015. 決意
レイオスの王子としての仕事は、実はあまりない。あるとすれば、国について学ぶこと。国の動かし方を覚えること。けれど──それらは全て、次期国王となるだろう兄を支えるためのものだ。
ラディオール王国の跡継ぎは、兄であるライアン=ラディオールである。それはレイオスも認めているし、むしろ兄が継ぐべきだと公言している。
そのため、レイオスとライアンの間は比較的良好である。どの国にもある後継者争いが、完全に消滅しているのだ。
周囲にしてみても、態度からして継ぐ意志のないレイオスを祭り上げる者はおらず、レイオスは一国の王子にしては異様なほどに自由な生活を送っていた。
けれど──それも変化してきている…良い意味でも、悪い意味でも。レイオスは、積み上がる色々な問題に頭を抱えていた。
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「レイオス王子、貴族の方より…、」
「いい、いらない。」
内容も聞かずに切って捨てたレイオスに、サーヤは折りたたまれた紙を懐にしまう。レイオスは項垂れ、デスクテーブルと対になっている椅子に深く腰掛けていた。
夜、友歌が寝静まった後にサーヤはレイオスの元へと向かう。それは決して深い意味は持たず、ただ報告のためと、僅かな身の回りの世話をしに行くのだ。
しかも最近、レイオスは何かと考え事をしている事が多く、疲れた表情を見せる。友歌には一切気取られないよう注意を払ってはいるが、それが露骨になってくるのも時間の問題だろう。
──レイオスは、今までにないくらい心身共に疲弊していた。それは今も、現在進行形で降りかかっている。
「くっそ…あの狸どもめ、」
「王子、言葉遣いを。」
「…わかってる。」
舌打ちしたい気持ちに駆られながら、レイオスは深いため息を吐く。サーヤは咎めながらも、気を鎮める効果があるというお茶を用意した。
事の発端は外でもない、友歌だ。けれど、実際友歌にはなんの関係もなく、ただ周りが騒ぎ立てている。
──友歌への、精霊の実体解明に協力要請がきているのだ。
協力要請などと言っているが、実際はただ研究材料に差し出せと言ってきているのである。精霊の事が解明されれば、国にとっても世界にとっても有益になるだろうと。
例えば、友歌がただの貴族のところに降り立ったなら、すでに友歌の身は研究機関にあるに違いない。今なお無事で城で過ごせているのは、王族の精霊というこれ以上ない後ろ盾があるからだ。
レイオスはまたため息を吐きながら、サーヤの淹れたお茶を口に含み、ゆっくりと飲み下した。
「…ふざけている。
何が国のためだ、民の税を溝に捨てる豚どもが…、」
「王子、表現方法を変えたところで意味は一緒ですよ。」
「……わかっている!」
ぽろぽろと零れる言葉は、レイオスの本音だ。今夜の王子は荒れてるわぁ、などど思いながらもサーヤはお茶を淹れる──けれどすぐに、飲み干されてしまった。
幾度となく続くそのやり取りに、サーヤは軽い苦笑を返す。
「精霊様の行動は報告しておりますのに…。
あの豚…失礼、あの方々は何が物足りないのでしょうか。」
「…権力を広げ誇示出来る機会があるのに、巡ってこないのが不満なのさ。」
サーヤから漏れた言葉からも、レイオスと同じ気持ちであることがわかる。レイオスは憎々しげに吐き捨てながらも、解決策のない現状が苦しかった。
──精霊研究機関、というものがある。その名の通り、精霊を研究している所である。国からも半ば独立した場所であり、王族ですらその内容を知ることはままならない。
けれど、レイオスに…否、誰もがわかっている事がある──あそこは、権威の巣窟だ。
研究機関とは名ばかりに、その特異な名称をかざし、貪っている。けれど、レイオスが気にくわないのはそんなものではない。そう、いわば、精霊を“食いもの”にしている事が許せないのだ。
現在、精霊召還を行う儀式をしているのは、主に王族と貴族である。けれど、その外にも行っている所がある…即ち、その研究機関である。
それはつまり、実験のために精霊を降ろすという事。それはつまり、降ろすための人材を集めているという事。それはつまり──レイオスの感性で言うなら、外道であった。
(ああ、頭が痛い…。)
レイオス達王族や貴族とて、すでに恒例行事となっている精霊召還は行っている。けれどそれは、世界にとって…否、人間にとって必要であるのだ。
精霊との交流が薄くなっている今、昔ほど精霊が気まぐれを起こす事がなくなっている。それでも頻度は多いが、年々少なくなっているのも事実なのだ。
