第41話 ルンが喋った!
子供の成長は早いと言うけれど、我が家の「この子」の場合は、早送りボタンが押されているのではないかと思う。
「……重い」
朝。
目覚めと共に感じたのは、布団の上に乗っかる漬物石のような重量感だった。
クロード様の腕ではない。
もっとゴツゴツしていて、熱くて、鱗の感触がする何かだ。
私は薄目を開けた。
目の前にあったのは、銀灰色の巨大な塊。
以前は猫サイズだったはずのルンが、今はゴールデンレトリバーくらいの大きさになっている。
「……また、脱皮しましたか」
ベッドの足元には、脱ぎ捨てられたパジャマ……ではなく、半透明の抜け殻が転がっている。
この一ヶ月で三回目だ。
成長期にも程がある。
私がため息をつこうとした、その時だった。
「……ママ」
「えっ」
「ママ、おはよ」
幻聴ではない。
目の前の巨大なドラゴンが、口をパクパクさせて、はっきりとそう言ったのだ。
少し舌足らずだが、愛らしい子供の声で。
「……ルン? 今、喋りましたか?」
「ウン。……おはよ」
ルンは私の顔を覗き込み、ペロリと頬を舐めた。
ザラリとした舌の感触。
「……おはようございます」
私は反射的に挨拶を返した。
そして、隣で爆睡している夫を揺り動かした。
「クロード! 起きてください! 緊急事態です!」
「……むにゃ……なんだ、定時にはまだ早いぞ……」
「ルンが! ルンが喋りました!」
「……は?」
クロード様がガバッと起き上がる。
寝癖のついた頭で、私たちの間に鎮座するルンを凝視した。
「パパ、おはよ」
ルンが首を傾げて挨拶する。
「…………」
クロード様は三秒ほど固まり、それから頬を緩ませてデレデレの顔になった。
「……天才か?」
「そこですか」
「いや、すごいぞエリアナ! まだ生後数ヶ月だぞ? やはり私が毎晩読み聞かせた『帝国六法全書』の効果が出たのか!」
「絵本にしてください。教育に悪いです」
私たちは顔を見合わせた。
驚きはある。
伝説の幻獣が人語を解するなんて、学会発表レベルの大事件だ。
でも、それ以上に湧き上がってくるのは、「うちの子、賢すぎない?」という親バカな感情だった。
◇
朝食の時間。
ダイニングテーブル(の横に設置した専用台座)で、ルンは大量の「不用品(紙屑や布切れ)」をモグモグと食べていた。
体が大きくなった分、食欲も増している。
最近は王宮中のゴミ箱から回収した廃棄物が、ルンの朝食になっている。エコだ。
しかし、今日のルンはどこか落ち着きがない。
食べるのを途中でやめ、柱の角や椅子の脚に、背中をゴリゴリと擦り付けている。
「……どうしたの、ルン。痒いの?」
私が尋ねると、ルンは切なげな目でこちらを見た。
「ママ。……背中、ムズムズする」
「脱皮したばかりだから?」
「チガウ。……中が、熱い。魔力、いっぱい」
ルンは自分の胸のあたりを前足で叩いた。
「サトガエリ、したい」
「……里帰り?」
私とクロード様は箸を止めた。
「ここの空気、おいしい。でも、薄い。……ボク、もっと濃い空気吸わないと、大きくなられない」
ルンは一生懸命に説明してくれた。
要約するとこうだ。
ダストドラゴンは、成長の過程で体内の魔力器官が発達する。
その際、人間界の薄い魔素だけでは形成が追いつかず、一時的に高濃度の魔素を摂取しないと、発育不全(あるいは魔力暴走)を起こすらしい。
本能が「故郷へ帰れ」と告げているのだ。
「なるほど……。成長痛のようなものか」
クロード様が神妙な顔で腕組みをした。
「ルン。その『里』というのは、どこにあるんだ?」
「キタ。……ずーっと、キタ。雲の向こう」
北。
このルテティア王国の北端。
そこにあるのは、地図上で黒く塗りつぶされた地域。
人間が決して立ち入ってはならないとされる場所。
「……『魔境』か」
クロード様が重々しく呟いた。
「エリアナ。そこは『竜の谷』と呼ばれている場所だ。……高濃度の魔素が瘴気のように渦巻き、強力な魔獣が跋扈する、人類未踏の地だ」
「未踏……」
「普通の人間なら、足を踏み入れただけで魔力酔いで死ぬ。……騎士団ですら近づかない禁域だ」
つまり、世界で一番危険な場所ということだ。
そんなところへ、里帰り?
「無理だ」
クロード様は即答した。
「ルンのことは大事だが、君をそんな危険な場所へ連れて行くわけにはいかない。私が単身、魔素の結晶でも採ってこよう」
「パパじゃ、むり」
ルンが首を振った。
「ボク、ママと一緒じゃないと、寂しくて死んじゃう」
「……うっ」
ルンの上目遣い攻撃。
効果は抜群だ。
それに、ルンの言う「魔力調整」がどれほど繊細なものか分からない。
現地に行かなければ解決しない可能性が高い。
私は、最後のパンを口に放り込み、ナプキンで口を拭いた。
「……行りましょう」
「エリアナ!?」
クロード様が驚愕する。
「本気か? ピクニックじゃないんだぞ!」
「分かっています。でも、ルンは家族です。子供の健康診断に付き添うのは、親の義務でしょう?」
私はルンの頭を撫でた。
ザラザラとした鱗の下に、確かな体温がある。
この子が苦しんでいるのを、見過ごすわけにはいかない。
「それに、クロード様」
私はニヤリと笑った。
「誰が『命がけの冒険』をすると言いましたか?」
「え?」
「私は、あくまで『ルンの引率』という業務として行きます。……つまり、私の労働条件は適用されるということです」
私は指を折りながら宣言した。
「一つ。移動は朝九時から一七時まで。夜間行軍や残業は一切しません」
「二つ。野宿は却下です。フカフカのベッドと、温かい食事、そしてお風呂。これらが保証されないなら動きません」
「三つ。危険な戦闘はルンと貴方に任せます。私は安全地帯から指図だけします」
私の条件提示に、クロード様は呆気にとられ……そして、吹き出した。
「ははっ……! 魔境で定時退社か。……君らしい」
彼は楽しそうに笑い、私の手を取った。
「分かった。君がそこまで言うなら、私も覚悟を決めよう。……世界最強の魔法使い(私)と、伝説のドラゴン(ルン)が護衛だ。魔境だろうと地獄だろうと、君の『日常』は守り抜いてみせる」
「頼りにしています、旦那様」
交渉成立だ。
「やった! ママ、パパ、ありがと!」
ルンが嬉しそうに吠え、尻尾で椅子をなぎ倒した。
元気なのはいいことだ。
こうして、私たちの「里帰り」が決まった。
行き先は、人類生存不能区域。
目的は、子供の成長サポート。
そして、私のミッションは「いかに快適に、定時を守って旅をするか」。
私はすぐにシルビアさんを呼び出し、旅行の準備を指示した。
「シルビアさん。……『白い箱舟(あの馬車)』を、魔境仕様に改造します。帝国から取り寄せた保存食と、最高級のクッション、あと簡易浴槽の手配をお願いします」
「かしこまりました。……エリアナ様なら、地獄の釜の底でもティータイムを楽しめるでしょう」
シルビアさんは動じることなく、すぐに手配に走った。
さすが、私の最強の侍女だ。
待っていろ、魔境。
そして、ドラゴンの里。
私が、文明の利器と「働き方改革」を持ち込んでやる。




