021. 僅かな日蝕
「モカ、前のベンチで良いだろうか?」
「…はい。」
小さく返事を返した友歌に、レイオスはにこりと笑いかけた。そして、以前のように手をとり先導し、ゆっくりと進む。
友歌は、また例の庭に来ていた。レイオスの母が頼んで作ってもらったのだという庭。五行の精霊を意識した、美しい庭に。
素直に進みつつ、けれど友歌は内心、大荒れの状態だった。台風が吹き荒れ、まともな思考が働いていない。友歌は何故こんな状況になっているのだろうかと、人知れず口元を引きつらせた。
*****
気付きたくなかった事に気付かされ、けれど朝起きて改めて考えると、友歌はその事に感謝した。そう、今ならまだ間に合うのだ。
ただの“愛着”で済んでいる今なら、まだセーブはきく。けれど──これ以上は危ない。もし、あのセイラームとの出会いがなければ…考えるだけでぞっとした。
サーヤより、会う事も話す回数も少ない。たった一月と、少し。なのに──ほんのりと傾きかけている天秤の、なんと脆いこと。自分は、白馬の王子様的な、そういうものに憧れる人間だったのだろうか?
自分をかなりの現実主義だと信じている友歌は、それは非常に却下したい事であった。夢だってちゃんと見つけているし、社会をちゃんと見ている自信もある。
──大丈夫、出来る。今までどおりに接すれば良い。レイオスはたまに顔を見せにくる程度で、友歌はそれにそつなく対応して…帰る方法を探す。
欲を言うならもう少し距離が離れてくれれば嬉しいが、“レイオス王子の精霊”という立場の友歌はそれが無理であるとわかっていた。だから、今まで通りの微妙な距離を保つ事が、友歌に出来る精一杯なのである。
けれど。
(なぁあんでこうなるっ!)
昼になる少し前に、レイオスが訪ねてきた。いつも通りの青と白の服装で、庭に行かないかと、友歌を誘いに来たのだそうだ。──人が決意した瞬間に、見事にぶち壊してくれたレイオス。友歌に拒否権はなかった。
レイオスは、善は急げとばかりに友歌を外に連れ出した。いつもより早急なその様子に首を傾げながらも、友歌は平常を保つ事で必死だった。
いつも通りを意識すればするほど、その“いつも”がわからなくなる。けれど、考えないようにするというのも難しいのだ。思えば、美貌のレイオス王子に手を取られた精霊の友歌というのは、周りにどう見られているのであろうか。
と言うより──男性にエスコートされる女性というのは、どうなるのだろうか。
ほんの少し。そう、ほんの少しレイオスへの愛着というものを意識しただけで、友歌は変に緊張してしまっているのだ。
そして、それをレイオスも感じ取りつつ、けれど“いつも通り”に振る舞う。理由はわからないが、友歌がそう望んでいるのをなんとなく感じ取っているのだ。
レイオスは、前にも座らせたベンチに友歌を誘導し、自分も以前と同じように立つ。友歌はそれを見て、ほんの少し横にずれた。
「…座られては?」
「いや、大丈夫だ。」
微笑むレイオスに、友歌は微妙に視線を逸らす。こうなってくると、慣れてきたはずの美貌にまで意識がいってしまい、友歌は勝手に照れる。
実を言うと、友歌の反応こそが本来は正しいのだ。レイオスや、兄のライアン…二人ともまだ未婚な上、浮いた話もない王族である。
セイラームは十六で、隣国に嫁がせるかという話もあったが、友歌が召還された件で見送りとなった。一目置かれる存在となった今、急いて体《てい》の良い人質を渡す事もない。
そして、そんな二人の王子はもちろん、貴族令嬢達の格好の的である。しかも二人は美貌の持ち主としても知られ──そんな王子のうち一人に手を取られ歩くなど、平常心でいろと言う方が無理な相談である。
ここに来て友歌はようやく──レイオスという人物を、はっきりと認識したとも言えた。自分が“少々”、気になっている異性として見ることによって。
