009. 宴の日
くるくる、と友歌はその場で回った。蒼と白の長い布が舞い、友歌の動きに合わせて泳ぐ。それを見たサーヤは満足そうに笑った。
「素晴らしいですわ、精霊様。」
「…なんか、ヒラヒラだね。」
「精霊様のために増やしましたから。」
胸の辺りからの、丈の長いワンピースのようなドレス。細身のそれは、シンプルな水色である。そこに、白や蒼の紐のような布がいろんな所から繋がり、広がり、そよいでいた。
そう、まるで、神話に出てくる女神様のような…。考えて、友歌はぶんぶんと首を振った。──考えるだけではずかしい…!
*****
今日は、宴の日である。実はと言うと、友歌は今日この日まで何もする事がなかった。数日で届くかと思われた料理の本も、宴のせいで延期となってしまったからである。
けれど、友歌は歌の事だけを考えていたかと言うとそうでもない。友歌は歌う時はいつだって自分をプロだと思って歌うことにしているし、心構えにしてもいつもと変わらないコンディションを保っていた。
歌う場所や聞かせる相手が変わるからといって、歌い方までも変えるなど、それは友歌のプライドが許さなかった。自分自身、そこまで器用でないと悟っているのもあるが。
つまり、友歌の心理状態はいつも通りなのであった。──そう、歌う事に関しては。
(王様に貴族に臣下って…いやぁあ何処のお姫様だよ私はー!?)
精霊様である。とはわかっていても、友歌には歌う他に求められている事があるのだ。すなわち、レイオス王子の精霊としての在り方、である。
友歌は歌う場所は選ばないし、相手が誰であれどうでも良いと考える。けれど、そこに“歌い手としての自分以外”を求められると一気に緊張してしまう。
目をきょろきょろとさせる友歌に、サーヤは苦笑した。友歌の推測通り、貴族令嬢でもあるサーヤもそういう経験が勿論ある。
公の場所では、サーヤのような女性は“見せ物”なのだ。自分の家柄を良く見せるための装飾品。きらびやかに、おしとやかに…サーヤはそれらを学ぶためにも、王族に一時的に仕えているのである。
もちろん、王族に対して覚えをめでたくされるための仕事でもあるのだが、そんなものは暗黙の了解。そう、だからこそサーヤは友歌の──精霊様の世話役に抜擢されたとも言える。レイオス王子の覚えが良かったからこその、任命。
けれど、それはサーヤ自身には裏表がないからだったし、レイオスもそれがわかっていたからこそサーヤを身近に置いていた。そして、そこでもさらに信用を得たからこそ、サーヤは友歌の世話役を命じられたのである。
髪を梳いて高めの所で纏めながら、サーヤはくすりと笑った。
「緊張しないで…と言っても、逆効果でしょうか?」
「うん、逆効果…あぁぁ、ドキドキする!」
数日前までは、実は実感なんて湧いていなかった友歌だった。けれど、サーヤが裾直し途中のドレスのサイズを確かめに着せに来たりだとか、レイオスが宴の手順などを教えに来てくれたりだとか──。
“王族主催の宴”に主役も同然に出席する事が鮮明になるにつれ、友歌にもようやく現実が身に染みてきた。そう、たとえ馴染む気がないと言っても、“王族”なのである。
昔の日本ではないが、“斬り捨て御免!”だなんてシャレにならない。
ついに許容範囲を超えたのか、抱きつくが如くベッドにダイブする友歌にサーヤは慌てて駆け寄った。けれど、その顔は苦笑で彩られている。
「駄目ですよ、精霊様…お召し物が歪んでしまいます。
折角のお化粧も汚れてしまいますよ?」
「…ぅうう。」
「ほら、精霊様。」
友歌を立ち上がらせ椅子に座らせたサーヤは、机の上に手を伸ばした。机に置かれた箱の中には、白と青で色々な模様の描かれた髪飾りが所狭しと並べられている。
「精霊様の御髪《おぐし》は綺麗な黒でございますから…やはり白が多めのものが映えそうですね。」
「サーヤにお任せ…宴に合うものとかわかんないし。」
手を組み足を組み、落ち着かない様子の友歌に微笑みながら、サーヤは一つを手に取った。それは地球でいうシュシュのように布がヒラヒラと円を描いたものだった。白に水色と青の線が横に入っただけの、シンプルなもの。
それを結ばれた髪紐の上に通し、サーヤは満足そうに笑った。
「精霊様の黒を、見て貰いましょう。
黒は非常に珍しい色ですし…禁忌の色ともされますが、逆説で神秘のものという意味も含んでいますから。」
(…その説でいくと、地球人の半分以上は禁忌を纏って神秘的って事になるよねー。
地球一人口の多い中国が黒筆頭だしなぁ…。)
右肩から前に流されている髪を手に取り、友歌は小さくため息を吐いた。──この世界に慣れてはいけないのに。
友歌としては、ほんのちょっと痕跡を残しつつも後腐れのない方法で帰りたかった。知られずひっそりと、というのは王子の精霊として喚ばれた時点で無理である。
けれど──どんどん、この世界の知識が増えていってしまう。地球と比較する事によって、その違いが友歌の記憶として残っていく。それはまるで、友歌の周りを沈殿し、抜け出せなくさせているかのような錯覚を起こさせた。
