014. 美味しい食への
「精霊様、追加のものにございます。」
「ちょ、待って…、」
うぷ、と胃から上がってきたものを堪え、友歌は口元に手をやった。減ったように感じられない、目の前に溢れる液体の入った皿。
友歌はそっと目線を逸らし、八分目どころではないお腹の調子に項垂れた。
「…休憩。」
悔しそうに呟いた友歌に、サーヤは優雅にお辞儀をして見せる。そして、お腹をさすっている友歌を見て、ほんの少し苦笑を浮かべた。
「…残しても良いのですよ?」
「それは駄目。」
即答した友歌に、サーヤは出過ぎた真似をしました、と笑い後ろに控えた。並ぶ料理を親の仇のように見つめ、友歌はため息を吐いたのだった。
*****
書庫、友歌が本を片手にサーヤのところに戻ると、サーヤは何事もなかったかのようにお辞儀をして迎えた。けれど、友歌には見えていた。ほんのり笑みを浮かべるサーヤと、入ってきた時とは違う、周りの好奇の視線に。
それはそうだ、と友歌は心で愚痴る。出入り口は見たところサーヤが立つこの扉だけだ。つまり、ライアンは普通にここを通ったことになる。
ライアンが持っていた本を友歌が抱えているのに疑問もない事から、どうやらサーヤには承知の出会いであったらしい。──そう、おそらくレイオスも。
友歌はふうぅ、と息を整えてサーヤを睨むように見る。けれど、サーヤは肩をほんの少しすくめただけだった。
「…帰るよ。」
「はい、精霊様。」
むすっとした顔のまま歩き出せば、サーヤも斜め後ろを着いていく。友歌は、とりあえず事の次第を聴かせて貰おうと決心したのだった。
今後またこういう事があれば、逆にレイオスの立場を危うくしてしまうかもしれないのだ──友歌はこの世界での礼儀を知らないし、むしろ根本的にそのような教育は受けていない。
けれど友歌が部屋に戻り、真っ先に見たのはレイオスの姿だった。いつもとは違い、そわそわと落ち着きなく歩き回っていただろうその様子に、友歌は怒るのも忘れ呆然とした。
短い付き合いとはいえ、レイオスが努めて冷静である事を崩さないようにしているのは気付いている。それは、王子としてのデフォルトで求められている事なのだろう。
最近は、友歌にも気を許してきたのかそれが崩れてきたとは言え、ここまであからさまに行動に表れると驚きが先に来る。
レイオスはすぐさま友歌に気付き、駆け寄り──サーヤが席を勧めるまで、友歌に弁解をしていたのだった。
曰く、簡潔に言うなら、ライアンに押し切られたのだそうだ。自分の弟が召還したというヒトガタの精霊──気になるのもわかるが、何故書庫での出会いとなったのだろうか?
これもつまり、ライアンの我が儘らしい。公式な場に招待すれば、多少なりともかしこまった姿しか見られない…それでは意味がないのだと、ライアンはレイオスに畳み掛けたらしい。
そして、何処から聞いたのか料理に関する評価の高い本を集めている事も知っており、それを渡すという名目を奪い取っていったそうなのだ。
(…渡された、と言うより置いていった、だろうあれは…。)
目眩が止まらない友歌である。レイオスは、友歌の思うように公式の、ちゃんとした場で会わせたかったらしい。
本当は宴の時に王様、王妃と共に会わせる予定だったようである。が、精霊との同調率を調べるための定期検診の日、とかなんとかで会えなかったという。
宴と同等の価値を持つ席が望ましかったようだが、ライアンの行動のせいでそれも叶わない。
もちろん非公式の場ではあるため、またちゃんと着飾った格好で会わなければならないのだろうが…それも今更だろうと友歌は思う。
友歌の格好は、動きやすさを重視したものである。召還された日の格好で大体の見当を付けてくれていたサーヤが、レイオスにそういう服を多めに用意するよう進言してくれたらしい。
余談だが、友歌の着ていた服を着替えさせたのはサーヤで、地球産のそれはすぐ返された。実験の材料にしたいんだろうなぁと思いつつも、大切に箱に入れられたそれは部屋の衣装箪笥の中で眠っている。
それは置いておいて、そんな貴族ではまずしないであろう格好をまざまざと上から見られておいて、今更綺麗に飾って上辺の付き合いをする必要はあるのか、という事だ。
