031. 朱月の顕現【下】
螺旋《らせん》を描き降りてくる二つの光は、それぞれの軌跡を残していく。つかず離れず、くるくると降りてくる光に友歌は釘付けだった。
涙は止まらず、ただその光を、朱月と蒼き傘を目に焼き付けることしか友歌は出来ない。
まったく同じように降りてくる光──まるでシュランとリュートを表しているみたいだと、友歌は思った。けれど決して間違いでもないのだろう…静かなその光景は、荘厳さを感じさせる。
「何度見ても素晴らしいな…。」
ライアンの呟きに答えようにも、友歌の口は縫い止められたかのように開かない。声を発しようとも思えず、ただ友歌は灰色の空を見上げ続ける。
胸の内が熱く燃えるようだったが、不快ではないそれに、友歌はぎゅうと胸の辺りの服を掴むことで耐えた。痛みではない──暖かさを感じる、熱さ。
*****
友歌は、宗教というものを信じていない。否定はしないが、それが自分を救ってくれるという事には頷く事が出来ないのだ。
“信じていれば救われる”なら、地球は宗教で染められていなければ可笑しいのである。それはつまり、大した効力はないのだという結論にいたる。
もちろん、大事な事であるのはわかっている。形はどうであれ心は安寧を手に入れられるだろうし、地球から排他されていない事から、同じように必要なのだという意味でもあるのだから。
けれど、友歌はその誘い文句が気にくわないのだ。“信じる”、“信じる”、“信じる”──さて、一体何を信じろと言うのであろうか。
万物の創造主、神様とやら?ならば、何故人は苦しむのか。神は気まぐれだからと言う人もいるが、その“気まぐれ”のためだけにどれだけ心を砕き信じ続けなければならないのだろうか。
人間の行き着く先、仏とやら?これも同上。慈悲深いとよく言うが、本当に慈悲深い人は自分に興味を持たなくても助ける者のことを言う。
友歌は宗教を信じていない。けれど、
(こんなの、見せられちゃったら…。)
この世界に精霊は居る、それは友歌もわかる。それはこの世界にとっては地球に重力があるのと同じくらい当たり前で、信じて良い──否、信じなければいけない事だ。
誰に“地球に重力はない”と言われても、子供すら気にも留めないくらいに常識。それは、世界の心理である。
けれど、精霊が人を助けると言われると、友歌は唸ってしまう。弁解をしておくと、全く信じていないわけではないが、それでも地球を知っている友歌からすればあり得ない事である。
存在するか実証出来ない神とは違い、精霊がいるのは明確であるため、比較をする意味はない。けれど、友歌はどうしても一線を引いてしまう。
人が魔法を使うのはわかる。それは、精霊から力を引き出している事で起きる現象だ。けれど、“自主的に”助けてくれるなんて、そんな事を高尚な存在がするわけないと友歌の脳が訴える。
世界は理不尽で、助けてくれるのは自分で築いてきたものだけで、自分で歩いてでしか道は出来ないのだ。──なのに。
(…なーんで涙が止まんないかなぁ。)
思ってしまう。自分にも、手を差し伸べられるのでは、と。──異世界から来た、異分子である友歌でさえも、そう思ってしまう。
そしてそれはきっと、この世界の住人全員が思っている感情。そしてそれが、友歌にぶつけられる、精霊という存在への重み。
改めて友歌は、己がとんでもないものと勘違いされている事を実感した。それがどんなに期待され、渇望される存在かも…。
(…こうやって、精霊への信仰が確立したのか。)
神よりも確かな奇跡を起こし、仏よりも深い眼差しで世界を見つめる。それは確かな現実だった──現に、精霊は今、目の前にそれを晒している。
軌跡を描いていた二つの光は、今やくるくると一定の位置で円を作っていた。どうやら、“探している”らしい。
そうして朱い光が城に向かってきた。朱い軌跡が尾を引く──そうして、友歌達のいる場所から少し離れた側に外側に落ち、見えなくなった。
「今回の【春月の舞姫】は、城の者から選ばれた、か?」
「…そのようです。」
冷静なライアンに、サーヤが答える。歓声がここまで届き、それにライアンとサーヤは頬を綻ばせた。
精霊を宿すライアンとサーヤは、朱月から受ける影響が人より大きい。それでも、二十歳という年齢で宿すからか、そこまで激情に駆られる事は少ない。
けれどやはり、胸も──宿す場所も、疼く。サーヤは左手の甲を、ライアンは右肩を空いている手で押さえながら、声の聞こえる方を見つめた。
けれど、全く気にした風もない友歌に気付き、サーヤは心配そうに眉を下げる。そんな様子も知らず、友歌はただ朱月を、残る蒼い光を見つめる。
胸がまだ、熱い──。
「あの、大丈夫ですか精霊様…?」
「…うん、平気。」
朱月が現れ、初めて発した声はかれていた。流れる涙は止まる様子もなく、サーヤはさらに顔を歪め、友歌に水分を摂るよう進言した。
自らの声も、サーヤの言葉も遠くに聞きながら、友歌は段々と体中に拡がる熱を持て余す。頭の芯はしっかりしているのに、まるで、そう──何かに恋い焦がれているような、不思議な感覚を友歌は感じていた。
「やはり、精霊様には直に衝撃が来るのでしょうか?
