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000. “私”の話

 園田友歌《そのだともか》は、おばあちゃん子だった。


 四人兄弟の長女として生まれた友歌は、兄と弟に挟まれ、やんちゃに育った。けれど、幼いながらに兄に頼る事を知っていたし、弟に譲る事を覚えていたし、末の妹に優しくする事をわかっていた。




 兄よりも出来た妹だと近所でも可愛がられていたが、それは祖母のおかげと言っても過言ではなかった。良い事をしたならちゃんと褒める、悪い事をしたなら何が悪かったのかわかりやすく叱る。


 他の三人も祖母に懐いていたが、一番べったりだったのは友歌だった。


 友歌の祖母は、とても優しい声音をしていた。友歌はその声が大好きだったし、その声で語られる話も好んで聞いていた。


 絵本の朗読だったり、祖母が趣味で覚えていたことわざだったり、その時によって変わっていく話を友歌は大人しく聞いていた。




『友歌の名前はね、お母さんが“歌と友達になれるように”って付けたんだよ。

 お母さんは歌手だから、自分の好きな歌を、友歌にも好きになってもらいたかったんだねぇ。』


『世界にはいろんな人がいて、いろんな事が得意な人がいる。

 話して貰いなさい、語って貰いなさい…きっと、違う視点が見えてくるから。』


『美味しいものを食べて、綺麗なものを持って、そうして人一倍働きなさい。

 けれど、自分を押し込む必要はないよ。自分を一番大切にしていれば、きっと周りも幸せになる。』




 幼い友歌には、わからない事の方が多かった。けれど、友歌が祖母の話に興味を持たない日はなかったし、祖母も目を細めては嬉しそうに友歌に話した。


 わからないながらに、大好きな祖母の話は友歌の心に積もっていった。静かに、確実に、それは友歌の“心”として、“考え”として育っていく。友歌の最初の先生は、親でも保育士でもない、祖母だった。




 そんな祖母が死んでしまったのは、小学校三年生の時。泣きに泣いた友歌だったが大きくなるにつれ、少しずつ悲しみは薄れていった。


 けれど、聞かされてきた祖母の話だけはずっと記憶の片隅にあった。それは、幼い頃特有の記憶力だからかもしれないし、おばあちゃん子の底力かもしれなかった。


 それは高校を卒業し、一人暮らしをする事になった今でも友歌の心に積もっているままだった。




「…まあ、どちらかと言うと雑学的な意味合いが大きいけど…日常生活ではどうにも…ねえ。」




 ぽつりと誰にともなく零し、友歌は譜面台を組み立て終える。


 友歌は専門学校に行きたかったが、現状でそれは出来なかった。両親のもとには(すでに自立した二歳上の兄の他に)まだ二人も残っており、弟は海外の名門高校に留学中、妹は今年私立高校に入学である。


 父がサラリーマン、母が有名な歌手で金銭に余裕はあると言っても、日本の義務教育は中学生まで。高校に加え、専門学校まで面倒を見て貰うのは心苦しかった。


 ──叶うかもわからない夢のためならば、なおさら。




「よし…荷物はこれだけかな。」




 段ボールを紐で縛り、玄関に立て掛けた友歌は軽く伸びをした。他に出し忘れはないかと、背中の中間ほどまであるポニーテールを揺らしぐるりと部屋を見て回る。




 友歌の夢は、母と同じ歌手だ。行きたい専門学校は、多くの実力派歌手を輩出している名門である。


 もちろん、全ての人が歌手になれるわけではない。ただ、芸能界でも名の知られた専門学校というだけなのだから。


 けれど、夢に一番近い場所である。




 3DKのマンションの一室は、玄関から右に楽譜や簡単な楽器が置いてある部屋、左に大量の本とベッドの置いてある部屋があり、真っ直ぐ進むと居間と化すであろうダイニングキッチンがある。


 簡易のディスクにパソコン、テレビに長いソファ、食器棚という必要最低限の物しか置かれていないそこは、引っ越したばかりでまだ馴染んでいない。


 友歌はソファに座り込むと、横に倒れ込んだ。




 あと一年、バイトに明け暮れればお金は問題ない。高校入学時からバイトで貯めてきた分も合わせると、そこに通える額になるのだ。


 友歌は、頬を緩ませる。──友歌の先生が祖母なら、友歌の子守歌は母の歌だった。




 生半可なものではない、本物の歌手の歌。伸びやかで美しく、澄んだ音。そんな幼少期を過ごし耳の肥えた友歌は、自分の声が母の遺伝子を継いでいることを確信していた。


 それは、幼い頃から極上の音を聞いてきた事も関係しているだろうし、母から学び、それを自分のものにしてきた友歌の根性によるものも大きい。


 音楽に厳しい母は、『母がやっているから』という理由を許さず、やるからには本気になれとばかりに友歌に歌を教えた。友歌も、何度も挫折しそうになりながらここまで漕ぎ着けた。