そんな時、精霊を降ろした者ならば、その分を補う事が出来る。事実、貴族や王族であっても、どの国でも奉公と言って労働を強いていた。
それぞれの精霊の能力を行使させるのはもちろん、本人達の性格などでもその方向を決められる。
木系統の精霊を操る者なら、新しい作物の栽培方法などの獲得。
火系統の精霊を操る者なら、その勇敢さや真っ直ぐさを生かした兵士や各分野での指導者。
土系統の精霊を操る者なら、それぞれ得意な知識での教師や研究者。
金系統の精霊を操る者なら、新たな道具の発明や、国の施設などを調べる監察官。
水系統の精霊を操る者なら、人体についての解明や医療系の方へ。
全て、人間にとって必要な事だ。なくなってしまえばこの先、国どころか世界が上手に回らなくなるだろうほどの。
けれど──あそこは違う。ここ百年ほどは目立った報告が上がってきていないにも関わらず、未だ変わらぬ権力を保持し続ける、歪んだ場所だ。
精霊をわかろうとするなど、無駄も良いところである。何万年何億年と前から存在し世界を廻らせてきた精霊を、どうやって数千年の歴史しかもたない人間が理解出来るというのか。
成果があるならわかる。けれど全て、憶測の域を脱しないものばかりな上に──幼児ですら知っているような事をぐだぐだと挙げていくだけなのである。
けれどそこに友歌が現れた。長々しく語ったが、つまりは──『その精霊がいれば、きっと必ず解明してみせるから寄越せ』である。
ふつふつとわき上がる怒りに、レイオスはまたカップの中身を飲み干した。いつもより消費の激しいそれに、サーヤは淡々と注いでいくだけである。
勿論そんな事はレイオスが許さないし、王族も筆頭に貴族も賛成はしない。レイオスという王族がヒトガタを降ろしたという事は、ラディオール王国が外の国に絶対的に勝ったという事だからである。
精霊を優遇するこの世界では、特別な精霊を降ろすという事はつまり、そういう事だ。現に、友歌が現れた一月ほど前から、国に対する書状が後を絶たない。
全て好意的なもの──同盟をというものから、こちらに優位な交易の誘いや、果ては精霊の加護を我らにも、という内容。並みの国であったラディオール王国が、一歩どころではない、どの国にも届かない頂を抱いたも同然な瞬間であった。
それをむざむざ、今後の成功のために滅茶苦茶にするというのだ。何を考えてかわからないが、とりあえず阿呆かお前らは、という団結した思いが城を取り巻いているのである。
──そう、取り巻いていると言えば、レイオスの周囲も劇的に変化していた。このまま平穏に兄の補佐としてやっていくかと思われたレイオスだったが、まさかの「レイオス王子を王に!」という言葉が飛び出してきたのである。
友歌を擁するレイオスは、国という国から羨望を浴びる存在となってしまったのだ。精霊に愛された王子、精霊に認められた王子──言葉にすれば数行にも満たないそれらが世界にもたらす効果は、計り知れない。
そんなレイオスが国のトップに立てば、ラディオール王国は文句なしに世界の頂点に立つ…それを、周りは望んでいるのだ。世界を牛耳るラディオール王国…なんという素晴らしい響きだろうか、と。
レイオスにそんな興味はないし、レイオスに友歌を利用する気持ちは毛頭ない。友歌にも誓った通り、全力で友歌を護る気でいるし、それを違《たが》える予定は永遠にない。
だからこそ、今まで以上に王位を手に入れるつもりはないと言い張り──そうして居たときに、兄ライアンが友歌と接触してしまった。
レイオスと精霊を取り合うのか…そんな憶測まで飛び交うようになり、レイオスとしては要らぬ頭痛の種が増えてしまったのだ。
ライアンにも何か思惑があると思いたいが、それが良い方向に転ぶかはわからない。ライアンは独特の空気を持っているため、レイオスとしては余計な事はしてほしくなかったというのが本音だった。
「落ち着き下さいませ、レイオス王子。
あなたがそのようでは、精霊様が不安がりますわ。」
「…………、ああ。」
友歌を降ろした事で、レイオスの身の回りは変わった。それは、圧倒的にマイナス面が多い──けれど、レイオスに友歌を手放す選択肢はない。
友歌が隣に在る事を望んで、それに合った道を探す。周りが都合の良いように自分達を取り巻く中で、ただそれだけがレイオスの揺るがない想いである。
──そうして周りが騒がしくなった事で、レイオスはより友歌がなんの気兼ねもなくなるように、護るという事に敏感になっていくのであった。