022. 結論
友歌は、心を落ち着かせられるようになった。朱の月の神秘的な日蝕──うだうだと考えていた自分が馬鹿らしく感じたのであった。
思えば、人を好きになる、嫌いになるなんて生理現象なのだ。いくら理性で律しようと思っても無駄で、抑えつける事は出来てもそれ自体を止める事なんて出来ない。
つまり、友歌がどれだけ避けようと思っても、レイオスに魅力を感じてしまえばそれまでで。けれど、そう──“抑えるつける事”は出来るのだ。
必ず地球に帰る…それだけ考えていれば問題がない事に、友歌は気付いたのである。ぼんやりと考え、友歌は襲った衝撃に息を詰め──吐き出した。
「さ、サーヤ苦しい…!」
「まあ、我慢下さいませ。
すぐに慣れますから、どうぞ息を止めておいて下さいな。」
(笑顔でさらりと無茶言うなー!!)
跪き、帯をギュウギュウと締め付けるサーヤに友歌はまた息を大きく吸った。そして止めたのを確認すると、サーヤは帯を締める作業を再開したのだった。
さて、友歌は本日ライアン王子とのお食事会です。──逃げて良いですか?友歌は、限りなく不可能な現実に心で涙したのだった。
*****
遂に、来た。友歌の感想としては、そんなところだった。不可抗力で出会ってしまったのは、レイオスの兄と妹。
そう、本来は宴の場で紹介されるはずだったライアン王子とセイラーム王女。二人とも用事で参加できなかったそうなのだが、ようやくレイオスの兄であるライアン=ラディオールの都合がついたそうなのだ。
忙しい人のため事後承諾ですまない、とレイオスは謝っていた。しかし友歌としてはすでに出鼻を挫かれた状態だったので、正直どうでも良かった。
日々やる事と言えば、歌う事と料理を改善するアイディアを引っ張り出す事、勉強する事である。基本三つしかしていない友歌としては、何か別な事が起こるのは嬉しい事でもあった。
──そう、仰々しい場でないのであれば。
「あー…胃のものが逆流する、色々口から出ちゃう。」
「大丈夫ですよ、まだ何も食べていないのですから。」
にこりと言い放ったサーヤに、椅子に座り不自然なほど背筋を伸ばした友歌はげんなりとした視線を向けた。少しでも背を曲げると背骨が軋む気がするのである。
友歌は少しでも居心地の良い体勢を見つけようと、恐る恐る体を動かしながらサーヤを見上げた。
「今日は、すっごく締め付けたね…、」
「そういう服ですから。
ああそれじゃ駄目ですよ、もう少し背をこちらに…はい、そうです。」
苦しいのか、途切れ途切れに言葉を紡ぐ友歌にサーヤは近付いた。そっと背中を撫で、腕を取り、少しずつ位置を指定していく。
そういていくうちに、友歌は呼吸が楽になっている事に気付いた。
「…あ、ちょっと楽。」
「苦しいだけの服など、精霊様に着させるわけないじゃないですか。」
装飾品の入った箱を片付けながら、サーヤは言った。友歌は納得しつつも、普段より堅めの帯で締められたお腹をさすった。──いつも通り、青と白の服である。
サーヤの決めてくれた関節のポジションを覚えつつ、友歌は色々体を動かしてみた。いざという時に直立不動でしか立てられないというのは、格好悪いし何より友歌自身が大変である。
いつもと同じで良いのになぁと思いつつも、友歌は片付けをしているサーヤの後ろ姿を見つめた。そっと頭を撫でれば、いつもより心持ち念入りに手入れされた髪が流れる。──瞳がキラキラしているのは、何故だろうねサーヤ?