けれどそれを言えば、レイオスが必死に友歌を説得しにかかったので、友歌は早々に折れた。勢いに押された以上に、涙目になっていたのに動かされたのもある。
どうやら、周りからも兄であるライアンには精霊を見せないのか、と圧力が掛かっているらしい。サーヤがこそっと教えてくれた内容に、友歌は改めて王子としての役割を不憫に思った。
そして、友歌がレイオスの抗えなかったであろう状況を聞き、その場は収まった。そして数日後──そこは戦場と化す事となる。
*****
「…物足りない…なんだろう、味はすっごく良いのに。」
「じっくりお考え下さいませ。」
お腹に余裕が出来れば少し食べ、また間を空けるという事を繰り返しつつ、友歌は皿を少しずつ消化していった。味見的なものが大半のくせに、減っていかないというのはどういう事か。
多少うんざりしながらも、友歌はじとりとテーブルの上を睨み付けた。──それらは、友歌の言葉によって料理人が作ったものである。
多少の誤差はあったが、友歌の望み通りに料理の本は手に入った。それを見て、友歌は圧倒的に情報が少ないことに気付く。
そう──やはりこの世界は、何に対してもまず精霊が先に来るのである。思考回路にしても、優先順位にしても。
まず、丸ごと料理が多い。自然のものは精霊が形作ったものという概念があるため、それを崩すというのはあまりやらない事らしい。食べやすくするために切ったり潰したりもするそうだが、もとが何であったかわかるくらいは大きさを留める。
そして、前も言ったが味付けがシンプル一直線。天然の塩や、果汁から絞った砂糖を使ったものがほとんどである。
まれに別の調味料も使うらしいが、それはある国が味付けに特化した交易を行っているもので、大量に出回っているわけではないらしい。しかも、ラディオール王国とは友好関係が築けていないため、流れの商人から買い付ける事がほとんどだという。王族も万能ではないのだと、友歌は場違いだがほんの少し親しみを感じた。
“発酵調味料”なんていう一般名称がついているため、味噌などの菌を精霊を使って管理したものだと思われるが、それは手に入ってからでないと判別は出来ない。──自力でやっていると考えられなくもないが、精霊という便利な存在が居るのだから、温度調節などはきっと利用しまくっているだろう。
とりあえず出来るものからやろうと思った友歌は、まずは洋食から攻めてみる事にした。
祖母の手料理で幼少時代を過ごし、祖母に鍛えられた母の食事で育った友歌は、和食大好き人間である。早くこちらでも味の再現をしたいと思う一方、肝心な材料や調味料が足りない、わからない。
本音を言えば、美味しい和食を確実に食べたいという欲求のため、手軽な洋食から凝った和食へと切り替えていって貰おうという下心もある。
けれど、洋食の方が簡単に作りやすいというのもちゃんと考えての事なので、友歌はそれには蓋をしたのだった。
「んー…これは普通に美味しいかも。」
「料理人も、最初からダシとして使うことに驚いていましたから。」
これは数日経って気付いた事だが、スープ類は味が地球と大差ない。と言っても、やはり塩味で薄めがメインなのだが、やはり味が汁に染み出ているのが良いらしい。
なので、手っ取り早くスープの改良から始めた友歌は、魚や海草からダシをとる、という事を伝えた。何故気付かないのかと思いつつも、それがこの世界の思想──いわゆる、精霊がいる事で起きるブラックボックスだとするなら、深く考えては負けなのだと思い込むことにした。
踏み入って精霊に変に絡まれでもしたら、地球に帰る事すら危ぶまれる…友歌は、そんな開けてはならないパンドラの箱は、必要でない限りは放置する事にしたのだ。希望が残っているかも疑わしいし、解明したところでこの世界の有益になるとも限らない。
開けなくても、友歌が変えていけばいいのだ。パンドラの中身を知らなくとも、その箱があることに気付いている友歌が。
友歌はお腹がタプタプと水音を立て始めた事に気付きつつも、美味しい食生活を実現させるため、またしばしの休憩をとるのであった。