013. 邂逅
天井は高く、そのすれすれまで棚が伸びている。所狭しと均等に並んだその棚には、これでもかというほどの本が置かれ、置かれ、置かれ…。
思わず目を回してしまいそうなその場所に、友歌は思わず呆けてしまった。
「どうぞお入り下さい、精霊様。
ラディオール城の誇るこの書庫は、どの国にも負けない量を保管しております。」
囁かれた言葉に、そりゃあそうだろうよ、と友歌は言いそうになったが…ぐっとこらえる。静かで、壮観なこの場所は、普通の音量で話すことすら戸惑われたからだ。
友歌は頷くだけに留め、そっと足を踏み出した。後ろからサーヤがお辞儀をし、入り口の近くに立つ。友歌の気が散るのを防ぐために、待っている事を選んだのだ。
サーヤの気遣いに少し後ろめたい気分になりながら、友歌は棚の森に踏み込んでいったのである。
*****
思い立ったが吉日、と友歌はさっそく書庫への案内をお願いした。けれど、一緒に行ってくれるかと思っていたレイオスは、どうやら昨日の宴の事でやる事があるらしい。
そこで、サーヤが着いてきてくれる事となった。友歌としてはどちらでも良かったのだが、サーヤのメイドとしての仕事を邪魔する事にはならないだろうか?
レイオスが仕事をしていないとは言わないが、サーヤの方が目まぐるしく動いている気がするのだ。
けれど、サーヤはすんなりと「精霊様のお世話が一番の優先事項です、」と一蹴したので、友歌も心おきなく案内してもらったのだ。料理の本は、レイオスが持ってくる事になったが──そう、まさか、入り口で待っていてくれるなどと思っていなかったのだ。
(良いのかなぁ…別に着いてきてくれてもいいんだけど…。)
友歌が召還の事を調べようと、自らも喚ばれた精霊召還に興味を持っただけだと判断されるだろう。毎回同じものばかり読んでいれば不審にも思われるだろうが、この世界の事を知りたいと思っているのも本当だ。気晴らしに別のジャンルを読めば問題ない。
けれど、サーヤがそうと決めたのなら、と友歌はそれを了承した。気兼ねなく召還の事だけ調べられるのも魅力的だったし、何よりサーヤがそうしたそうだったからだ。
友歌は棚を抜けつつ、目当ての本はどの辺りだろうと歩き回り──数十分後、ようやくそれらしき本を見つける事が出来た。
どれほど広いのかと友歌は疲れた顔をしたが、幸運なのはその棚の周辺は召還関連のもので溢れていたことであろうか。これからは、一直線にここに来ればいい。
友歌は数冊手に取ると、近くにある大きなソファに身を沈めた。どうやら、立ち読みする人が多い事への対策らしい。本来、棚があったのだろうスペースに、代わりに椅子やソファが並べてあったのだ。
本を置くためのテーブルも、その間にぽつぽつと置かれている。友歌はそこに本を丁寧に置いて、ページを開いた。
この世界の印刷事情はわからないかったが、地球ほど発達しているとは考えられない。気を遣いすぎて困る事はないはずだった。
(『古来からの精霊との関わり』…とりあえず、ここら辺から読んでみよう。)
いきなり召還とはなんぞやと語られても、常識という下地のない友歌では理解出来るか危うい。まずは無難に、精霊の事を知る必要がある。
友歌は真剣に、その文字を追い始めた。
(「精霊…意思を持つ浮遊物体であり、形は持たない。
多くは光を発した玉の姿をしている」──…、)
──古来、多くの人々に、その光の玉は見えていたという。誰にでも平等に、人の隣に在った。
昔の人々は、それを死した人の魂──ヒトダマであると考えていた。ある時は溺れかけた者を助け、ある時は火事を鎮め村を救ったという記録が残っている。どうやら、昔の精霊は、今ほど人間に無関心ではなかったらしい。
そして、人々はそれを見て、体という器を破った魂はその本来の力を発揮できるものとし、死を神聖なものと考えるようになった。
いつしか、人々は生を軽んじるようになったという…悲しい事に、自ら生け贄となり、人柱となり、命を我先にと投げ出す者が後を絶たなかった。
光の玉は、精霊は、それをどう思ったのであろうか。
作者の見解である事を承知で記すが、やはり嘆き悲しんだのであろうか。であるとすれば、人々のもとから精霊が去ってしまった事も納得出来るであろう。
人々に寄り添い過ぎた精霊は、人間と距離を置く事を決めたのだとしたら…それが、死の連鎖を止めた結果になったとしたら、精霊が現在のように容易に現れなくなった事も説明出来る。
精霊は、人間のために人界から姿を消したのではないだろうか──
ぱたり、と友歌はまだ序章に入った状態の本を閉じる。そして、いくつか別の本も手に取るが──はっきり言おう、憶測ばかりだ。友歌は、思ったよりも得られるものが少なそうだと口を尖らせた。
