025. 籠の鳥
セイラームを除く王族と食事をして数日、友歌は服についても学び始めていた。少し前までは、この世界の常識くらいにしか手を伸ばしていなかった友歌。
けれど、それだけではセイラームと上手く付き合えないだろう事に友歌は気付いた。友歌は、喧嘩を売ったも同然なのである。
もちろん、セイラームと“仲直り”したとて友歌にメリットはないだろう。友歌の全ては、レイオスのもとに権限があるのだから。しかし──レイオス自身には、おそらくそれが生じる。
兄と妹。たとえ友歌に直接関係がなかろうと、レイオスの精霊という立場にある今、間接的には影響があると思って良いだろう。
──友歌の勝手で、レイオスに負担をかけるのは友歌自身が許せなかった。
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友歌が服について学ぼうと思ったのは、セイラームがそちらに精通していると知ったからだ。近付くには相手の土俵の方が警戒を解きやすいし、何より合わせやすい。
かといって、媚びへつらう気は友歌にはなかった。あれは典型的な“王女として扱われてきた”娘《こ》で、友歌に関しては逆効果のはず。
──“レイオス王子の精霊”の友歌は、レイオス以外に頭《こうべ》を垂れてはいけないのである。礼儀としてではなく、実質的な意味として。
そんな事をすれば、レイオスがセイラームに“頭を垂れた”状態になるのだから。
友歌はため息を吐き、開いていた本をそのままに背もたれに沈み込む。いつもの椅子に座りながら、友歌はサーヤが持ってきた本の積み上げられたテーブルを見つめる。
かなりの量を読んだ気がするが、そんな付け焼き刃はセイラームには通用しないだろう。身にならなければ意味がないのである。
セイラームの土俵に上がろうと思ったのは友歌自身だが、早くも挫折の色が濃くなっていた。──面倒だな、地球の知識が使えないったら…。
再びため息を吐き、友歌は開け放たれている窓から外を見た。涼しくなっていく気候は、冬月に近付いているからだ。
──セイラームと仲良くなる。それは、友歌の目標でもあった。この世界を離れる友歌にとって、自分が居たことによって要らぬ波風を立てたくはなかった。
もし、あの廊下での友歌の対応でセイラームとレイオスの間の溝がさらに深まりでもしたら、友歌は祖母や母に顔向けが出来ない。もし知られれば、身辺整理も出来ずに帰ってくるなとでも叫ばれそうである。
すでに他界している祖母には数十年後に言われるに違いないし、友歌としても穏便に済ませたい。何より──レイオスに申し訳が立たない。
もしかしたら、友歌が居なければ数年後に和解出来ていたかもしれないのだ。年月は、何であれ“思い”を廃れさせる。レイオスに恩を感じる友歌としては、少しでも改善しておきたい事であった。
(って言ってもなぁ…あっちとは全然違うというか。)
友歌の感覚はもちろん、地球特有のものだ。ファッション雑誌があって、テレビで紹介されて、流行に沿ってオシャレをする。
けれど、ここでは精霊中心の流行なんてあってないようなもので、代わり映えもなく決まった順番をぐるぐる廻っているようなものなのである。つまり、数年前に流行ったものが、形をほんのり変えて戻ってくるような。
まして──ラディオール王国では王族の色も規制されるため、そこも気を遣わなければならない。加えて、友歌は近代的な発想なのである。パーカーやシューズではなく、マントや木靴なんてものを身に纏う世界なのだ。
友歌は開かれた服の種類についてのページを睨め付けながら、再び大きなため息を吐いた。
「…うん、休憩しよう。
頭が煮詰まってたら良いものも浮かばないって…うん、そうしよう。」
自己完結し、友歌はしおりを挟む。ちなみにかなり高いものらしい…サーヤに強請ったはずが、レイオスに用意されてしまったのだ。詳しくは聞いていないが、雪の結晶が掘られた金属のそれは、高名な金の精霊使いが作った一品物らしい。
なんて所に金を使うのだと思いつつも、強請った側の友歌がまさか使われた金額に文句を言うわけにはいかない。何よりレイオスがキラキラとした目で手渡してくるので、友歌はそれを受け取ってしまった。
この世界にいる間は絶対なくさない、と決心した友歌であった。
そんな事を思い出しつつも、友歌は窓を閉めてベランダに立つ。昼を少し過ぎた日差しがやんわりと友歌を包むが、やはり涼しい風が吹くことが多くなってきた。これがもう少しすれば、地球で言う秋の北風となるのだろう。
友歌は手摺りに近付き、ラディオール城下の街を見つめる。──ラディオール王家の治める国。とりあえずは、本を読んでも批評は出てこない程度には良い国らしい。