 ただ、母の歌に惚れ込み、その歌を引き継げたならという小さな下心ももちろんあったが。




 友歌は仰向けになり、天井を見つめた。夕焼けでほんのりと赤い白は、どんどんと暗さを増していく。


 ──専門学校に通う事は、一つのスタート地点なのだ。ただ、歌手を母に持つ友歌は、他の誰より水やら簡易食料やらをバッグに詰め込んだ準備万端の状態なだけにすぎない。


 ぼうっとしていれば、周りの入学生《ライバル》達も、そこらから手に入れて来るであろうもの。そして今は、そのスタート地点に立てる権利を手に入れようとしている時期だ。


 友歌は目を閉じ、力を抜いく。




(バイト探し…しないとなぁ。

 マンションの人にも、挨拶しに行かないと…。)




 引っ越しという、慣れない事をして友歌は疲れていた。


 まずは目的であるお金…良いバイト先を見つけなければ話にならない。それに、ご近所の手助けがあれば、きっともっと夢に近付ける。


 友歌は真っ暗な視界の中で、どんどん眠気に誘われていくのを感じた。素直に身を任せれば、意識はすぐに沈んでいく。






 キィィイイイン…、






 ──暗い眠りに浸かる直前、遠い耳鳴りのような音を聞いた友歌は、すでに抗いようもないくらいに意識が沈んでいた。


 静かなその音は友歌が眠りに落ちた後も、暫く鳴り続け――唐突に止んだのだった。





















 *****





















 バチバチッ、






「────!??」




 体中に電気を浴びたような衝撃を受け、友歌は飛び起きた。けれど、寝起きのうえ急に動いた友歌の体はふらりと傾く。


 なんとか手をついて、尻餅をついたような形で座り込んだ友歌は、くらくらと回る頭に激しい動悸、息切れという異常な体の変化に戸惑っていた。




(なに…苦しい、気持ち悪い…!)




 治まるどころか、さらに頭痛まで訴え始めた友歌の体は腕の力さえ失った。


 倒れ込んだ友歌と共に、ポニーテールにした黒髪が流れる。──耳鳴りが始まり、友歌はぎゅうと目をつむった。冷たい床の感触に、ぶるりと体を震わせる。


 周りが騒がしく友歌を取り巻いているような錯覚まで起こり、友歌は霞む頭を必死に動かした。




(落ち着け…落ち着け、友歌!)




 暗示をかけるように言い聞かせる。けれど心臓まで痛み始め、友歌は脳内で悲鳴をあげる。動かなくなっていく体に、友歌は意識を手放しかける――と、


 何か暖かいものが体を抱き起こし、友歌はひゅうっと息を呑んだ。ほんの少し、痛みが薄れたからだった。




「―は常に―と共に―り、自然は―に―のと―りにあ―。

 ―き友―あり―きそん―、―よ。今こ―に我は―を願わん―、」




 頬を撫でる暖かな感触に、友歌は重い瞼を必死に開けようとする。ふわりと香る花の匂いに、友歌は一瞬体を巡る痛みを忘れた。そして──唇に触れた柔らかいもの。


 友歌は、忘れた痛みが消え去っていくのを感じた。ほんの少し軽くなった目を開ければ、青い瞳が自分を見下ろしていた。




「…眠れ。」




 告げられた言葉に、友歌は素直に目を閉じる。これ以上開けていられなかったのもあるし──優しい声に、眠気が誘われてしまったのだ。


 かくりと力を失った友歌を、青い瞳をもつその人はしっかりと腕に抱き直した。











『友歌、歌は力だよ。奏でる音一つで、人を幸せな気分にさせてあげられるし、悲しい気持ちを伝える事も出来る。


 歌いなさい、友歌。あなたが歌を好きなら、きっと歌もあなたに応えてくれるから。』




 意識を失う直前に、何故か思い浮かんだ祖母の言葉。友歌の心に一番強く残っている言葉だった。


 友歌は、すぅ…と涙が頬を伝うのを感じながら、深い眠りに誘われていった。──暖かい何かが体を覆っていくのも知らずに。



 友歌は、夢も見ないほどの意識の底で、静かにたゆたっていたのだった。











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