010. 宴【上】
友歌は、そっと深呼吸をした。心配そうに見つめてくるレイオスに、引きつりながらも微笑み、友歌は目の前の扉をじっと見た。
大きな木で出来たそれは、友歌を阻むようにそびえ立ち──友歌はきゅっと唇を結ぶ。
「…大丈夫か?」
「うん、…行こう、レイ。」
きゅ、と手を握った友歌に、レイオスは頷く。思ったよりも早く心の準備が出来た事に感心しつつも、レイオスはそっと歩き出した。
ちらちらと好奇の瞳で友歌達を見つめていた門の両隣の二人の兵士は、ピシッと背筋を伸ばす。
「王位第二継承者レイオス王子、並びに精霊様、ご入場ー!」
(本当にそういう事言うんだ!?)
友歌は驚きつつもそれを表に出さないよう気を張りながら、開けられていく扉をじっと見つめるのだった。
*****
扉をくぐれば、そこは別世界でした。
そんな聞き慣れたフレーズが頭を巡り、友歌は一瞬の後訂正を入れる。──いや、今すでに別世界に来てるから。
友歌は自分で余裕をなくしていくのを感じつつも、どうする事も出来なくなってしまっていた。わかることと言えば、レイオスが自分を中に誘いながらも心配そうに見てくる事くらいであろうか。
きらびやか、という言葉だけでは言い表せられないだろう。ほんの数分前まで、レイオスの姿が豪華すぎるのではと思っていた友歌だったが──自分が甘かった事を思い知らされた。
広さは、高校の時に使っていた体育館よりも大きい…ダンスにも使われる場所であると言うから、きっとそれくらいでないと意味がないのであろう。どれくらい高いのかというくらいの天井には、大きなシャンデリアとがかかっていた。
壁には模様が細やかに描かれ、床を飾る絨毯も美しい深紅の生地に金の刺繍がよく映える。──そう、テレビでしか見られないようなその部屋を、友歌はレイオスにエスコートされ歩いているのだ。
周りには、たくさんの人…その全てが、二人に──否、友歌に注がれているのだが…友歌は幸運な事に、それどころではなかった。もし普通の精神状態であったなら、挙動不審に陥っていたであろう。
(うわぁ…、)
内心、感嘆しか出てこない友歌である。けれど、目線はしっかりと前を向いていた。時折、レイオスと視線が合い、大丈夫だと微笑みつつ…友歌は、壇上にいる二人の男女に目を向けていた。
──おそらく場所的に、王妃と王様。
(存在感半端ないな、もー!)
こくりと唾を飲み込みながら、友歌はレイオスが立ち止まった事に気付き、そっと伺い見た。レイオスはゆっくりと手を離し、礼をするところだった。
友歌もゆっくりと、サーヤに教えられた礼の姿勢をとる。
「レイオス=ラディオール、ただいま参上いたしました。」
「…王子の精霊、ここに。」
簡潔な言葉は、レイオスにそうするよう言われたからだ。──この世界では、精霊は人間より上の存在とされている。
たとえ王様であっても、友歌が媚びる必要はない。実際、礼も要らないとの事であったが、それは友歌が断固拒否した。さすがにそこでふんぞり返る事が出来るなら、日本人が謙虚だと言われる事などなかっただろう。
だからこそ、レイオスの半歩後ろで礼をとった友歌に周囲がざわつこうとも、友歌は気にしなかった。どちらかと言えば、祖母の言葉を破る方に比重があったからである。
「…よい、頭を上げよレイオス。
精霊殿も…どうか、儂なぞに礼など不要な事だ。」
「はっ、」
「…はい。」
すっと動いたレイオスに対して、友歌はそっと頭を上げる。──厳しい目元をしているが、好々爺そうな人がそこにいた。隣にいる王妃は、歳をとりながらも整った顔立ちで友歌達を見つめている。
焦げ茶色と黄土色を纏った二人のその姿は、まさしく人の上に立つ者の威厳が感じられた。
「レイオスよ、召還の儀…ご苦労であった。
これでお前も、立派な王族の一人として国のために礎となる…はげみなさい。」
「はい、王よ。」
「…さて、精霊殿…このたびはラディオール王国にお降り下さったこと、心より歓迎いたしましょう。」
言葉に、王様と王妃はそっと頭を下げ──頭を下げ!?
