019. こんにちは、姫様
友歌は、暇があると必ず書庫に通った。もちろんサーヤを伴ってだが、サーヤは初日と同じように扉のところから動かない。
つまらなくないのかと友歌は思うのだが、サーヤが気にしていないようなので、友歌に出来るのは、ただ待っていて貰う事。
そして今日も喉を衰えさせないための易しい歌を歌って、友歌は書庫を覗きに来ていた。
*****
友歌は勉強が嫌いではない。社会などの暗記は苦手であったが、逆に国語や英語などの語学系は得意であった。──それは、歌に必要な事だからだ。
友歌の母は、自ら歌詞を手掛ける事もある。簡単なものなら作曲も出来る、オールマイティな歌手であった。語彙の多さはもちろん、その意味も正確に知っていなければならない。
歌を教わる課程で、友歌は特に語学も学んでいた。
『友歌、歌詞は無限の海。
その意味を知り、意図を知り、そして心から歌い上げる事が出来ないんじゃぁ…それはただの“音”だよ。』
厳しい母が、歌を語る時にだけ見せる、優しい顔。友歌はその瞬間が何より好きだった──もちろん、父にだけ見せる甘い顔も大好きだったが。
淡泊を装う癖に、お互い相手が大好きな事の知れる一瞬を思い出し、友歌はくすりと笑った。誰よりも何処よりも、断然仲の良い夫婦である。
──だからこそ、帰らなければ。私の居場所はあそこで、あの両親の、兄弟達のいる世界で、何より、夢を叶えるためにも…。
友歌は数冊の本を手に取り、ソファから立ち上がる。目当ての情報は得られそうになかった。友歌は歯がゆい思いをしつつも、待ってくれているサーヤの所に足を進めた。
(…駄目、駄目。
焦るな友歌…足下に大事なものがあっても気付かないぞ、)
灯台もと暗し…答えなんてそんなものだ。あせらず一つ一つ紐解いていかなければ、見落としてしまう。友歌は軽く深呼吸して、こちらを見て笑みを浮かべるサーヤに笑い返した。
「今日はお早いですね。」
「お腹空いちゃって…。」
「まあ…では、すぐにご用意させますね。
最近の料理人達は、とても張り切っていますから…きっと今日も新しいものを出してくるはずです。」
友歌が恥ずかしそうに正直に申し出れば、空気のように佇んでいたサーヤはふんわりと笑った。──最近のサーヤは、言葉遣いの他にもいろんなものが打ち解けてきている、と友歌は思った。
初めにあったような、固くてきっちりとした、言うなら主従関係というものが柔らかくなっている気がするのだ。
根底にはしっかりあるのだが、その上に確実な何かが築かれ始めている。それはまるで、そう、…友人関係のような。
考えた友歌は、少し背筋が寒くなった。──やばいって、本当に早いところ帰る方法探さないと。
思えば、サーヤが友歌に慣れてきたのは昨日今日の話じゃない。すでに友歌のお茶の好みも把握しているし、服装だって友歌が嫌がらないような、けれど“王子の精霊”という立場を損なわないもの。
サーヤは確実に、友歌という人物に寄り添い、傍に在り…理解している。し始めている。それを考え、友歌はちらりとサーヤと振り返った。サーヤは視線に気付き、にこりと笑う。
──友歌は“立つ鳥”だ、後を濁しすぎてはいけない。それはいなくなる者としての礼儀だし、あまりに過ぎた痕跡は残したくないという友歌の思惑。
もうサーヤの事は手遅れだろうが、これ以上は防がなくてはならない。文化という触れるものを選ばないものならばともかく──人という個に影響が出てしまうのは、それは友歌の望む事ではない。
「サーヤぁ。」
「はい、なんでしょう?」
「…ごめんね。」
「はい?」
なんでもないよ、と呟き友歌は廊下を進む。サーヤは唐突な謝罪に首を傾げながら、ほんの少しスピードの上がった友歌に静かに着いていく。
…ごめんね。──いくら理解しても、その先には続かないんだよ。
友歌はきゅっと唇を噛み、またほんの少しスピードを上げて──当然の如く、曲がり角で何かにぶつかった。
「わ、あっ?」
「きゃっ!」
どてん、と二つの音が響いた。尻餅を着いた友歌に慌てて駆け寄ったサーヤは、そっと背を起こす。
「び、びっくりした…、」
「大丈夫ですか精霊様っ!?」
心の底から案じるサーヤに手を振りつつ、友歌は前を見つめる。──人の声。友歌は、自らの不注意ではぶつかってしまったのだ。
立ち上がり、友歌は曲がり角の向こう側に顔を出した。そして、ほんの少し目を見開いた。
「い、痛いですわ…!」
「大丈夫ですかセイラーム様…!?