少しお休みくださいませ、」
「…座った方がいい、精霊殿。」
我関せずだったライアンも、やはり朱月の影響が心配なのか、友歌を覗き込む。そして、目を見開いた。
「…精霊、どの…?」
「…………、」
友歌はじっと蒼い光を見つめ、ゆっくりと手を伸ばす。意識は特にしておらず、言うならば、星が掴めそうだと思った時に思わず伸びてしまう腕のような。
けれど──決定的な動きだった。
「っライアン王子、光が…!」
サーヤの言葉に振り向けば、こちらに向かってくる蒼い光。それは、朱き光と同じく軌跡を残して──くるり、と友歌の周りで止まった。
ふら、とよろけたライアンは、サーヤに支えられ椅子に座り込んだ。目を見開き、その様子を見つめる。ライアンもサーヤも、その光に釘付けだった。
「…ま、さか。」
そんなライアンの呟きも聞こえず、友歌は目を瞬かせる。──まるで、夢の中にでもいたような気分だった。
自分を違うところから見下ろしているような感覚だったが、友歌は伸ばしていた腕を引っ込め、周囲を回る蒼い光を見つめる。
両手でようやく持てるくらいの、バスケットボールほどの大きさの光。かと思えば、テニスボールくらいに縮んだそれは、くるくると友歌の周囲を回っている。
小さなそれは自ら輝き、友歌の白と蒼の衣装どころか、庭中を照らす。友歌は唾を呑み込む。──蒼き光、冬の精霊リュートの使い。
(…綺麗。)
怖いものではない、苦しいものではない…ただ、暖かい。それは先程まで友歌の胸に燻《くすぶ》っていた熱に似ていた。
ふと、合点のいった友歌は笑った。──そっか、この光が熱の正体。
そっと傍に居る二人を見てみると、ただ呆然と光を見つめている。友歌は苦笑し、そっと手を差し出した。
ふよんと、まるで待っていたかのようにそこに浮かぶ光。握ってみると、生温い空気圧のようなものがそれを遮った。重みもなく、触れているだけでじんわりと心が温かくなる。
ピィ、と聞こえた鳴き声に目を向ければ、左肩に灰色の羽毛が見えた。再びピィ、と鳴いた小鳥も蒼い光に釘付けである。
「…お前にも、わかる?」
小首を傾げた小鳥は、けれど光から目を話さない。涙は収まったが、まだ雫が零れている瞳を瞬かせ、友歌はもう一度笑った。
優しい光、暖かい光。害のあるものではない──この蒼は、私に無理を強いない。それは世界の心理で、信じなければいけない事。──わかる、こと。
友歌が悟ったのに気付いたのか、再び浮かんだ光は友歌に近付く友歌はただそれを見つめ──蒼い瞳を閉じた。
じんわりと何かが胸に入ってくるのを感じながら、友歌は笑う。そして──ふっと意識を失ったのだった。




