018. 女中のレティ
ラディオール城で女中を務めるレティは、サーヤの親友である。幼馴染みでもある二人は、同時に城の女中になった。
貴族ではあるが、城の女中として志願したならそれは意味を持たなくなる。ここではただのサーヤ、レティとなるので、家名は尋ねられでもしないかぎり名乗らない。
娘を女中として働かせるのは、実は貴族にとっては一つのステータスとなる。下働きのような仕事は、貴族の令嬢達の意識を養うからである。そして何より、王族の目がある。やましいことはしていない、出来ないというアピールにあるのだ。
そうして二人は同じように働き、同じように配属され──けれど、レイオス王子に“気に入られた”のはサーヤの方であった。
レティとて、内心穏やかではなかった。けれど、女中となる時に「“そういう事”になっても恨みっこなし!」という約束もあって、レティは数日後には普段の自分を取り戻していた。
二人の友情は、少し離れても変わることなくあった。そして──レイオス王子にヒトガタの精霊が降り、サーヤは精霊の世話係となったのである。
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レティの仕事は、基本はなんでも有りである。食事を運ぶ事もあるし、掃除をする事もあるし、洗濯をする事もある。令嬢であった頃の綺麗な手は、既に荒れて働く者の手になっている。
それを見つめ、レティはほんの少し寂しくなりながらも、誇らしい気分になった。手には真剣に取り組む証が出るのだと教えてくれたのは、令嬢から女中になり、性に合っていたのかそのまま女中頭になったマリーヌである。
役職まで与えられると、それは正式な雇用となる。貴族としての地位は失うが、それでも城で職を得られるのは単なる雑用係であっても名誉な事である。
そんな人が認める、“働く証”…嬉しくならないはずがなかった。レティは笑い、洗濯をしている女中に混じり再開する。
「皆様、こちらも洗ってくださるかしらっ?」
「あ、はい!」
ぱたぱたと駆け込んで来たのは、大きな木の入れ物を抱えている女中仲間である。息を切らし、思い思いの場所で洗濯している中心に音を立てて入れ物を置いた。
入っていたのは泥で汚れたタオルで、どうやら兵士などが使ったもののようだった。手の空いた、または少なくなってきていた者から、数枚それを取っていく。レティも、ほんの少し自分の所に増やした。
精霊魔法は、滅多な事では使わない。使えない、というのもある。慣れていない者では、すぐに疲れてしまうからである。それを学んでいくための女中という職業ではあるのだが、それでも使い所を見極めていかなければすぐに倒れてしまう。
──思えば、サーヤは精霊を扱うのが上手だった。だからこそ、自分よりも目がいったのかもしれない。
悔しく思いながらも、レティは手を休めない。レティとて決して下手ではないし、日々自分の限界値が伸びていっているのも実感出来る。一日に二回、精霊魔法を使うのが限度だったのが三回、三回だったのが四回…。
十回を過ぎた頃から伸びは悪くなったが、一週間もすればまた増える。増えると言うより、無駄な力の抜き方を学んで浮いた力を次に回すのである。
少しばかり、自分より要領のよかったサーヤを目標にしながらも、レティは努力を怠る事はなかった。と言うより、精霊を扱えた方が効率も良いし楽も出来るので、女中の中で精霊魔法の練習をしない者はまずいない。
レティは木に属する風の精霊を宿している。主に、干した洗濯物を早く乾かしたり、食器の水気を飛ばしたりなど主に水仕事でよく使うため、周りもその辺りをレティに回す。
その分荒れていくレティの指先だが、それでも水の精霊を持つ者が定期的に癒してくれるため、酷くなることはない。レティは思う存分、仕事に打ち込むことが出来るのだ。
「…あ、」
ふと、誰かが声を漏らす。──聞こえてきたのは、不思議な旋律である。その場にいる皆が手を止め、ほんの少し上を向きながらそれに聴き入る。
優しい音。少し前から聞こえ始めたそれは、時間帯は不規則ながらもよく響いてくるものだった。
「精霊様だぁ…今日はちょっと遅めね。」
太陽の位置を見て、誰かが呟いた。レティはそっと城を見上げ、精霊の居るという部屋の窓を見上げる。──サーヤがお世話する精霊様は、歌がとても得意なのだ。
一月前、第二王子のレイオス=ラディオールが、精霊召還の儀式を行った。そこに現れたのは、なんとヒトガタを持つ女性の精霊であったと言う。その場にいたレティの父親は、興奮を抑えきれない様子の手紙をレティに送っていた。
数人の女中も同じような手紙を貰っており、その数日は精霊の話題が尽きなかった。漆黒の髪、漆黒の瞳…この世界では珍しい、“色”を持たない色。禁忌の色、神秘の色。
同じく白もそうであるのだが、強烈な印象を与えるためか黒の方が禁忌、真っ新な印象を与えるためか白の方が神秘、という意識が強い。