(…うん、早いとこお城の図書館にでも連れて行ってもらって、探してみよう。
精霊使いだっけ…その人たちに聞けば早いんだろうけど、それで嘘つかれたり帰るの邪魔されちゃったら嫌だしなぁ。)
簡単に帰して貰えそうにない事など、とっくにわかっている。だからこそ、コソコソはせずに堂々と探す必要があった。
名目は──そう、人界を知りたい、というのはどうだろうか?もちろん、友歌は人間であると主張しているため、普通にこの世界の事を知りたいから、とでも言えば勝手に勘違いしてくれるだろう。
それで、帰る方法が見つかったら…うん、春の精霊シュランと冬の精霊リュートに呼ばれている、とかで諦めて貰おう。王子の精霊という立場にあったって、二大精霊の意思の方が優先されるに違いない。でもやっぱりそれは肯定しちゃいけないから、普通に帰らないといけないって言えば、きっと深読みしてくれる。
勝手に名前を使うことに罪悪感はあるが、友歌にとっては一蹴できる事であった。精霊の存在は、友歌は認めても良いと思っている──実際に、サーヤの魔法のおこぼれに預かった事があるのだから。
けれど、仮に本当に二大精霊が居たとしても、友歌にとっては憎き存在、と言っても過言ではないのだ。ならば何故、友歌を召還させる事を許した、と。ならば何故、人間が精霊扱いされることにお前達は怒りを感じないのか、と。
友歌にとっては、居るかどうかもわからない──居たとしても、友歌の存在を素通りさせたものである。つまり、友歌は遠慮なんか無駄である、と考えていた。
──きっと、時間はかかるけど。体を持つものが召還されたのが初めてなら、きっと還す方法なんてないんだろうけど。でも、それを発展させる事はきっと出来る。
知識はあれども今の現状に甘んじているこの世界の人よりもきっと、知識はないが現代人である私の方が、きっと早い。
友歌は、早くもこの世界の人の思想を見抜き始めていた。この世界では、精霊という目に見えないが存在がわかるものがあるおかげで──あるせいで、精霊に全てを捧げてしまっている。
信仰と言っては生温いのだろう…それはもう、盲目である。狂気にすら近いと、友歌は思っていた。学がないのではない、頭が弱いのでもない。わかりやすく言うなら、向上心がないのである。
アダムとイヴが、蛇に騙され禁断の果実を食べてしまったのは何故か?
──神の存在が曖昧だったからである。力を示す事もなく、二人に寄り添うこともなく…神らしく、無関心に放置していたからだ。けれど、この世界は違う…精霊の力は誰もが感じられるものであるし、実際に精霊魔法なんてものが存在してしまっている。精霊は、絶対の存在として人の心にあるのだ。
太陽に近付こうとしたイカロスが、ロウの翼ごと焼かれたのは何故か?
──太陽に手が届くと思ったからである。暖かい陽の光が、この手に収まると思っていたのだ。けれど、この世界では太陽はどうも春の精霊シュランの化身らしい。崇める対象ではあっても、決して手に入れようなどという煩悩を起こせる代物ではない。
友歌の世界は、いわば欲の世界だ。人より万能に、人より幸せに、人より、人より…。それが、信仰の介入しない世界を作り出す。
そこには、自分しか存在しないのだ。自分より上は存在せず、下にも存在していない。高みに昇ろうと思えばいつまででも歩めると信じて疑わず、休める時にはいつだって歩みを止められると心から思っている。
地球の現代っ子は、確かにあらゆる面で弱い…けれど、だからこそ友歌は自信がある。ひたすらがむしゃらに、あの甘い世界に帰ろうと努力出来る。──存在する強者ほど、友歌の恐怖を煽るものは、ない。
思考に入った友歌を見て、サーヤは微笑んだ。緊張はなくなったようだ、と。けれど、その思考が、自らの──世界の意思に背いている事だとは、夢にも思わない。
そこで、扉が軽くノックされた。友歌が現実に戻ってくると、レイオスが部屋に招き入れられている所だった。──蒼と白の、いつもより美しい装飾のされた衣装を身に纏って。
友歌は、今までの思考が飛んでしまうくらいに動揺した。──こ、ここまでやっちゃうと目の毒です王子…!
固まった友歌に首を傾げつつも、レイオスはゆっくりと部屋に入る。
「準備は出来たか?」
「…も、もちろんですレイ、」
返答ににこりと笑うレイオスに、友歌は視線を逸らしたい気持ちで一杯だった。けれど、相手が自分を見ているのに逸らすのは失礼にあたる──祖母の教育は、ここでも生きていた。
レイオスは、そっと手を差し出す。
「お手をどうぞ…オレの精霊よ。
宴の場まで、案内いたしましょう。」
──すでに、“オレの精霊”呼びを訂正する余裕は、友歌にはなかった。その手を取り、立ち上がる事しか選択肢はなかったのである。
レイオスは友歌の歩幅に合わせて歩き出す。それに、残ったサーヤは静かに最上級の礼をし見送るのであった。