016. エル語とエル文字
簡潔に言おう…スープの改良、成功!友歌はぐっと拳を握った。
実は、そこまで難しくなかったというのもある。ベースとしてのものはあったのだから、後はそこに味のよく出る魚や海藻を探していけばいいのだ。
とは言っても、身が柔らかすぎて崩れる、干物にすると匂いがきついなど多少の苦労はあったが、それでも一週間ほどで友歌の味覚に合うものは出来上がった。小魚を干物にしたものと、昆布っぽい赤い海藻…値段は少々高めだが、手に入らない程ではない。
これでダシの取り方は大丈夫だろう。もしかしたらもっと良い材料があるのかもしれないが、友歌としては合格ラインを突破しており、満足のいく結果となったのだった。
そしてダシが出来るようになったなら、後はそれの応用である。汁一つで味はとことん変わるものだし、今度はそれを使った料理の改良である。
まだスープのレパートリーは一つしかないので、鶏ガラなんかを使ったものも開発してもらいたいと思いつつ、友歌は料理人力作のスープを堪能するのであった。
*****
「美味しかった、ご馳走様!」
ぱんっと勢いよく手を合わせた友歌に、サーヤはにこりと笑う。友歌の作法に慣れてきたサーヤは、それを行う友歌を微笑ましげに見つつ、食後の紅茶を淹れ食器などを下げていく。
友歌はそれを機嫌良く見つめながら、紅茶を手に取った。
「料理人にありがとうって伝えてくれる?
あ、手紙とか書いた方が良いのかな…。」
「そうですね…喜ぶと思いますよ。
なんたって、精霊様のために頑張っていたのですから。」
頷いたサーヤに、友歌も考える。──まあ、ちょっと無理させたかもしれない。
友歌が望んだものは出来上がったが、実際それには料理人達の多大な苦労の上に成り立ったものだ。自分達の仕事があるというのに、友歌の満足いくものを作るという指名に燃えた彼らは、合間の自由時間を使ってくれていたのである。
友歌としてはそこまでしてくれなくても良かったのだが、彼らにとっては精霊の食すものを作れるという事は一種のステータスとなるのだ。
つまり、休憩している暇があったら、自分達のためにも探しまくるし、試しまくる。そうした料理人達の努力あって、一週間という脅威の時間で出来上がったのである。
もちろん、何か手がかりとなるものを見つけた料理人達は、厨房でも一目置かれる存在となっていた。
友歌は考え込み、サーヤに紙とペンを頼む。
「とりあえず、我が儘に付き合ってもらったお礼からかな…。」
素早く、部屋から上質な紙を取り出したサーヤは空いたスペースにそれをそっと置き、綺麗な装飾の施された万年筆のようなものを友歌に差し出した。
受け取りながら、友歌は文章を考え始める。
(…あ、しまった。)
けれど、友歌はある問題にぶつかった。──そういや、こっちの文字って書けないんだった。
友歌がこちらの言葉を話せるのは、すでに召還された次の日にわかっている。それがどういう補正なのかはわからないが、まあ召還の付加効果のようなものだと友歌は解釈していた。
対して、わからないのは文字である。読めるのは、読めるのだ。けれど──よく見れば、友歌の知っている文字ではない事に、友歌は料理の本を見ていて気付いた。
一月も経っておきながらとは友歌も思ったが、実際よく目を凝らさないとわからなかったのだ。つまり、料理を変えてやるという友歌の熱意がそのフィルターを取り去っていたのである。最初に手渡された本では、どうやら友歌の意欲を引き出すことは出来なかったらしい。
友歌は唸り、とりあえず、と文字を書いてみた。
「サーヤ、読んでみて?」
「はい。」
後ろからそっと覗き込んだサーヤは、首を傾げた。──なんの模様だろうか。
それを見た友歌はやっぱりと項垂れ、サーヤを見上げる。その途方にくれたような顔に、サーヤはようやく合点がいった。
そして、その文字らしき複雑な模様に興味を引かれつつも、文字を教える事を了承したのであった。その場を離れたサーヤを見送りつつ、友歌は手元の紙に意識を向ける。
“園田 友歌”
そう書かれた紙を見て、友歌はため息を吐く。──どうやらこの便利機能は、制限付きのようで。
周りから友歌を通したり、友歌自身が伝える情報は変換してくれるが、一度形にすると意味がないらしい。つまり、文字だけはどうにもならないという事である。
けれど、そうなるとある疑問も湧いてくる。周りの言語が日本語に直されるとしたら、おそらく別の言葉も文字も友歌は理解出来る。
そうなると、もし異なる文化の人が友歌の傍にそろった場合、友歌の話す言葉は複数の言語に訳されるという事だろうか?
