020. きっと気のせい、
──やってしまったやってしまったやってしまった!
友歌は頭を抱えていた。昼に予想外の出会いをしてしまったレイオスの妹、セイラーム=ラディオール…友歌は、その際の行動を非常に悔やんでいた。
ぐるぐると廻る思考をなんとか留めつつも、友歌は目を忙しなくあちこちへ動かす。けれど、良い案は浮かんできそうになかった。──まさか、自分から肯定するような発言しちゃうなんて!
友歌はそっと視線を上げる。その先にはにこにこと、いつもより数倍笑顔のサーヤが昼食の支度をしていた。
「あ、あの…サーヤ、」
「わかっていますよ精霊様。」
(わかってないよその笑顔ー!!)
微笑ましそうに見つめるサーヤに、居たたまれなくなった友歌はそっと視線を逸らす。誰か、誰でもいい、この状況の打開策を授けて欲しかった。
*****
不可抗力だった。つい、衝動で。その言葉は的を射ていた。精霊である事を肯定するなどこの先永遠にするものかと決めていたし、その予定もなかった。
けれど実際──友歌は口にしてしまった。遠回しに、けれど、精霊である事を告げてしまった。自ら、歩むべき道を狭めてしまったのである。
それは、友歌が足を進める先を歩きづらくさせる。
(うう…なんで我慢出来なかったかな!)
明らかな敵意…とまではいかなくても、確実に相手を貶《おとし》める言動。友歌はそれが許せなかった。そう、思った以上にどうやら──レイオスに、愛着が湧いてきているらしい。
友歌は唸る。そう、愛着である。好意とまではいかない、例えばクラスメイトに持つような。例えばふと貰ったストラップのような。
進んで手に入れたものではないが、何かを共有したり、ずっと傍に在る事によって生まれるもの。見て見ぬフリをするには近くて、捨てるには勿体ないと思わせるような“もの”。
うううう、と友歌はさらに唸った。こんなはずじゃなかったのに。──そう、ほんのちょっと助けて貰って、ほんのちょっと助けて、でも距離を保って後腐れなく地球へ帰る。そのはず、だったのに。
友歌は用意されたスプーンを手に取り、スープを口に含んだ。温かいそれは、友歌の気持ちを落ち着かせた。けれど、またすぐにざわついてしまう。──予想外だ。大変、どうしよう。
難しい顔をしている友歌に、サーヤは笑みを浮かべて佇んでいた。サーヤはそれが、精霊である事を肯定してしまった焦りであると見抜いている。
ただ、サーヤの場合は精霊の掟らしきものを破ってしまった事への懺悔に見えていた。間違っても、自身の退路のためだとは思っていない。
ここでもまた、些細なすれ違いが起こっていた。しかしサーヤは口にせず、何もかもわかっていると言う風に頷くだけなので友歌には伝わらず、それを正す機会は巡ってこない。
友歌は一人、自身に起きている変化に戸惑い、呆れつつも、なんとか抜け道を探す。
(…だ、大丈夫、まだ“好意”じゃないもん。
別に好意になったって、友情なら問題なし…そう、別れあってこその出会い!)
友歌は自分を奮い立たせる。ここで、よく聞く“男女の友情は成立するのか”という問題が出てくるのだが、友歌はスルーだ。少なくとも、“その状況”になれば成立すると友歌は思う。思う、事にした。
ほんの少し気を持ち直し、友歌はさらにスープを掬った。透明で黄金色のスープはあの天使を思い出させるが、友歌は必死に心から追いやる。
(それに…そう、私はあの精霊だって認めたなかったし!)
『レイだからこそ召還に応じた』…あれは、そう、言葉の綾だ。私が進んで応じたわけではないけど、実際に召還されてしまったのは本当だし、嘘は言ってない。
『たとえあなたの方が早く成人となり儀式を行っていたとしても──私は喚べなかった』…だってそうでしょう、きっとあの時あの場所あのタイミングでレイオスが召還したから私が来たのであって、何か一つの要素でも変わっていたなら喚ばれたのは私じゃなかったはず。
『私がレイのもとに降り立った意味を考えなさい』…これ、は…と、とりあえず私には意味なんてないけど、きっと二大精霊のなんかがレイオスの元でしか出来ない何かをさせるために喚んだんだったら辻褄は合うよね、会えないから確かめられないけど!