身に纏う分にはなんでもないのだが、生き物自身が黒や白を持つのは非常に稀な事なのである。それによって迫害を受ける地域もあるというくらいなので、人間が黒や白を宿すのは、その人自身にとっても喜ばしくない事だろう。
対して、精霊が黒や白を纏う、というのもあり得ないのである。珍しいのではなく、あり得ない。精霊には色があり、それはそれぞれ五つの属性で決まる。
レティはそっと右手に触れた。右手の甲にある緑色の模様は、そこに精霊が宿っている事を表している。
木の精霊は、緑色。自然の恵みを一身に受ける、柔らかな色である。
火の精霊は、赤色。激しい情熱を集めた、鮮やかな色である。
土の精霊は、茶色。全てを支える大地の、暖かな色である。
金の精霊は、黄色。映える輝かしいそれは、強かな色である。
水の精霊は、青色。流れ行く有限の、涼やかな色である。
二大精霊に色はなく、あえて言うなら赤と青であるため、火の精霊と水の精霊は、二大精霊に近い力を持つと言われる。だからこそ、黒や白を持つ精霊はいないはずなのである。その情報が入ったときの城の動揺は、一晩では語れない。
けれど──レティはほう、と息を吐いた。
一週間も延びたレイオス王子の召還の儀式を祝う宴。そこに急遽、精霊の召還祝いも兼ねられた。本当はもっと盛大にすべきだったのだが、あまり他国を刺激しすぎるのは良くないとの事で、通常の宴通りに進められたのだ。
レティはそこで、女中として参加していたのだった。そう、それは、精霊に一目見られる絶好の機会。レイオスを伴い現れたその女性は、艶やかなほどの黒髪を靡かせ入ってきた。──レイオス王子の“色”である、青と白を身に纏って。
ラディオール王国の王族には、色が決められる。色は、それを纏うだけでその人物を表せられる、最も簡単な方法だからである。
一般的には、髪と瞳の色。どちらも一緒なら、そこにさらに合う色を。たとえば、国王と王妃は焦げ茶と黄土。ライアンは茶と赤、レイオスは青と白。
その組み合わせは、発表された時点で王族専用のものとなる。装飾部分などに使われるには問題ないが、それらが大々的に面積を取っているのは法的にも罰せられるのだ。
なので、民は服の組み合わせで色を変える。焦げ茶と黄土に白など全く別のものを足し、“誤魔化す”のである。
そして、王族の二色を多く纏う事は即ち、深い関係であると言う事。“婚約者”や“夫婦間”である事を表す事もある。国王と王妃が同じ色なのは、そういう事だ。
レイオスの精霊なのだから、それを身に纏うのは道理に叶う。けれど──それを許したのが、“あの”レイオス王子、というのが問題なのである。
けれど、当たり前のように先導するレイオスとそれに着いていく黒髪の精霊。その場で、無粋な発言をする者は少なかった。
そうして──精霊の、歌。未だ鮮明に思い出せるレティは、右手を握ってほんわりと笑みを浮かべる。
精霊の──友歌の歌は、その場の全員の胸に響いた。宿す紋様を、余すことなく疼かせた。
あの場にいる者で、呼ばれた楽団以外に精霊を宿さない者がいたはずがない。それは、ほぼ全員があの感覚を共有したと言うことである。熱を持つ紋様に、それに呼応するように溢れる感情。あれは、そう、近い名を付けるなら“歓喜”。
その心に反応してか、否、待ちわびていたのか、紋様から抜け出し一斉に友歌の周りに集う精霊。目を閉じた友歌の髪を、服を、その形なき姿で彩る。
歌に集中して感じていないのか、ただ歌い続ける友歌に、精霊達は舞い、踊り──スウッと戻っていった。僅か、一分ほどの出来事…けれどその光景は、その場の全員の胸に残っている。紋様が、宴が終わってからも精霊が興奮しているかのように甘い熱を持ち続け、その晩は誰もが寝付けなかった。
──レティは次の日に、“宴の奇跡”と名付けられたそれを目の当たりにしたのである。
「レティ、ほら手を休めない!」
「あ…、はいっ!」
ぱちりと現実に戻されたレティは、慌てて自分の持ち場に戻った。歌はまだほのかに響いてくる。頬を緩めながら、レティは右手の甲を左手の指でなぞった。
荒れてきた指。定期的に癒されるが、経験は確かにレティの中に積み上がっていく。
(あの光景は、今だって目に焼き付いてる。
サーヤは、そんな精霊様のお世話係…いつか、いつか私も…、)
今では、精霊のお世話係に任命されることが、女中の間でも夢の一つとして語られている。レティも女中を仕事にする気はなかったが、もしそうなったら一生精霊の傍で仕えたいと思う。
それはどんなに名誉で、やり甲斐のある事だろうか。
ぐっと手を握ったレティは、腕まくりをして水の中に手を突っ込んだ。──サーヤが生涯精霊の世話係をするかはわからないが、きっと辞退はしないだろう…そのうち正式に、専属女中となるに違いない。
見ようによっては置いて行かれているレティだが、今は目標がある。足踏みをする必要はない。レティは、全力で女中の仕事に取り組んでいくのであった。