今まではわかるならいいか、と放置していた友歌だったが、そうなったら面白そうだと思いつつ、食器を廊下に出してきたらしいサーヤを待つのであった。
「精霊様には、文字があるのですね。」
「だから精霊違う。
…えーと、これで“ありがとうございました”?」
「はい、合っております。」
サーヤの静かな探りにいつも通りに返し、友歌は書いた紙を見せる。サーヤは頷きながらも、先程友歌が書いてみせた四つの模様を気にしていた。
友歌はその様子を華麗にスルーしつつ、サーヤの書いた表を見て次の文章を脳内で組み立てていた。真剣に見ていなければ勝手に読めてしまい、それをわからない文字として書こうとしている矛盾で頭が痛くなってくるのだ。
便利だが、やはりそういう弊害は付きものなのだと友歌は理解した。何事も、それだけのリスクは負っているのである。けれど友歌にとって幸いだったのは、日本と同じく、文字が“あいうえお”の一音一語で表せる事だった。
つまりは、英単語のように綴りを覚える必要がない。“あ”なら“あ”を当てはめ、“い”なら“い”を当てはめればいいだけなのだ──知っている日本語を、この表の通りに直せばいい。
友歌はサーヤに感謝しつつ、早々に覚えようと決心するのであった。
「ねえサーヤ、この世界って全部共通語?
違う言語とかもあったりするのかなぁ。」
文章を考える合間に、友歌は質問をした。表を作って見せただけで書けるらしい精霊様に驚きつつも、それならと自分の仕事に戻ったサーヤは手軽な菓子を用意しつつ、そうですねぇと間をおいた。
「現在使われておりますのは、私たちが話しております言葉。
一般的には、この大陸にちなんでエルヴァーナ語、エルヴァーナ文字…それぞれ略してエルと呼ばれています。」
「って事は、大陸共通?」
「はい。
この言葉以外を話すのは、遠い海を隔てた異大陸の人々ですが…全く交流がない上に、幾度か襲撃されておりますので話す者はまずいません。」
「襲撃されてるの!?」
あっさり頷いたサーヤに、友歌は文字の見過ぎだけではない目眩を感じた。言語が一つという発言よりも、そちらの方が気になる。
そんな友歌の様子を推し量ったのか、サーヤはそっと身だしなみを整え、話す態度に入った。
「まず、私たちの住むエルヴァーナ大陸があります。
昔はもう少し違う言語もあったようですが、徐々になくなっていったようです。」
「(日本語と同じ構造してるから、当然難しいはずなんだけどな…より難しかったって事か?)ふむ。」
「そして、異大陸の事ですが…正直、あまりよくわからないのです。
数多の冒険家達が空へ海へと精霊を連れ行ったようですが、帰ってきた者はいません。」
それほど遠いのか、もしくは完璧に抹消されたか。けれど、襲撃と言うからには、エルヴァーナの場所なんかはあちらには知れ渡っていると言う事になる。
それは異大陸が先なのか、もしくはこちらが先なのか…。
「始めて異大陸の事が意識されたのは、一度目の接触があってからです。
カカリスという、海に面した国の交易船が破壊されてからでした。」
始めて聞く名前に、友歌はもう少しくらいは地理も知っておこうと思いつつ、頷いた。
しかし…襲撃があってからという事は、こちらの冒険家が捕まったから知れたのではなく、初めからエルヴァーナを知っていたという事である。つまりは、この大陸が及ばないほどの技術を持っている可能性もある。
「かろうじてカカリス国の被害はそれだけでした。
けれど、毎年必ず一度はエルヴァーナは襲撃に遭っているのです…それも、カカリス国も面する、東の海の何処かで。」
「…東に位置する大陸、って事かな。」
「おそらくは。
きっと他にもあるのでしょうが、私たちが異大陸と聞いて思い浮かべるのはその東にある大陸、ですね。」
東の大陸。東の国。友歌が思い浮かべるのはもちろん、日本である。
繋がりなどあろうはずもないが、なんとなく懐かしい思いに浸りつつ、友歌は頭を整理していく。──まあ、覚えておくに越したことはないかな。
あまり記憶したり習慣付いてしまうと、帰った時に色々と面倒である。覚えておく事項をリストアップしていき、友歌は満足そうに頷いた。
「とりあえずは、エル語とエル文字が通じれば問題ないんだよね?」
「はい、全く。」
「わかった、ありがとうサーヤ。」
別の言語にも通じるのであれば複雑なそれを体験してみたかった友歌だったが、今のところそれに出会える確立は低そうだと諦める。
書きかけの紙に向き合い、友歌は再び表と紙を睨む。サーヤはそれを見つつ、ほうっと息を吐いた…本当は、一番始めに渡した本の方が詳しく載っているのだ。
ちらりと、本棚に眠っているそれを見つつ、集中しだした友歌の背を見やる。──どうやら、必要最低限の事しか覚えて下さる気はないらしい。
友歌の気持ちを感じ取りながら、サーヤはざわざわと嫌な予感がしてならないのであった。そう、まるで、友歌がレイオスの傍から離れていってしまうような…。
そこまで考え、気付かれない程度に首を振った。要らぬ事は考えない方が吉だ。それに、レイオス自身が友歌を離す気がないのである。
たとえ友歌が望んでも、契約がある限りは無理なのだ。
熱心に書きながら時折天井を見上げる友歌を見つつ、サーヤは自身が仕えていた、そして今も尊敬している王子を思い出す。そう、無理なのだ。
──もう、レイオスに、友歌は必要不可欠な存在なのだから。
サーヤはそっと目を伏せる。最高のタイミングだったのか、最悪だったのか。レイオス自身さえわかっていないだろうそれに、サーヤは二人の行く先を案じずにはいられなかったのだった。