お前達、早く治癒を!!」
「はっ!」
人影がわらわらしている。とてもわらわらしている。音からして、おそらく相手も尻餅を着いたのだろうが──そう、尻餅なのだ。少なくとも、人垣を作るまで心配するような事ではないはず。
足の森から見える美しい黄色のドレスに、友歌はその人影をぼんやりと見つめた。扱いから見るに、確実にやんごとなき身分の御方であろう。対して、友歌は“レイオス王子の精霊”である。
実際には友歌の方が身分が高いのだが、非は明らかに友歌にある。しかし、謝罪しようにもこの状況では、声が届くかもわからない。
さてどうしようかと考えている友歌に、人影の一つがふと顔を上げ──即座に頭を下げた。
「ここここれは精霊様っ、ご機嫌麗しゅう!!!!」
どもりすぎだろう、そんな友歌の感想は打ち砕かれた。何故なら──その人垣を作っていた人という人が、友歌に向かって礼をしたのである。友歌は目を剥いた。
軽く引いてしまった友歌に、後ろのサーヤがそっと近付く。
「この場では、精霊様を優先するのが礼儀なのです。
だというのに背を向けていたので、彼らは非常に遠回しに回りくどく謝罪しているのですよ。」
こそりと教えられた内容に、友歌はなるほどと頷いた。そして、訳がわからなかった友歌の心情を理解し尚かつ経緯を伝えたサーヤに、友歌はやっぱり濁しちゃってるかなぁと思いつつも、にこりと笑いかけた。
笑顔は完璧なマスクである。良い意味でも、悪い意味でも。
「大丈夫。
それよりもその方は…、」
大丈夫なの、と問いかけた友歌に、ばっと勢いよく動いた影があった。美しい金の髪が、さらりと流れる。
立ち上がったその影は、自分と友歌の間を遮っていた人々を散らす。
「…貴方が“精霊様”?」
──天使。そんな言葉が、友歌の脳裏を巡った。
腰まである、金の流れるような髪。同じく薄い黄金色の大きな瞳。黄色と橙色で彩られたドレスは、ふんわりと天使を包んで──。
この世界の水準より低い身長のお人形かと思うほどの美貌が、友歌を見つめている。勝ち気そうな瞳はじろじろと友歌を上から下まで眺め、友歌はほんの少したじろいだ。
「…ふぅん。
お兄様ったら、こんなの喚んじゃったの?」
「セイラーム様!」
「お黙り、発言権は与えてないわ。」
ぴしゃりとはね除けられた人垣の一人は、ぐっと黙った。その光景に友歌は、頭が真っ白になる中で聞いていた。
(あれ、今、なんて?
“お兄様”…え、私が召還されたのはレイで、…と言うこと、は??)
思考の停止している友歌に、小馬鹿にするように天使は鼻を鳴らした。
「セイラーム=ラディオール。
…ラディオール王国の第一王女よ、精霊様。」
以後よろしく。──嫌味なほどの優雅さで、天使…セイラームは、お辞儀をした。
王女…つまりは、レイやライアン王子の妹。友歌は走って逃げたいのを堪えながら、静かに礼を返した。
(なんで急なエンカウント率高いのー!??)
望まない出会い、パート2。そんな言葉が巡った友歌は、驚いているセイラームの瞳を見つめ返した。余計な事を考えつつも滑らかな動きを見せる友歌の体は、心とは別にもはや急な出来事に耐性がついてしまったらしい。友歌は嘆きつつも、セイラームに笑いかけた。
この世界では、精霊という身分である友歌は人間よりも上の立場にある。だから本当は礼など必要ないのだが、友歌の日本人としての性と、祖母の教育がそれを許さない。
「友歌です、セイラーム姫。
よろしくお願いします。」
「ひ、姫…、」
あれ、間違えたかなと友歌は内心で焦った。──そう言えば、周りも“姫”って呼んでないけど…でも合ってるよね王族だし?