予想外の事に、友歌は言葉に詰まり…そして今度は目を剥いた。周りにいた人々が一斉に、友歌に礼を返したからである。
それは、異常な光景であった。ただ立っている状態のレイオスと友歌を覗いて、皆が首を数秒の間落としているのである。
ちらりとレイオスを見るが、平然としているので友歌も必死に平静を保つ。…少し頭が突出している人がちらほらいるのは、頭を下げる事すら不本意な人であろう。
「さて──、」
王様の言葉で、皆が頭を上げ始める。そうして、また好奇の瞳で友歌を見つめるのだ。居心地の悪い思いをしながらも、友歌はじっと前を見据えていた。
それを受け止めながらも、王様はゆっくりと立ち上がる。すると、どこからともなく女性──女中《じょちゅう》と呼ばれる人達が杯を配り始める。友歌とレイオスにまで行き渡ったのを見届け、王様も杯を一つ手に取った。
「皆、自由に祝ってくれ…乾杯《チアーズ》!」
皆が手を手を掲げ、周りと杯を鳴らし始めた。友歌も、そっと微笑むレイオスと音を鳴らした。
*****
宴が始まって数十分ほど、早くも友歌は壁の花となりはじめていた。というのも、レイオスがたくさんの女性方に引っ張りだこだからである。
まあ、レイオスが主役なのだからしょうがない事なのであろう──そして、放って置かれても問題はなかった。友歌にとって、二度とお目にかかれないような場所なのである。飽きるなどあるはずがなかった。
気になることと言えば、友歌が何か行動を起こすたびに周りの視線がつきまとう事だろうか。
(ごめんねパンダさん…君らの気持ちが今、痛いほどわかったよ。)
気分は動物園の珍獣である。むしろ、もっと扱いは悪いかもしれない…何か飲めば周りがざわつき、一口食べれば囁かれる声。内容はわからないが、たとえ良い事を言われていたとしても喜べない。
今まで見えなかった存在であった精霊──それが王子のもとに降り立ったと言うのだから、騒がれるのも無理はないとはいえ…無遠慮すぎやしないだろうか?友歌は髪を弄りつつ、絨毯の模様を見つめていた。
──そして、レイオスやサーヤがどれほど友歌に気を配り、配慮してくれていたのか身に染みたのであった。
思えば、最初から食事を持ってきてくれていた。食べる必要のない可能性も考えていたはずなのに、“もし”を考えて用意してくれたのだ。
杯を渡され乾杯が終わり、口に含んだ瞬間、周りも、持ってきた女中ですら驚いた顔をしていた。つまりは、一応の礼儀として渡されただけで──そう、それが普通の反応なのである。
風呂を用意してくれた時も、体があるなら入った方が良いとサーヤは言っていた。つまり、風呂に入る習慣があるとは思っていなかったが、ちゃんと“人間”のように扱ってくれたのである。言ってしまえば、トイレに行きたいと言った時も、ちゃんと使い方を教えてくれた。
──そう、友歌が“精霊”であるという先入観はあったにしても、体を持ったヒトガタ、イコール人間と同じ生活が出来る…人間と同じ生活をするのだという事も、念頭に置いておいてくれていた。この世界では、珍しくものの考え方が精霊に偏っていないのである。
友歌は二人の好感度を上げつつも、そっとレイオスを見た。着飾った女性に群がられながらも、笑顔を絶やさず対応している…友歌ならさっさと逃げ出すところだが、そうしないのは王子であるという枷のせいか、それともそういう女性達が好みなのか。
友歌にとってはどちらでも構わないのだが、おそらく彼女達にとっては死活問題なのであろう。そう、王子に見初められるかそうでないかで、価値なんて変わってしまうのだろうから。
王子の周りに行くのが正解か、その周囲でおしとやかな風を装った方が良いのか。その、たった二つの選択次第で、王子の感心を惹けるかもしれないのだ。
貴族の女性も大変だ、そう思っていると、レイオスと目線がぱちりと合った。──にこり、と微笑まれる。瞬間、周りの女性の視線が友歌に突き刺さるが、友歌が“そう”だとわかると…反射でしてしまっただけなのだろう、皆慌てて視線を逸らした。──うん、大変だ。
自ら火の中に飛び込むほど炎の輝きに憧れているわけでもないので、友歌は大人しく、“歌い手”の出番まで大人しくしているのであった。