治安もほどほど、資源もほどほど…つまりは、水準程度の国。そして、友歌が来たことによって知名度が一気に跳ね上がった国。
友歌は手摺りに両腕を置き、その上に顎を乗せる。鳥がさえずり、雲が流れて…何処にでもある、平和な情景である。
どこまでも続くかと思われるほどの街並みと、少し遠目に見える地平線。これがさらに行くと、別の国があり、海があり──東の大陸がある。
ラディオール王国は、エルヴァーナ大陸の中腹あたりにあるらしい。山に囲まれた国で、海には面していない。攻め込まれにくい地形だが、攻めにくい地形でもある。
友歌はずるりと力を抜いていき、しまいには座り込んでしまった。手摺りを支えるいくつもの支柱にもたれかかり、自らの部屋を眺めるかのように向き合う。──籠の鳥、とはこういう事を言うのだろうか。
(…いや、何も出たいわけじゃないんだけども。
でも私、この部屋と書庫への道しか知らないんだよねー…。)
実際は、宴の場にも数日前の食事会の場にも行っている。けれど、友歌は覚えきれなかったのだ。何か目立ったものがあれば別なのだろうが、何処をどう見ても似たような壁と床である。
──籠の鳥。言い得て妙だろう。けれど友歌の場合、出れば二度と生きていけない籠である。この籠の中だからこそ、友歌は外敵に脅かされず、ぬくぬくと餌を与えられて過ごしていける。
けれど…やっぱり少しは、外にも興味は持つのだ。城下を歩いてみたい誘惑に駆られる事も多々ある。けれどそうなれば、友歌はさらに地球に帰れなくなる。──本能的に、わかる。
それでなくても、帰る友歌に出歩く意味はないのだ。永住するならともかく、一時的と決めているこの場所に、馴染みすぎるのは良くない。
友歌は再びため息を吐こうとしてやめる。流石に、こう何度もやってしまっては本気で幸せが逃げそうだ。友歌はこらえながら、とんとんと胸を叩く。
清涼な風が、友歌のポニーテールの黒髪を撫でていった。──この世界には、風の精霊がいる…慰めでもしてくれていうのだろうか。
思う友歌であったが、一瞬の後頭を左右に振った。そして、くてりと力を抜いて空を眺める。──精霊はいるのだろうが、それに慣れてはいけないのだ。友歌は唸り、流れていく雲を見つめる。
(ああ、何か癒しが欲しい…。)
サーヤの思うとおり、友歌は可愛いものが好きである。地球でも、くどくならない程度に周りには溢れていた。
一人暮らしをする時、落ち着いたならハムスターでも飼いたいと思っていた友歌である。犬猫よりは安く世話も簡単だそうなので、ちょっと心待ちにしていた事でもあった。
ぼうっと雲を見つめながら、友歌はとりとめもない事を考える。──すぐ頭上で、ピィと鳴き声がするまでは。
「…………。」
友歌はきょとんとそれを見つめる。灰色の体、くちばし…小さな小鳥が、手摺りに止まって友歌を見ていた。
まだ雛だろうか、小鳥は再度ピィと鳴き、友歌も再び瞬きをする。人間を怖がらないのかと思いつつも、友歌は恐る恐る指先を差し出した。
小鳥は首を傾げ、ピィと鳴き──友歌の人差し指に止まった。自ら手を差し出しておきながら、友歌は肩を揺らして驚く。幸い、小鳥は飛んでいかなかったようだった。
(…わ、ぁ。)
普段、こんな近くで鳥など見た事がない。友歌は感動を覚えつつも、驚かさないよう慎重に目の前に持ってくる。小鳥は、大人しく友歌を見つめた。
毛が不揃いで、どうやら産まれたばかりの雛。小さな丸い黒い瞳で、友歌と視線を交わらせる。
「どこから来たの?
お母さんはちゃんといる??」
孵化する時期なら、親鳥がいるはずである。けれど、辺りを見渡してもそれらしき姿は見当たらなかった。友歌は再び、その小さな体を見つめた。
(…こっちでもあっちでも、鳥は変わらないなぁ。
生態系が似ているのかも…いや、でももしかして、ドラゴンとか居たりするのかな。)
友歌としては、非常に興味をそそられる事ではある。幻獣や聖獣の類は、人類の夢だと友歌は勝手に思っている。
地球とこっちの相違点──ぼうっとしていた友歌は、がばりと立ち上がった。
「ってそうだよ、何もこっちの流儀に合わせることないじゃん!」
友歌は満面の笑みを浮かべ、一瞬の後慌てて辺りを見渡した。──しまった、小鳥…!
けれど、左肩に見えた灰色の物体に、友歌はピシリと固まった。至近距離でぼやけているが、それは明らかに先程の小鳥である。ピィ、とそれは暢気に鳴いた。
「…これは、私に飼えという事?」
そう言う友歌の瞳は輝いている。友歌の心は欲に忠実なものとなっていた──私から離れないこの子が悪い!
友歌はうり、とその頭を指先で撫でる。それでも小鳥は離れずにまた鳴いた。友歌は頬を緩ませ、窓を開けて中に入る。
──セイラームの事を考えても気が重くならない事に気付き、友歌はアニマルセラピーの力を思い知ったのであった。