ほんのりと頬を染めたセイラームに、友歌は場違いな事を考える。けれど…一番最初の言葉達に敵意が有る事には気付いていた。──レイが嫌いなのか、精霊という立場が嫌いなのか、はたまたどちらもか。
それでも、“まだ”何もされていない友歌がセイラームを嫌う理由はない。だからこその友歌の反応だったのだが、どうやらほんの少し話を逸らす事には成功したらしい。
友歌は安堵しつつ、セイラームを見つめた。立ち直ったらしいセイラームは、懸命に友歌を下から睨み付ける。
「ふ、ふんっ、ご機嫌取りなんて通用しないんだから。
でも、なんたって“お兄様”に気に入られたんだものね…それくらいはお手の物って事かしら?」
「…………何?」
「せ、セイラーム様!」
気に障る言い方に、友歌はふっと表情を消した。──この娘は、初対面であるという事を忘れていやしないか?
不穏な空気に気付いた人垣の一人が声を上げるが、今度はセイラームも咎めない。ただ、友歌を見ることで精一杯のようである。
友歌はそれに気付き、緊張し固まっていた顔の筋肉を動かす。それだけでも、思い空気が払拭され、後ろであわあわしていたサーヤはほっと息を吐いた。同時にセイラームも息を吐き、けれど友歌から目を逸らさない。
「ざ、残念ですわね。
わたくしの所に降りてきて下さればもっと良い待遇を…、」
「お言葉だけれど。」
セイラームの言葉を阻み、友歌はにっこりと笑いかける。女優の笑顔──母譲りの、仮面。その仮面に含ませた意図を感じ取ったのか、セイラームの天使の顔《かんばせ》が青く染まった。滲み出るものは、怒気。
「私は、レイだからこそ召還に応じた。
たとえあなたの方が早く成人となり儀式を行っていたとしても──私は喚べなかった。」
レイオスの事など、友歌は知らない。友歌があえて知らないように接し、レイオスもまたそれを許容したからである。本来なら、この世界の事を知るよりもまず、召還者となるレイオスの事を先に知るべきだったというのに、レイオスはそれを強要しなかったのだ。
それに甘んじてきた友歌だが──こちらを極限まで思いやってくれる相手をけなされて、なお何もしないほど、人間捨てた覚えもない。
友歌はさらに仮面を何重にも重ね、笑みを深める。友歌の頭の中では、無意識に目の前の天使を追いつめるに最も効率的な方法が弾き出され──それは、今まで友歌が否定し続けてきた事を肯定するという暴挙に出させた。
「…わきまえなさい、餓鬼が。
私がレイのもとに降り立った意味を考えなさい。」
見たところ、高校生ほど──否、中学生だろうか。けれど、友歌は止まらなかった。──自分ではっきりと、遠回しに“精霊である”と言ってしまうほど、頭に血が昇っていた。
召還されてからの鬱憤《うっぷん》が溢れ出したと見ても良いし、ただ純粋に高飛車なセイラームの言葉にカチンと来たとも見て取れる。
ただ、避けてきたはずの“精霊”を肯定してしまった事で、友歌は後に自責の念に駆られること間違いないのだが、この時の友歌に冷静な判断が出来る理性は残っていなかった。
「──行くよ、サーヤ。」
「…………はい、精霊様。」
完全に固まったセイラームの横を、何事もなかったかのように通り過ぎる友歌に、サーヤは数歩遅れながらも着いていく。その瞳には、小さな光が灯っていた。
(精霊様…、王子の事をそんなに気に掛けてくださっていたのですね!)
淡泊に見えた、友歌のレイオスへの対応。けれど、今の場面を見てさらにそう考えるなど愚者である。ずっと精霊である事を否定し続けてきたと言うのに、今この場所で肯定するなんて…!
サーヤの心は、感動で一杯であった。出来れば今すぐに、親友であるレティに夜通し語りたいほどである。──そう、精霊様なら、もしかしたらレイオス王子を…。
サーヤは、いつもより数倍早歩きな友歌を見つめる。──友歌が降りてきたのは最高のタイミングだったのだと、少し前の不安を清々しい気持ちで払いながら。
(ああああイライラする!
そのせいで更にお腹減ったしもぉおおおお!!)
そんな事は知らず、叫びだしたい衝動を全て足を進める原動力に変えながら、友歌は自身に与えられた部屋に急ぎ早に戻るのであった。