017. 学んでみる日
この世界の季節は、春と冬。十二の月のうち、春の六月を春月《しゅんげつ》、冬の六月を冬月《とうげつ》と呼ぶ。
春の一つ目を芽吹き月《めぶきつき》、二つ目を育ち月《そだちつき》、三つ目を葉の月《はのつき》、四つ目を蕾月《つぼみつき》、五つ目を咲き月《さきつき》、六つ目を満ち月《みちつき》。
冬の一つ目を枯れ月《かれつき》、二つ目を降る月《ふるつき》、三つ目を積もり月《つもりつき》、四つ目を白の月《しろのつき》、五つ目を溶け月《とけつき》、六つ目を無き月《なきつき》。
そうして一巡して、また巡っていく。日本の月の異称のよりは覚えやすそうだと思いつつ、友歌は紙を広げ写した。
そうして書き終えた後、友歌はぐんっと伸びをする。──園田友歌、ただいま勉強中であります。
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友歌がまず学んでみようと思ったのは、暦の事だった。とりあえずは、一般常識の初歩ら入ってみようと思ったのである。
あまりこの世界の知識を詰め込みたくなかった友歌は、あえてそういう事を調べようとしなかったし、知る機会も避けてきた。
けれど、一月が経ち──そう簡単に帰れない事を実感し始めたため、渋々ながらも最初に渡された本を広げたのである。
(えーと、春は花で冬は雪で表してるのかな。
…うん、この十二個は覚えておこう。)
書き写した紙を見て頷き、友歌は次のページに目を移した。本当に初歩の初歩から書かれているので、幼児よりも知識のない友歌にとっては有り難いものであった。
一週間は七日、精霊の属性で名付けられる。
それぞれ木の精霊の木の日《きのひ》、火の精霊の火の日《かのひ》、土の精霊の土の日《どのひ》、金の精霊の金の日《かなのひ》、水の精霊の水の日《すいのひ》。
そして、言わずもがな春の精霊シュランの春の日《しゅんのひ》、冬の精霊リュートの冬の日《とうのひ》…それが一巡り。一週間ごとに数字を増やして数える。例えば月の初めの週は“一の木の日”、その次の週は“二の木の日”である。
それぞれの名の日の時は、その精霊が活発に動き回るらしい。わかりやすく言えば、春月でも冬の日は雪が降るときがあり、冬月でも春の日は草が芽吹く時があるという。といっても、これは二大精霊の影響だからだそうなので、他の五日はここまで顕著ではないらしい。
友歌は同じく書き留めながら頭に入れ込んでいく。書きながら覚えていくのは、何処の世界でも変わらないらしく、新品の紙をサーヤが用意していったのだ。
そのサーヤは、レイオスに呼ばれたとかで一時離れている。もちろん、その際に部屋の四隅の花瓶に何か呟いていたので、自らに宿る水の精霊に何か命じていったのだろう。
友歌の自身のこの世界での価値を知っているので、余計な口出しはしない。というか、面倒事には関わらないという友歌のスルースキルが遺憾なく発揮された結果であった。
というわけで、友歌は気兼ねなく本を読み漁り、必要な分だけの知識を書き覚えていっているのである。時折、サーヤの淹れていったお茶や菓子を口に含みながら。
(…あれ、そういやお菓子は普通に美味しいな。
そういえば、歌には敵わないけど精霊に捧げるものの一つだっけ…とことん精霊主義というか。)
つまりは、精霊のためだけに美味しいお菓子は開発されました、と。生地を焼いたものがほとんどだが、それでも料理よりは確実に手間暇がかかっているだろう。
じっと手に持った菓子を見つめ、ぽいと口に放る。精霊は音楽が好き。精霊は甘いものが好き。精霊は真っ直ぐが好き。精霊は真実が好き。
──どこまでも“お綺麗な”精霊像に、友歌はふうっとため息を吐いた。
(…そんな精霊様に勘違いされているとか…可哀想な私。)
行動一つで、全部が精霊に繋がってしまう。──変な事をこの世界の人に植え付けたら、精霊様大激怒で地球に帰してもらえない、とか…うわぁありそう。
友歌は自身の思考に沈みながら、ゆっくりと本に目を通していく。それを別にしたって、早いところ帰る方法を探さなければ、それこそ慣れてしまいそうで怖い。
結局は、“遠くの親族より隣の他人”…此処が居心地良く感じてしまったら、身動きが取れなくなってしまうのである。
また書庫に行きたいなぁと考えつつも、友歌は紙を捲る手を休めない。気になるところは書き出し、メモを取っていく。
(お、行事か…。)
開いたページには、この世界の表だったお祭りや恒例行事が国ごとに書かれていた。この世界特有のものは頭の方に書かれているが、細やかなものはそれぞれ覧が作られている。
友歌は、ラディオール王国のものが書かれているページを探す。この国以外に行くことなどないのだから、必要がないと判断したのだ。そうして見つけた場所は、結構な広さを取っていた。
(…精霊様がいっぱいだあ。)
予想通りのページに、友歌は半眼になる。何処を見ても、精霊を崇めるものだとか、親しみを込めるものだとか、これはもはや国を挙げての洗脳活動と言ってもいいだろうか?
