片は、尋常ではない力を秘めているのである。それはおそらく、潜在能力だけならどの精霊使いにも負けることはないだろう。
精霊の力は、人間の手には及ばない。歴史を辿り、精霊を一番扱えた者がいても、それは力を使いこなせたことと同意ではないのだ。
舞姫とて同じこと。けれど、欠片は精霊とは違い、文字通り“全”ではなく“片”。言うなら、力そのものである。
舞姫という器に入った、精霊の力。舞いを踊るだけでその力が解放されると言うなら、
――魔法を使うことを意識したほうが、力がきっと、浸透しやすいはずなのだ。
「もうっ、頑固ね!
先輩の言うことは素直に聞きなさいよ!!」
「それが出来たら苦労してません…。」
「…前向きに考えろとは言わないけど、後ろ向きもどうかと思う。」
「そうよもっと言っちゃいなさいイルエナ!」
(…なんで私は二人同時に責められているんだろうか…。)
――イルエナはレティの指導だったはずだ。友歌はそう思いながらも、首だけは素直に頷かせておく。
心配をかけていることは、よくわかっている…自分でも最近、調子が悪いとは思っていたのだから。食欲だけは衰えていないのが、体を今までと同じように動かしているということも知っていた。
これで食べることすら億劫になってきたら、一気に体がなくなるだろうことも。けれど、城の食事は日を増すごとに美味しくなっており、そう簡単には食べることをやめないだろうとも思っている。
限りなく地球に近い味。それは、別世界において、確実にもとの世界を思い出せるものの一つと言っても良かった。
(…食べるのだけは、…歌うことだけは、やめちゃ駄目だ。)
食事をやめること。地球の味を口にしなくなること。
歌わなくなること。地球の音を思い出さなくなること。
――それこそ、地球から離れてしまうことのように思えて。
未だ咎めるように寝不足のことや、耳がタコになるくらい言われてきた舞姫のことを聞き流しながら、定期的に首を縦に振りつつ、友歌はぼんやりとしていた。
――カチャリ、
「そこまでになさってください、お茶をお持ちいたしました。」
「今日はふわふわのお菓子です!」
ワゴンを引いてきたサーヤとレティに、二人の口が閉じられる。それにほっとした友歌だったが、それは運悪く感じ取ったらしいアリエラに睨まれた。
笑みで誤魔化しながら、友歌は二人に近づく。釈然としない空気を後ろから感じつつも、友歌は振り返らなかった。
*****
「そろそろ舞いでも覚えてみる?」
五人で席に着き一息吐いていると、アリエラがふとそう言い放つ。反応下のはもちろん友歌とレティで、友歌は驚いたように、レティは憂いそうにアリエラを見た。
「…良いんですか?
まだまだ、滑らかな動きに自信は持てないんですけど。」
「基本的に舞いの中で使えないと意味はないし、慣れてきたらで良いのよこんなの。」
こんなの…と友歌とレティが口の中で反芻《はんすう》すると、イルエナがコトリとカップを机に置く。
「腰の重心に注意すること、全身を意識しながら動くこと。
この一月、そればかりやってきた…身に付いてはいると思います。」
「ほらね、先輩の舞姫二人のお墨付き!
とにかく、休憩終わったら始めるからね。」
問答無用の空気に、友歌とレティは唖然とお互いを見つめた。けれど、短いながらも、双子の舞姫が言い出したら聞かないこともわかっているので、お互いにそっと頷いた。
「…それって、私が見ていても良いのでしょうか?」
不安そうに声を上げたのはサーヤである。――今まではただ、動き方を教えていただけだったため、サーヤも部屋に居ることができた。
基本、舞いの練習は先代と、次代の4人で行う。もちろん秘密厳守の意味もあるのだが、練習に邪魔が入らないようにと、舞いを教える者と教わる者は変わらないということで、そうなっている。
サーヤがいるのは、精霊たる友歌が選ばれたからだ。お茶を用意するのだって、一歩廊下に出れば部屋を守護する騎士がいるため、一言声を掛ければ良いだけのことである。
けれど、舞いを教えるということは、サーヤもそれを目にしていまうこととなる。それを心配したようだったが、アリエラとひらひらと手を振り、イルエナは気にも留めずに菓子を口に入れた。
「どうせ覚えていられないもの、どうってことないわ!」
「…良いんですか?」
「精霊様の近くに居るのが、貴女のお仕事でしょ?」
そうアリエラが言うと、サーヤは嬉しそうに笑う。それは本当に輝かしい笑みで、友歌は俯いた。
それを目敏く見つけたアリエラは、友歌の背中を叩く。
「なに、照れてるの?
大事にされてること、わかったんならちゃんと寝なさいよ!」
「…わかってます。」
大切にされている、そんなことは知っていた。サーヤが、精霊としての友歌ではなく、“個”としての友歌を見てくれるようになっているのも気付いていた。
だからこそ、後ろめたいのである。
4人で話しているのに相づちを打ちながらも、友歌の心は重い。けれど、笑みだけは張り付いたまま。
――心と体が離れていくような錯覚に捕らわれながら、友歌はさらに笑みを深くしたのだった。