「あの…何故、またここに?」
友歌は、庭を見ながら問いかける。隣に立つレイオスは極力見ずに、緑と色とりどりの花を眺めながら。そんな友歌の様子に気付かずに、レイオスはそっと天を仰いだ。
「もうそろそろのはずだ…上を。」
「?」
ちらりとレイオスを見上げる。けれど、レイオスの目はさらに上を向いていた。何かあるのか、と友歌も見上げ──目を見開いた。
真昼の太陽。そこに少しだけかかっていく、淡い朱《あか》の月…。
「見えるか?」
「……う、ん。」
日蝕。一部分だけ月が太陽に被る現象。けれど──その月が淡い朱である。それは、とても神秘的な光景だった。
5分の4ほどまで、月は太陽に重なっていった。太陽の形が三日月になり、辺りがほんのりと暗くなる。けれど、淡かったはずの朱い月が次第に濃く、濃くなっていく。
そうして数分が経った頃、重なっていた太陽と月はまた、ゆっくりと離れ始める。柔らかな日差しが見え始め、友歌のいる場所まで届き、友歌は手で傘を作った。
太陽と月が離れたその瞬間、同時に薄くなっていった赤い月は、もとの白を取り戻す。友歌はその様子をじっと見ていた。それに微笑みながら、レイオスは口を開く。
「朱月《あかつき》は…モカは日蝕と言っていたな。
日蝕は、春月の月の終わりと始まりの数日に少しだけ起こる…冬月に近付くにつれ、だんだん重なりが深くなっていくんだ。」
──どうなっているのだろうか、この世界の惑星は。友歌はそんな感想を抱いた。月の終わりと始まりに重なって、後は何もない?…滅茶苦茶な周期である。もし、地球の天文学者を連れてきたら、解明してくれるのだろうか?
友歌はほうっと息を吐き出す。もしかしたら本当に二大精霊の化身なのかもしれないと思いつつ、友歌は作っていた傘を解いた。
辺りはすでに真昼の光を取り戻していて、僅か数分の出来事の名残はない。ただ、異様に近い太陽と月が、その様を思い出させてくれる。
「本当の日蝕は、もっと長い。
完璧に重なった瞬間、太陽と月が動きを止めるんだ。」
「動きを!?」
友歌は目を剥き、レイオスを見つめた。レイオスは友歌の驚きように逆に驚きつつ、頷く。
「全く動かない…二人の舞姫を選出するまでは、な。
朱月と、その周りに現れる蒼光《あおびかり》が長く続くほど良い舞姫が現れると言われている。」
「…え、えぇぇ…あり得ない、何、自転が止まるって事?
いや、もしかしたらこの世界は廻っていないのかも…じゃあ世界は丸いって概念もない??」
え、じゃあむしろ引力って存在するの…?と友歌は考え込む。レイオスの説明の半分は聞き流されており、それに気付いたレイオスは苦笑し、顎に手を当てて地球の常識を照らし合わせている友歌を見た。
──元気そうで、良かった。
友歌が昨日、妹であるセイラームに会った事は、サーヤから聞いている。けれどもちろん、レイオスはライアンの時と同様、公式の場で会わせる気だったのだ。
なのに──また突然、セイラームが書庫に向かいたい、と言い出したそうなのだ。友歌がよく書庫に居るのを何処からか知り、会いにいったのだろう。レイオスは、友歌の邪魔にならないよう、そっと息を吐き出した。
セイラームとて、あの宴に招待されていたはずなのだ。けれどあの王女は、自らの“趣味”を優先させたらしい。つまりは自業自得なのだが、どうや“宴の奇跡”が見れなかったのが相当悔しかったようである。
レイオスは、再びため息を吐く。──また、ちゃんとした場で会えなかった事を気に病むかと思ったが、案外そうでもなかったようだ。
実際は気にする余裕がなかっただけなのだが、レイオスが気付くことはなかった。レイオスは、友歌が楽しみにしているらしい【春冬の祈願】の予兆を見せたかったのだ。
結果は、言うまでもない。
“いつも通り”に近い友歌に、レイオスは満足そうに笑みを浮かべたのだった。