所々指先に力を入れながら、実際に精霊の存在が確認されているのだからしょうがないよね、これが常識、これが常識と友歌は暗示をかけて読み進める。日本の思想的に許せない事であろうが、それは友歌の勝手なのである。
けれど、中にはちゃんと豊作祈願などのものもあるので、友歌は多少ほっとした。それらが精霊に祈るものなのは見ないフリだ。
──と、友歌は捲っていた手を止める。一際大きく書かれた文字に、目を留めたのだ。
「【春冬《しゅんとう》の祈願】…?」
呟き、首を傾げ──ふと、自らに影が出来ているのに気付く。…影?
「モカは、行事に興味があるのか?」
「っレイ!?」
聞こえた声に肩を揺らし素早く横を見れば、いつも通りの青と白に身を包んだレイオスが、本を覗き込んでいた。ほんの少し仰け反りながら、友歌はひくりと口元を引きつらせる。
「え、あの、なんで部屋…っ!」
「、ああ…すまない、知らされていなかったか?」
友歌の驚きに逆に目を見開きつつ、レイオスは前屈みだった背を戻し、四隅にある花瓶の一つを指さした。
「サーヤが水の魔法を残していったろう?
あれは外と中を遮断するもので、サーヤが許した相手しかそれを抜ける事が出来ないんだ。」
「…えーと、つまり、外からノックしたり声を上げても私には届かない?」
頷いたレイオスは、どうやら入った時には声をかけたらしいのだが、友歌が集中していて聞こえていなかっただけらしい。
一度のめり込むと、生返事をしてしまう事が多々ある友歌である。そろりと目線を逸らし、それが常習である事をレイオスに知らせた。
レイオスはそれを見てきょとんとすると、くすくすと笑う。上品さがよく出ている笑いは、今の日本では滅多にお目にかかれないだろう。
正真正銘の王子の笑みに、ほんの少しときめきつつも向かいの席を勧め、友歌は精霊魔法の奥の深さに感心していた。おそらく、水の精霊の特性である“ものの安定”で、この部屋を“安定”させる魔法なのであろう。
素直に座ったレイオスに、友歌は本をテーブルの上に広げてみせた。
「少しお勉強中…で、今ここ見てた。」
「【春冬の祈願】…春月と冬月の境目の一大行事だね。」
友歌が指さした場所を見て、レイオスは頷く。
【春冬の祈願】──文字通り、春のシュランと冬の精霊リュートに人々がそれぞれの願いを伝えるものである。数日かけて行われるそれは、国を挙げての行事の中でも一番の盛り上がりを見せるようだ。
太陽を両手で掲げる白髪の人物と、月を抱く黒髪の人物が挿絵として描かれたそのページは、誰が見ても熱が入っていると思うだろう。
「毎年、太陽と月が重なる日に舞姫が二人選ばれて、大衆の面前で舞うんだ。
漆黒の衣に白銀で月が描かれた青と白の布を纏った“冬月の舞姫”と、純白に黄金で太陽が描かれた赤と黒の布を纏った“春月の舞姫”。
二人が交互に、息の合った舞いを見せる姿は圧巻だ…普段姿を見せない精霊も、この場にだけは現れる。」
「…い、一年の周期で日蝕があるんだね。」
「にっしょく…?あの赤い月は日蝕と言うのか?」
「(…えぇー…それは月蝕の時の月なんだけど、)まあ、そうだね。」
日蝕は月によって太陽光が遮られる現象、月蝕は太陽と月の間に地球が挟まり、それによって月への光の反射がなくなる現象の事だ。月蝕の月は、赤く見える。
友歌の日蝕の解説に感心したように頷いたレイオスは、なるほどと頷いた。月蝕は言ってもわからないだろうので、友歌は言わなかった。日蝕の時の月は黒いはずなのに、そこは流石別世界だと友歌は妙な所で納得する。
「重なる太陽と月は、シュランとリュートが相まみえる瞬間だと言われているんだ。
昼が暗くなり、朱月《あかつき》が姿を見せる…そこから降りてくる赤と青の二つの光が、舞姫を選ぶ。」
「(しかも必ず皆既日食ですか…、)光…二大精霊の使い?」
「ああ、そう言われている。」
皆既日食…地球じゃ五十年以上も待たなければいけない現象だ。友歌は、新たに知った地球との違いに、ほんの少し頬を緩めた。地球とは違う、日蝕と月蝕がいっぺんにくる現象──ちょっと見たい、かも。
ちら、とレイオスを見上げれば、ばちりと視線が合った。そして数秒…友歌の無言の訴えを感じたのか、レイオスがふわりと笑った。
「今日は咲き月の四の水の日…朱月が見えるのは一月後だ。」
「やった!」
キラキラと瞳を輝かせた友歌に、レイオスも優しそうに笑う。けれどその心情は、やはり二大精霊に会えるのは人間以上に喜ばしいのだな、という思いも携えていたが。
レイオスの勘違いを助長させながらも、そんな事を露とも知らない友歌はただその日を心待ちにするのであった。