044. 遠き君
レイオスは息を吐き、椅子にもたれかかった。机に山積みにされた本はそれぞれ砦を築き、バランスを崩せば一気に雪崩が起きそうなほど。
すでに深夜と呼べる時間は過ぎ、もうすぐ空は明るくなり始めるだろう…――徹夜だ。レイオスはそっと米神を揉みながら、読み終わった本を山の一つに追加する。
(…見つからない、な。)
机の上の、数えるのも億劫なほどの本を睨み、レイオスはため息を吐いた。
*****
レイオスが調べているのは、他でもない、舞姫と欠片の関係性――友歌の魔法が不発になる原因だった。一月ほど前、泣きそうな顔をしていた友歌の顔は、今でも頭から離れない。
けれど、どの本を見、有能な精霊使いに話を聞いても、力が集まる気配すらないのはあり得ないことだということしかわからなかった。
――友歌が、精霊だから。
結局はその言葉にしか行き着かない。どれだけ探し続けても、解決策らしきものは見つからなかった。
(前例もない…何故、欠片は反応しないのだろうか。)
考えても答えは出ない。仮説は立てられても、実証できなかった。
寝不足のせいもあり、苛つき始めた自分を諫《いさ》めながら、レイオスは大きく息を吐き、吸い込む。新たに入れ替えられた空気は冬のカラリとした冷たさを含み、その苛立ちごと冷やしてくれたような気分になった。
――コン、
「サーヤです。」
「入れ、」
音を立てずに入ってきたサーヤは、ワゴンに軽食を乗せていた。深夜に訪れた時から変わっていないレイオスの様子にやっぱり、という顔をしながら、静かに扉を閉める。
「多少はお休みください、体に悪いですよ。」
「だが、早く見つけてやらねば…。」
「城の精霊使いも探してくれています。
あなたが倒れては、精霊様が気に病むのですから。」
カチャ、と紅茶と消化に良い調理パンを置いたサーヤは、すでに読み終わったであろう本を部屋の隅の長机に置いていく。その長机も、もう何日も前から置かれ続けている本で埋まりそうだった。
サーヤの一言に息を詰めたレイオスは、項垂れるように机に突っ伏す。――ガウリル王もまた、城に仕える精霊使いに友歌に関する事を調べさせていた。
友歌が精霊であるから、魔法は使えない。確かに、城にはそういう空気が流れている。
けれど――友歌自身が“魔法を使いたい”と願うなら、話は別なのだ。友歌がヒトガタである以上、紋様という見える形で縛ることが出来ない。
そうなると、友歌の望みを叶えていかなければ、いつ愛想を尽かされるかわからないという恐怖もまた。ラディオールには付きまとう。欲を満たすことで、ラディオールに居着いて貰おうという魂胆である。
その考えもレイオスは気に入らなかったが、一人で探すよりは効率がよく、黙認している状態だった。
何より今は、疫病のこともある。うっすらとだが、舞姫の不完全さに原因があるのではという根拠のない噂まで上がってきていた。
疫病のことにはライアンがあたっているため、レイオスはどちらにも関係することだとばかりにここ数週間、本の山と格闘していたのだ。
「さあ、まずは休憩なさってください。
疲れのとれる薬草を入れておきましたから。」
サーヤの勧めるまま、レイオスは紅茶を口に含んだ。温かな甘みが、じわりと口の中に広がる。
ほうと息を吐いたレイオスは、思いの外、休みを欲しがっていたらしい体から力を抜いた。首を回せばパキパキと骨が鳴り、どれほどきつい体勢を強いていたのかがわかる。
鳴り響いたそれに眉を下げながらも、サーヤは本を並び替えていく。そろそろ返却しなければ、書庫から精霊や舞姫関連の本がなくなってしまうのだ。
種類別に山を分けながら、サーヤはふと空《くう》を見つめる。目敏くそれを見たレイオスは、首を傾げながら椅子に座り直した。
「どうかしたか?」
「…精霊様が起きられたようです。」
レイオスの動きが一瞬止まり、手の平を額《ひたい》にあてた。
「最近、眠りが浅くないか…?」
