024. サーヤの経緯
サーヤがラティと共にラディオール城に女中として仕え始めたのは、十二歳の頃であった。まだまだ幼い、遊び盛りな年頃だったが──サーヤには、城に仕える事しか頭になかった。
ティアは、他の女中達のように礼儀を習うため女中となった。けれどサーヤは、女中として過ごす事しか頭になかったのである。
当然、意識の違いは意欲に出る。サーヤは、一つの道しか見えていなかったのだ。
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サーヤの実家は、普通の中流貴族である。大した発言権を持たず、けれど精霊を降ろす矜持も持つ。代々水系統の精霊を多く宿す、医療に長けた貴族でもある。
貴族や王族は、生まれ持った色で精霊がほぼ決まる。この世界の住人は、心の性質が色になって現れるからである…貴族や王族では、“色”で学ぶ精霊の知識の濃さを変える。
水系統を宿すサーヤの知識は、もちろん水に長けている。作用しにくい火、生み出す木についても学んでいるが、やはり得意のものの方を特に学ばせるのだ。
サーヤは、治療はもちろん流れる水の方にも広く知識を持つ。昔は、治水や船などにも精通していた貴族であったらしい。
──サーヤも、精霊石として生きるか貴族に嫁ぐはずだった。けれど、サーヤが選んだのは女中という道であった。
貴族の間では、城に仕える女中もちゃんとした仕事である。出世すれば下手な精霊使いよりも優遇されるうえ、王族との繋がりも作れるからである。
サーヤの夢は、女中となる事。それは昔から変わらない。──そう、あと少しでそれも叶うのだ。
「精霊様、この飾りもどうぞ。」
「ええぇ…これも?」
「衣替えも間近ですし、色合いをご自分で決められるようになるのも大事ですから。
日々、どの組み合わせが良いか探すのも楽しいですよ。」
段々と涼しくなり、だんだん冬月に近付いていく。ほんの少し厚着に替わっていく服を撫でながら、友歌はうんざりしたようにそれを見つめる。
けれど気にした風もなく、サーヤは青い花の飾りを手に取り、友歌に差し出した。友歌は呻きながらそれを手に取り、指先で弄る。サーヤは微笑み、さらに飾りを取り出していく。
──サーヤがレイオスに目を掛けてもらえたのは、ほんの偶然である。庭で怪我をした小鳥を癒していたのをレイオスが見かけたのが始まり。
女中に成り立ての頃は、精霊を上手く扱えない事が多い。知識を先に詰め込ませ、実践させる貴族は少ないからだ。幼い者は、力に引っ張られ暴走することが多いからである。
例えば、水の精霊。命に別状がないなら基本は使わず、危なくても危機を脱すればそれ以上は治療しない。完璧に治すと、その後の自己治癒能力が遅くなってしまう事例が報告されているからである。
理由はわからないが、治療しすぎると体によくない。けれど、幼くてはその原理を理解できずに癒しきってしまう。良かれと思って、小さな傷でも精霊を使ってしまう。だからこそ、先に頭から鍛えていくのである。
けれど、本人の意欲や理解度次第で精霊魔法そのものも学んでいけるのは暗黙の了解だ。しかし、それで過失が出ればその貴族全体の責任となるので、危ない橋を渡る者は少ない。──サーヤは、その少ない貴族の一つであった。
レイオスはもちろん、完璧に知識から入らされた。五行の精霊、二大精霊についての膨大なそれを、王族は幼少時より専門の精霊使いから学ぶのだ。
だから、自分と同じくらいの歳で精霊魔法を扱うサーヤに興味を持った。基本、王族が望めば女中はすぐにその世話係となる。女中になる時点で身辺調査は済んでいるため、さらに時間を割く理由はないのである。
この時、レイオスは十二歳、サーヤは十三歳であった。
レイオスにとっては良き遊び相手、話相手、そして姉のような存在。サーヤにとっては、仕えるべき相手、そして弟のような存在。
王族という枠の中で、兄弟間は険悪ではないと言えど仲が良いわけでもない。過ごす部屋は別であるし、スケジュールもほとんどかち合わない。
他人のような友人のような、そんな微妙な距離の兄弟である。その中で、二人は独自の信頼関係を結んでいくこととなった。
「精霊様、それは斜めにお付け下さいませ。」
「えー…この方が可愛いのになぁ。」
「付け方、着せ方を教えてくれとおっしゃったのは精霊様ですわ。