「レイオス王子がその場まで連れて行って下さいます。
それまで時間はありますが、なるべく形を崩さないようにお願いしますね。」
「わ、わかった。」
ならもう少し後で着れば良かったんじゃないのかと思いつつも、楽しそうな様子のサーヤに口を閉じる。余計な事は言わないのが吉である。
髪を弄っていた時間も長かったため、凝った首をコキリと鳴らし、友歌は欠伸を漏らした。
「…セイラーム姫は、来ないんだね?」
「はい、いらっしゃいません。
レイオス王子とライアン王子、そしてガウリル王とクリス王妃だけです。」
「(王様はガウリルと言うのか…、)うん、なら気まずくはならないで済むかな…。」
友歌の言葉に、サーヤは苦笑を返した。
数日前の友歌とセイラーム王女の衝撃の出会いは、今や城中の知れるところである。廊下という目立つ場所で繰り広げられたのいうのも要因の一つだが、実際は友歌の言った言葉が原因である。
『私は、レイだからこそ召還に応じた。』
──選んだのだと、友歌が…精霊が、言った。精霊は真実を好む。偽りを除ける。それは何よりも強い証拠。
そう、“精霊”が選んだと言葉にしたのだ。それはレイオスが特別だと言う事で、言い返せば他の王位継承者は選ばれなかったという事で…。
しかも、それを言われたのはセイラーム王女。我が儘が過ぎる…とまでは行かないが、ほんの少し高飛車な態度に不満を持つ者も多い人物である。
城中にその話題が伝わりきるまで、一晩しかかからなかったというのは驚く事ではあるが、その中心に精霊がいるなら納得もいく。
サーヤは消化に良いお茶を淹れ、友歌に差し出した。
「悪い子ではないのですよ。」
「わかってる…ん、だけど。
感情的になりすぎたかなーとも思うんだけど、私も整理がつかないの。」
──友歌は、悪口を言う人間に嫌悪を感じる。その人を前にはっきり言ってのけるならともかく、陰でこそこそするのも大嫌いである。
むしろ、何故口にするのかが疑問なのだ。口は災いの元──口を閉じていれば争う事もないのに、わざわざ嫌われに行く事に疑問を感じるのである。
母から、芸能界での“イジメ”を聞く度、友歌が思う事であった。
もちろん、有名になりたい、人より上に行きたいというのもわかる。けれど、方法が間違っていると友歌は思うのだ。
芸能界は実力の世界なのだから実力で挑むべきだし、そしてそんな化けの皮はいつか剥がれる。自分にいつか跳ね返ってくるのだ。──けれど。
「…でも、兄妹喧嘩に口出して良かったのかなー、なんて。」
──そう、兄妹喧嘩だ。見知った者同士の、いつもの光景なのだとしたら、友歌のした事はただの八つ当たりである。
けれど、そんな友歌の杞憂を尻目に、サーヤは口元を指先で覆い押し殺したように笑い出した。
「あ、あれを兄妹喧嘩とおっしゃいますか…。」
「…え、えええ…違うの?」
ぎょっとした友歌に、サーヤは止まらないとでも言うように笑う。──兄妹喧嘩。まあ確かに、可愛く見えたらそう感じるかもしれない。
サーヤは涙が滲むまで笑い、拭って友歌を見つめた。友歌は、激しい身動きの取れない体をなんとか捻り、顎に手を当てていた。
──確かに、嫌いオーラのよくわかる刺々しい言葉ではあった。レイオスに対しても、友歌に対しても見下したような声色をしては、いた。
けれど今思えば、それは何処か子供の癇癪《かんしゃく》を思い出させたのだ。気に入らない事があったら喚いて、欲しいものが手に入らないと駄々を捏ね、思い通りにならないと愚図る子供。
母も父もいない時は、友歌と友歌の兄が弟と妹の世話をしていた。そこまで離れていないとは言え、幼少期での歳の差は激しい。
愚図ってはいなかったが、面白くなさそうな雰囲気を纏っていたセイラーム。それは、弟を優先された事に反発していた妹に非常によく似ている事に気付いたのだ。
だから、王族特有のいろんな思惑の混じった、もう少し激しく発展した兄妹喧嘩である、と友歌は結論付けだのだが──もしや、間違っていたのだろうか。
じゃあ正当に言い返したのか私、と首を捻る友歌に、サーヤは笑った。
「そうですね…ほんのちょっと、すれ違いの大きくなった兄妹喧嘩です。
ふふ、精霊様がそうあっけらかんと言い放たれますと、本当にそう思えてきますわ。」
(…どっちだ。)
結局のところ友歌に判断は付かなかったが、笑い続けているサーヤが教えてくれるとも思えなかった。友歌としても、要らぬ事に首は突っ込みたくなかったのだが──自分にまで及ぶようなら、それは知らなきゃいけない。
とりあえずは保留かなぁと思いつつ、友歌は未だくすくすと笑うサーヤを半眼で見つめるのであった。