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婚約破棄された翌日、私は王宮の墓場に就職して定時退社を選んだ  作者: 九葉(くずは)
第5章

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第41話 ルンが喋った!

子供の成長は早いと言うけれど、我が家の「この子」の場合は、早送りボタンが押されているのではないかと思う。


「……重い」


朝。

目覚めと共に感じたのは、布団の上に乗っかる漬物石のような重量感だった。

クロード様の腕ではない。

もっとゴツゴツしていて、熱くて、鱗の感触がする何かだ。


私は薄目を開けた。

目の前にあったのは、銀灰色の巨大な塊。

以前は猫サイズだったはずのルンが、今はゴールデンレトリバーくらいの大きさになっている。


「……また、脱皮しましたか」


ベッドの足元には、脱ぎ捨てられたパジャマ……ではなく、半透明の抜け殻が転がっている。

この一ヶ月で三回目だ。

成長期にも程がある。


私がため息をつこうとした、その時だった。


「……ママ」


「えっ」


「ママ、おはよ」


幻聴ではない。

目の前の巨大なドラゴンが、口をパクパクさせて、はっきりとそう言ったのだ。

少し舌足らずだが、愛らしい子供の声で。


「……ルン? 今、喋りましたか?」


「ウン。……おはよ」


ルンは私の顔を覗き込み、ペロリと頬を舐めた。

ザラリとした舌の感触。


「……おはようございます」


私は反射的に挨拶を返した。

そして、隣で爆睡している夫を揺り動かした。


「クロード! 起きてください! 緊急事態です!」


「……むにゃ……なんだ、定時にはまだ早いぞ……」


「ルンが! ルンが喋りました!」


「……は?」


クロード様がガバッと起き上がる。

寝癖のついた頭で、私たちの間に鎮座するルンを凝視した。


「パパ、おはよ」


ルンが首を傾げて挨拶する。


「…………」


クロード様は三秒ほど固まり、それから頬を緩ませてデレデレの顔になった。


「……天才か?」


「そこですか」


「いや、すごいぞエリアナ! まだ生後数ヶ月だぞ? やはり私が毎晩読み聞かせた『帝国六法全書』の効果が出たのか!」


「絵本にしてください。教育に悪いです」


私たちは顔を見合わせた。

驚きはある。

伝説の幻獣が人語を解するなんて、学会発表レベルの大事件だ。

でも、それ以上に湧き上がってくるのは、「うちの子、賢すぎない?」という親バカな感情だった。


          ◇


朝食の時間。

ダイニングテーブル(の横に設置した専用台座)で、ルンは大量の「不用品(紙屑や布切れ)」をモグモグと食べていた。

体が大きくなった分、食欲も増している。

最近は王宮中のゴミ箱から回収した廃棄物が、ルンの朝食になっている。エコだ。


しかし、今日のルンはどこか落ち着きがない。

食べるのを途中でやめ、柱の角や椅子の脚に、背中をゴリゴリと擦り付けている。


「……どうしたの、ルン。痒いの?」


私が尋ねると、ルンは切なげな目でこちらを見た。


「ママ。……背中、ムズムズする」


「脱皮したばかりだから?」


「チガウ。……中が、熱い。魔力、いっぱい」


ルンは自分の胸のあたりを前足で叩いた。


「サトガエリ、したい」


「……里帰り?」


私とクロード様は箸を止めた。


「ここの空気、おいしい。でも、薄い。……ボク、もっと濃い空気吸わないと、大きくなられない」


ルンは一生懸命に説明してくれた。

要約するとこうだ。

ダストドラゴンは、成長の過程で体内の魔力器官が発達する。

その際、人間界の薄い魔素だけでは形成が追いつかず、一時的に高濃度の魔素を摂取しないと、発育不全(あるいは魔力暴走)を起こすらしい。

本能が「故郷へ帰れ」と告げているのだ。


「なるほど……。成長痛のようなものか」


クロード様が神妙な顔で腕組みをした。