ちゃんと覚えてくださるまで言いますから。」
「わ、わかった!」
四苦八苦しながら、友歌は髪に付けた飾りを付け直す。本当ならサーヤがするべきなのだが、友歌が自分でしたがっているので大人しく待つ。──主人の意思を酌《く》むのも、世話係の仕事である。
曰く、「セイラーム姫の攻略のため!」だそうだ。理由はなんとなく察するが、それが着付けを覚えるのと関係あるのだろうかとサーヤは首を傾げる。けれど、必要がないなら聞く意味はない。
サーヤは大人しく、自らが身につけてきたものを友歌に教えていく。──女中になるにあたり、自分の事は自分でしなければならないので、それは思い出していけば良いことだった。
幼い時より、最低限の事は自分でやる事も貴族は覚える。女中や騎士になるかもしれないという事を考えれば、少しだけでもやれなければ認められないからである。王族に仕えるのに、自らに仕える者を引き連れては行けない。
サーヤのように真剣になりたいと思う者は、さらに一人でやれる事を増やす。必要のない雑学を覚えてくる者もいれば、礼儀に対して徹底的に叩き込む者もいる。
貴族やその人物によってまちまちだが、サーヤはオールマイティに広くそこそこ深く、を念頭に置いて学んできた。その事も、レイオスの──強いては、友歌の世話に抜擢された理由である。
サーヤが女中になりたがっているというのは、サーヤの家もわかっている。レティには話していないが、薄々感じていることであろう。
──サーヤは、女中になりたい。それは、伯母からの影響でもある。サーヤの伯母も女中で、今は王妃の世話をしている…彼女が一時的に休みを貰い、サーヤの所に顔を出した時があったのだ。
その時の伯母の顔は生き生きと輝き、仕事に誇りをもつ美しい風貌をしていた。それは貴族という枠にいたサーヤの心を酷く打ち、その話はサーヤを容易く引き込んだ。
『素晴らしい仕事だよ…頑張るほど、認められていくのがわかる。
人が笑顔になるんだ、しかも今は王妃様のお世話までさせていただいて…大変な名誉だよ。』
にこにこといつまでも笑い、そうして城に戻っていった伯母。サーヤは城を見上げ、その“仕事”がどんなものだろうかと期待を抱くようになる。
やりがいがある。そして、きついものだ。今までの貴族の過ごし方をさせてはもらえないが、得難いものを手に入れられる。伯母の話を要約すればそんなところで。
難しい事はあまりわからなかったが、それでもサーヤは女中になりたいという夢を抱く。──出来れば、伯母のように王族の傍仕えが良い。
それはやましい思いからではなく、伯母の話にあった“誇り”という言葉に関係する。王族に認められるという事は、今までの苦労も認めて貰えたと言うことであるからだ。
一度王族の世話係になっても、気に入らなければすぐに代わりはいる。続けて仕えられるというのも、認められ続けている証拠であるのだ。
そうして信頼を積み重ねてきたサーヤは、友歌の世話係に任命された。レイオスの世話をしていた事でも大きなやりがいを感じていたが、それ以上に、史上初となる“精霊様”…。
緊張していたサーヤは、けれどすぐさま意識を変えていく。──見た目通りの、可愛らしい精霊であった。甘いものが好きで、可愛いものが好きで、でも行き過ぎは少し遠慮するヒトガタの精霊。
レティに接するようにサーヤは友歌に接し、サーヤの意識も変わっていく。──王族に仕えたいという夢は叶った。その後に芽生えた願い。
(どうか、精霊様がこの世界にいつまでも留まり、レイオス王子の傍にいらっしゃいますよう。)
レイオスとサーヤは、八年傍に居た。誰よりもお互いを信頼していると思っているし、お互いをよく知っているのも事実である。
──サーヤは、レイオスを見てきた。サーヤの見てきた半分にも満たないその人生が、王族というだけでどれだけ過酷かもわかっているつもりである。
なんとか飾りを付け直した友歌に、サーヤは満足そうに頷いた。それに満面の笑みを返した友歌は、サーヤの魔法で鏡に変えた水面にその姿を写した。
後ろからその評価をしながら、サーヤは願う。──どうか、レイオス王子を癒す存在に。
言葉にしない思いは、静かにサーヤの内側に積もっていく。過ぎた行為は、身にならない。ゆったりとした距離に歯がゆい思いをしながらも、サーヤは今日も友歌の傍に在り続けるのであった。