第40話 そして日常は続いていく
目覚まし時計のない朝。
それは、最も贅沢な宝石よりも価値がある。
「……んぅ……」
遮光カーテンの隙間から、細い光が漏れている。
枕元の時計を見る。
一一時三〇分。
「……勝ちました」
私は布団の中で小さくガッツポーズをした。
昨夜、「明日は記念日だから、絶対に起きない」と宣言した通り、私たちは泥のように眠った。
誰にも邪魔されず、義務感に追われることもなく。
この背徳感こそが、休日の醍醐味だ。
「……起きたか、エリアナ」
隣で、クロード様が身じろぎした。
彼もまだ、夢の淵にいるようなとろんとした目をしている。
普段の「氷の宰相」の面影はゼロだ。
ただの、寝癖のついた愛しい夫である。
「おはようございます、クロード様。……いえ、こんにちは、ですね」
「ああ。……よく寝た」
彼は大きな欠伸をして、私を引き寄せた。
休日の朝(もう昼だが)の体温充電。
ポカポカして、二度寝の誘惑が鎌首をもたげる。
「……もう一眠りするか?」
「悪魔の囁きですね。……でも、お腹が空きました」
「奇遇だな。私もだ」
私たちは顔を見合わせて笑った。
今日は結婚一ヶ月目の記念日。
予定していた「アレ」を実行する時が来たようだ。
「起きましょうか。……今日はシェフも休ませていますから、私たちが働く番ですよ」
◇
リビングに行くと、窓際に新しい家具が増えていた。
朝一番で届いていた贈り物だ。
流線型のフォルムを持つ、木製のタワー。
その一番高い台座に、ルンが鎮座している。
「キュウ!(高い!)」と得意げだ。
「レオナルド……あいつ、本当に送ってくるとはな」
クロード様が苦笑する。
帰国した建築家レオナルドからのプレゼント、『ルン君のための機能美タワー』だそうだ。
派手だが、意外と部屋に馴染んでいる。
彼の才能は本物だったらしい。
「さて、ルンもご機嫌なようですし、始めましょうか」
私たちは腕まくりをして、広すぎるキッチンに立った。
今日のミッション。
それは「二人で作る記念日ディナー」だ。
メニューは、ハネムーンの思い出の味、「白身魚のソテー」と「気まぐれサラダ」。
シンプルだが、素人が作るにはハードルが高い。
「……クロード様。それは『乱切り』ではありません。『粉砕』です」
「おかしいな。剣術の極意通り、繊維を断ち切ったつもりなのだが」
開始五分で、まな板の上は戦場になっていた。
ニンジンが微塵切りを超えてペーストになっている。
「野菜相手に闘気はいりません。……貸してください」
私はジャガイモを手に取った。
元社畜の効率化スキル、発動。
「対象、ジャガイモの表皮。作用、分離。――《洗浄・皮剥き》!」
シュパッ!
一瞬で皮だけが弾け飛び、ゴミ箱へ。
「おお……! 魔法を料理に使うとは!」
「楽をするためなら、全力を尽くします」
私はドヤ顔をした。
皮剥きさえ終われば、あとは焼くだけだ。
「よし、次はサラダの盛り付けだが……彩りが足りないな」
クロード様が冷蔵庫を覗き込む。
トマトがない。
その時。
「キュウ!」
ルンが足元から顔を出した。
口には、庭で摘んできた赤い木の実とハーブをくわえている。
「……毒味は?」
ルンがパクッと一粒食べ、尻尾を振った。
合格らしい。
「採用しましょう。……偉いですね、ルン」
「私より役に立っている気がする……」
少し凹むクロード様を励ましつつ、私たちはメインディッシュに取り掛かった。
ジュウウウ……。
香ばしい匂いと、少しの焦げ臭さが漂う。
「ああっ、火が強い!」
「待ってくれ、今ひっくり返す!」
ドタバタと騒がしいキッチン。
完璧な宮廷料理とは程遠い。
でも、不思議と楽しい。
◇
一時間後。
ダイニングテーブルには、不格好だが温かい皿が並んでいた。
「……食べましょう」
「ああ」
私たちはグラスを合わせた。
乾杯。
魚を口に運ぶ。
皮は少し焦げている。身も少し崩れている。
でも。
「……美味しい」
私は微笑んだ。
あの無人島で食べた味と同じだ。
不器用で、一生懸命で、優しい味。
「苦くないか?」
「それがアクセントです。……世界中のどんな三ツ星レストランよりも、私はこの味が好きです」
「エリアナ……」
クロード様が、安堵と感動の混ざった顔で私を見つめる。
テーブルの下では、ルンが私の落としたパン屑を食べて満足げにしている。
静かな午後。
窓の外には、穏やかな王都の景色。
ふと、思う。
婚約破棄されたあの日。
私は「人生終わった」と思った。
でも同時に、「これでやっと休める」とも思った。
私は、成り上がりたくなんてなかった。
高い地位も、名誉も、面倒なだけだと思っていた。
ただ、静かに本を読んで、美味しいお茶を飲んで、ふかふかのベッドで眠りたかっただけ。
「……ねえ、クロード様」
「ん?」
「私、『努力しないで幸せになりたい』って思ってたんです」
「知っているよ。君の口癖だ」
「でも、貴方と一緒にサボるためなら……少しだけ努力するのも、悪くないかなって」
建築家と戦ったり、料理をしたり。
私の「平穏」を守るための戦いは、意外と忙しい。
でも、その忙しささえも、今は愛おしい。
「……ふっ」
クロード様が吹き出した。
そして、テーブル越しに私の手を握った。
「君らしいな。……愛しているよ、私の最高の怠け者」
「私もです、働き者の旦那様」
私たちは笑い合った。
日常は続く。
きっとこれからも、小さなトラブルはあるだろう。
新しい「面倒ごと」が持ち込まれるかもしれないし、ルンがまた脱皮して大きくなるかもしれない。
でも、大丈夫。
私には「効率化」という武器と、「定時退社」という目標がある。
そして何より、一緒にサボってくれる最強のパートナーがいるのだから。
「……さて」
食後の紅茶を飲み干し、私は立ち上がった。
「片付けは魔法で済ませて……午後はどうします?」
「決まっているだろう」
クロード様が、いたずらっぽくウィンクした。
「図書室のソファで、二度寝だ」
「最高のご提案です」
私たちは手を繋ぎ、リビングを出た。
ルンも嬉しそうに後ろをついてくる。
これが、私の物語。
悪役令嬢でも、聖女でもない。
ただの「定時で帰りたい女」が手に入れた、ささやかで、最高に贅沢な人生。
さあ、行こう。
私たちの、愛すべき日常へ。
-完-
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