「ルン。その『里』というのは、どこにあるんだ?」


「キタ。……ずーっと、キタ。雲の向こう」


北。

このルテティア王国の北端。

そこにあるのは、地図上で黒く塗りつぶされた地域。

人間が決して立ち入ってはならないとされる場所。


「……『魔境』か」


クロード様が重々しく呟いた。


「エリアナ。そこは『竜の谷』と呼ばれている場所だ。……高濃度の魔素が瘴気のように渦巻き、強力な魔獣が跋扈する、人類未踏の地だ」


「未踏……」


「普通の人間なら、足を踏み入れただけで魔力酔いで死ぬ。……騎士団ですら近づかない禁域だ」


つまり、世界で一番危険な場所ということだ。

そんなところへ、里帰り?


「無理だ」


クロード様は即答した。


「ルンのことは大事だが、君をそんな危険な場所へ連れて行くわけにはいかない。私が単身、魔素の結晶でも採ってこよう」


「パパじゃ、むり」


ルンが首を振った。


「ボク、ママと一緒じゃないと、寂しくて死んじゃう」


「……うっ」


ルンの上目遣い攻撃。

効果は抜群だ。

それに、ルンの言う「魔力調整」がどれほど繊細なものか分からない。

現地に行かなければ解決しない可能性が高い。


私は、最後のパンを口に放り込み、ナプキンで口を拭いた。


「……行りましょう」


「エリアナ!?」


クロード様が驚愕する。


「本気か? ピクニックじゃないんだぞ!」


「分かっています。でも、ルンは家族です。子供の健康診断に付き添うのは、親の義務でしょう?」


私はルンの頭を撫でた。

ザラザラとした鱗の下に、確かな体温がある。

この子が苦しんでいるのを、見過ごすわけにはいかない。


「それに、クロード様」


私はニヤリと笑った。


「誰が『命がけの冒険』をすると言いましたか?」


「え?」


「私は、あくまで『ルンの引率』という業務として行きます。……つまり、私の労働条件は適用されるということです」


私は指を折りながら宣言した。


「一つ。移動は朝九時から一七時まで。夜間行軍や残業は一切しません」

「二つ。野宿は却下です。フカフカのベッドと、温かい食事、そしてお風呂。これらが保証されないなら動きません」

「三つ。危険な戦闘はルンと貴方に任せます。私は安全地帯から指図だけします」


私の条件提示に、クロード様は呆気にとられ……そして、吹き出した。


「ははっ……! 魔境で定時退社か。……君らしい」


彼は楽しそうに笑い、私の手を取った。


「分かった。君がそこまで言うなら、私も覚悟を決めよう。……世界最強の魔法使い(私)と、伝説のドラゴン(ルン)が護衛だ。魔境だろうと地獄だろうと、君の『日常』は守り抜いてみせる」


「頼りにしています、旦那様」


交渉成立だ。


「やった! ママ、パパ、ありがと!」


ルンが嬉しそうに吠え、尻尾で椅子をなぎ倒した。

元気なのはいいことだ。


こうして、私たちの「里帰り」が決まった。

行き先は、人類生存不能区域。

目的は、子供の成長サポート。

そして、私のミッションは「いかに快適に、定時を守って旅をするか」。


私はすぐにシルビアさんを呼び出し、旅行の準備を指示した。


「シルビアさん。……『白い箱舟(あの馬車)』を、魔境仕様に改造します。帝国から取り寄せた保存食と、最高級のクッション、あと簡易浴槽の手配をお願いします」


「かしこまりました。……エリアナ様なら、地獄の釜の底でもティータイムを楽しめるでしょう」


シルビアさんは動じることなく、すぐに手配に走った。

さすが、私の最強の侍女だ。


待っていろ、魔境。

そして、ドラゴンの里。

私が、文明の利器と「働き方改革」を持ち込んでやる。

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― 新着の感想 ―
地獄の釜の底とは言い得て妙ですね。珍しいお湯でティータイムできるかもしれないですね
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