困った時の神頼みならぬ、精霊頼み。こういう場合のみに精霊の存在を都合良く利用するのは現代っ子特有の思考だからだ、と友歌は自らを正当化する。
けれど…これなら。友歌は、ほうっと息を吐いた。──まだ、大丈夫。まだ私は、帰れる。
行動が普段のものに戻りつつある友歌に、サーヤはうんうんと頷き紅茶を勧めた。整理がついたらしい様子に、サーヤもほっとする。
素直に受け取りつつ、友歌は窓の外に目をやる。太陽が高い位置にあり、鳥が鳴いては飛んでいた。
(…まだ、大丈夫。)
レイオスが貶されて苛立ったのは、愛着。好意というには薄く、無関心でいるには手遅れの感情。強いて言うなら…そう、芸能人に感じるような。
同じ芸能人でも、同郷の人なら応援したくなる…親しみを感じる。格好良いなら騒ぎたくなるし、面白いならテレビに出ているだけでそのまま見続ける。
けれど──いなくなったら寂しい、それだけのもの。
友歌はテーブルに視線を戻し、また口に運び続ける。美味しく感じる料理は、友歌の思いを実現してくれた料理人達の賜《たまもの》だ。
お礼の手紙を送った相手は、歓喜の涙を流し一層の努力を誓い叫んだらしい。サーヤから聞いた情報を思い出し、友歌はころころと添えられた果実を転がした。
──だって、レイオスは格好良いもんね。本物の王子様だし、それが目の前にいるのだ。多少は私だって浮き足立つ…友歌はそう愚痴った。
滅多に出来ない体験をしている、というのも自覚している。おそらくそれも一役買っているのだ…まるで、良くできたお伽話の中に入り込んだような錯覚。
限りなく現実に近くて、でも地球に戻れる夢。
そんな場所で、精霊という崇められている存在に勘違いされて、優遇されて、しかも超絶美形の王子様に、──『オレが護る』だなんて二度も言われてしまえば。
──どんなに気をつけたって、愛着くらい持っちゃうよ…。
友歌は視線を落とす。──何が、悪かったのだろうか。接点は、努めて持たないようにしてきたつもりだったのに。やはりあれか、現代じゃ滅多に言われないような科白を格好良く告げられてしまったからか?
友歌は思うが、現代で何から護ると宣言するのだろうか。滅多どころではなく、確実に言われない科白だ。言われたとしても、すぐにああそうなの、じゃあ頑張ってだなんて流せるだろう。
けれど──この世界じゃ、違うのだ。意味がある。とてつもなく、重い意味を含んでいる。日本にも言霊というものがあるが、それ以上に、この世界はもっと大変だ。
友歌に宣言するという事は、この世界の人にとっては精霊に誓うと言ったも同然である。言葉は真実で、違えられないもので、偽ってはならないもの。
その存在に誓うという事は、そういう事なのだ。生涯付きまとう、絶対の真理。精霊を信仰し、また精霊が存在している世界で──それを友歌に言うという事は、一体どれほどの…。
(どうしよう…どうしよう、おばあちゃん。)
落ち着いたはずの心臓が、また少し早くなる。考えなければ良いとは知っていても、友歌の性分がそれを許さない。
──わかった事がある。この世界の事をほんの少しだが学び始めて、精霊という絶対を。現代っ子である友歌にとって、神様とは有で、無だ。信じる時にはいてくれて、都合の悪い時には姿を消してくれるもの。
けれど、この世界では“有”しかない。それは、王子であるレイオスは重々承知のはずなのだ。そう、王子──その身分もさらに、その言葉に重みをつける。
きっと軽々しく口にしてはいけない言葉だとはわかってるはず…そういう教育だって受けているはずなのだ。なのに、二度も“精霊である”友歌に誓った。
その事に気付いて──ドキドキしない年頃の少女がいたら、教えてほしい。
(まだ、まだ大丈夫だよね、おばあちゃん…。)
慣れない環境で、地球ではありえない設定で言われた言葉だから、ちょっと思考回路がおかしくなっているのだ。友歌はそう言い聞かせる。
これはただの愛着。格好良い男性の格好良い科白に否応なくときめいてしまうように、そう、ドラマを見て感情移入してしまった、そんな感情。──だって。
(告白されたわけじゃ、ないんだから。)
言い聞かせる。まだ、戻れる。まだ──地球に帰りたいと思う心の方が、強い。まだ──好意じゃ、ない。
友歌は小さく呟き、食事を進める。味けないのは、まだこの料理法に慣れていないからだろうか?また、言っておかなければ…。
黙々と、小鳥のさえずりを聞きながら腹に収めていく。その手がいつもより遅いのは、気のせいである。友歌は出口のない思考を放り、ただ空腹を満たす事に集中していった。