しょうがない事、と言ってしまえばそれまで。ここが地球ほど文明が育っていない──育たない魔法の国であることは百も承知だ。おそらく、何かしらの解明には科学という絶対の力ではなく、精霊魔法という流動的なものに頼っているはずだ。
けれど、わかっているのだろうか。それは、精霊魔法とは、文字通り精霊によるものである。使用者の意思通りに、魔法がきちんと作用している確証はあるのだろうか。
それが、精霊自身に対する事ならなおさら、それが精霊による偽装でないという事はないだろうか?──精霊が思念体であるというなら、人を助けたりする知能があるなら、それくらいはしそうなものだけど。
科学は、自分の力である。どこぞのRPGのように、無機物に意思が宿っているのでなければそれは確かな事である。
魔法は、他者の力である。精霊が思念体である事は周知の事実のようだし、可能性としては無機物に意思などと、今世紀どころではない…地球始まって以来の大発見であろう。
どちらに信用が置けるかと言えば…断然、科学の方だ。現代っ子特有の、冷めた視点で友歌は思う。何もかもが解明出来てしまう地球。──イキモノとしての価値が違う精霊と、本当に生きていけると思っているのだろうか。
「精霊との共存、かぁ。」
呟き、友歌はため息を吐く。本を見た限り、きっと、それがこの世界の人々の夢。国にかかわらず、共通に思い描いているであろう未来。
──その一歩に、友歌はなってしまった。ヒトガタの精霊。そう、友歌の感覚で言うなら、無機物に意思が宿ってしまったレベルの…。
思考に沈んでいると、コツリ、と床が何かと擦れ、音を立てた。それはゆっくりと友歌に近付き──ぴたり、と止まった。
本を読んでいたため、前屈みになった友歌の視界の端に、靴が入り込む。
「…お姫様は、共存に興味がお有りかな?」
静かな、囁かれる声は思ったよりも近くで聞こえた。一瞬、鳥肌を立たせた友歌は瞬時に落ち着いた。──どこかで、聞いた事のある声。
友歌には、その声が誰かに似ている事に気付いたが、その正体は掴めずにいた。否、掴みたくはなかった…そう思った時点ですぐに手遅れなのだが、友歌はカラカラになった喉で声を紡ぐ。
「…それが、上手くいくかどうかは別にしても…。
意識の摺り合わせが出来るのであれば、可能ではないでしょうか。」
小さな、ともすれば消えてしまいそうな程の声量で友歌は話す。けれど、その人物が非常に近くに顔を寄せているのに気付いていたため、気にする風もなく書庫のルールを守る。
クスクスと、小さな笑いが友歌の右耳をくすぐった。
「意識の摺り合わせ、か。
なるほど…面白い考えをするお姫様だね。」
笑った衝撃でか、友歌の視界にするりと茶色が降りてきた。艶やかな、長い髪…一房だけのそれは、その人物に合わせて揺れる。
ひとしきり笑った後、一房の髪は上にスルスルと消えていった。同時に、右側に感じていた熱がなくなり、その体に覆われていた頭上がゆっくり明るくなる。
こつりと靴底を鳴らしたその人物は、何かを本の山の上に置いた。
「君とはまた話したいな…。
レイに許可をとって、会いに行くよ。」
またね、そう呟き靴音は遠ざかっていった。今更ながらに、友歌は心臓がバクバクと早くなっているのに気付いた。
茶色の髪。この世界では、その人の持つ色は、そのままその人と相性の良い属性を現すとサーヤに聞いた…サーヤの髪は、綺麗なスカイブルーである。“レイ”とはもちろん、レイオスの事だろう。
茶色を身に纏っていて、レイオスを愛称で呼べる人間──友歌は、静かなその声が誰に似ているかを悟るしかなかった。
「…こ、公式の場で会った方が良かったよね、なんだってこんな書庫で…!」
──ライアン=ラディオール。次期国王を噂される、土の精霊を宿せし第一王位継承者…レイオスの、兄。
友歌は、そっと顔を上げる。その人影はすでになかったが、ふと友歌は隣を見る。持ってきた本の一番上。手に取った友歌は心の底から怒気が昇ってくるのを感じ──同時に、果てしない羞恥心に襲われた。
『初心者でもわかる器具の使い方!』『民族料理とその料理法』『栄養素とその関係性』、エトセトラ。
誰の差し金かおおよその見当のついた友歌は、今居る場所が絶対静粛の書庫である事を悔やみつつも、その本を胸に掻き抱き──あらん限りの力で、激しくなる感情と共にそれらの本を抑え込んだ。
(レイの馬鹿野郎ー!!!!)
まさかの初対面が、書庫。王子の精霊としてきちんとした手順を踏まなければと考えていた友歌にとって、脱力の域に達する出来事であった。