サーヤが毎日、友歌の部屋にかける魔法がある。それは、水の精霊の得意とする、安定の特性を用いた魔法。
四隅に置かれた花瓶の水…それを使い、部屋の中を安定させ続け、外部からの干渉を防ぐものである。結界のようなそれは、友歌に害が及ばないようにと――友歌に異常がないかをサーヤが知るためのものだった。
流石に細部を知ることはできないし、友歌の機嫌も損なう可能性があるため、部屋の空気などを感じ取る程度のものである。
少し温度が上昇し、風の流れを感じ取ったことから、サーヤは友歌が“起きた”のだと判断した。
「夜更かしをすることも多いようです。
日常生活に支障は見られませんが…このままだと、慢性的な睡眠不足になってしまいますよ。」
「…………、」
難しい顔をして考え込んでしまったレイオスに、サーヤはそっと息を吐く。――すでになっている方が、目の前にいらっしゃいますが。
本人は気付いていないようだが、ここ最近、顔色が悪くなってきていた。間違いなく、寝不足による貧血だろう。
けれど、レイオスがそうなったのも、友歌にそういう兆候が表れてからだった。友歌が何かに気を取られ自分を疎《おろそ》かにすると、まるで、自分もそうでなければならないかのようにレイオスも自分を後回しにする。
――やらなければいけないことがあるのは、わかる。時には、多少無理をしてでも完遂させなければいけないことがあるのも。
けれど、それをし続けるのは、それは少し違うだろうと、サーヤはそう思っていた。
(…そろそろ、注意しに行くべきかしら?)
サーヤが表立った忠告をしないから、友歌が無茶をするのだということには、うっすらと気付いている。けれど、気の済むまで悩んで、そうして得られることがあるのも確かなのだ。
――逆に、そのまま潰れていってしまうものもあるのだけれど。
二人して考え込んでしまった部屋には、重たい沈黙が降りた。考えても、すぐ答えが得られるわけではないと知りながら、口を閉ざさずにはいられない。
「…今夜から寝付きに良い薬草を、もう少し増やすよう料理長に頼んできます。」
「ああ、頼んだ。
効くかはわからないが…やらないよりは、ましだろうな。」
友歌すら気付いていない頃から、不調の前兆をサーヤは感じ取っていた。その頃から、眠りの深くなる薬草や、締め付けの少ない服を選ぶなど、試行錯誤はしてきたはずであった。
それでも、友歌の眠りは浅く、また、短くなっていってしまった。――ヒトガタであっても、人と同じ生活を送るのであれば、このままで良いはずがない。
心配事があるのだろうが、それを追求する術を、レイオスもサーヤも持っていなかった。直球で聞いてもかわされるだろうし、遠回りに聞いてもそのまま気付かぬフリをされるだろう。
――何より、踏み込みすぎて、さらに友歌を傷付けないか…それが不安だった。それは、お互いがわかっている懸念である。
「…結局、何にも変わってませんね、私たちは。」
呟かれた言葉に、レイオスは沈黙で返した。――出会ったときから、一瞬、尻込みしてしまうのは変わらない。
隙を見せれば、足下を掬われてしまう王子。女中という、一歩下がった所から主人を支える存在。
どちらも、一歩入り込んだ場所での身の振り方に慣れていなかった。今でこそ心の底から信頼し合っている二人であっても、お互いにじりじりと摺り足をしながら歩み寄ってきたのである。
「――――――――、」
「…どうしました?」
「いや、……。」
ふと、レイオスが胸の辺りに手をやった。不可思議なその仕草に、サーヤはそっと首を傾げる。
けれど、レイオスもよくわかっていなかった。ただ、少し、胸の奥が痛んだような気がしたのだ。
苦しい訳ではなく、じわりと滲《にじ》むような、ともすれば掻き消えてしまいそうなほどに小さな痛み。
――空はすでに白み、一日が始まろうとしていた。けれどレイオスは、気のせいだと言われれば納得できてしまえそうなその違和感に、いつまでも胸に手を当てていた。