第4話 サボるための整理術が、なぜか「神の御業」と崇められる
人間、暇になるとろくなことを考えないというが、忙しすぎてもろくなことにならない。
しかし、「楽をするため」ならば、人間は驚くべき知恵を絞り出す生き物である。
私は今、猛烈に感動していた。
目の前に並ぶ、小さな木箱の中身を見て。
「……よし。これで、もう梯子を無駄に上り下りしなくて済むわ」
箱の中には、手のひらサイズの厚紙がぎっしりと詰まっている。
私が三日かけて作成した、「検索カード」だ。
この第二図書室の蔵書は膨大だ。
管理人の仕事の一つに「利用者の求める本を探し出す」というものがあるが、いちいち「えっと、あの辺だったかしら」と記憶を頼りに探すのは効率が悪い。
なにより、無駄に歩き回ると足がむくむ。ヒールは疲れるのだ。
だから私は、前世の記憶にあった「図書館の分類法」を導入することにした。
『000:総記』
『100:哲学』
『200:歴史』
……
『900:文学』
本の内容ごとに三桁の数字を割り振り、背表紙にラベルを貼る。
そして、その番号とタイトル、著者名を書いたカードを、著者名のアルファベット順に箱に並べる。
これさえあれば、座ったままで本の場所が特定できる。
「動きたくない」。
その一心が生み出した、怠惰の結晶である。
私は満足げに頷き、紅茶を啜った。
◇
午後二時。
いつものように、クマさん(クロード様)がやってきた。
今日の彼は、少しだけ顔色が良い。
私の差し入れクッキー効果だろうか。
「……邪魔をする」
彼は慣れた様子でいつものソファに座り、私が淹れたお茶を一口飲む。
そして、ふと私の机の上にある木箱に目を留めた。
「それは?」
「ああ、これですか」
私は木箱を彼の前に押し出した。
「本の目録です。いちいち棚を見て回るのが面倒だったので、カードに書いて整理しました」
「目録……?」
彼は不思議そうにカードを一枚つまみ上げる。
そこに書かれた『913:ルテティア建国叙事詩・上』という文字と、裏面に書かれた棚の番号を見る。
「……この数字はなんだ?」
「分類番号です。似たような内容の本は、同じ番号の棚にまとめてあります。例えば歴史なら200番台、魔法理論なら400番台、といった具合に」
彼の手が止まった。
パラパラと、他のカードもめくり始める。
その速度が、次第に上がっていく。
「……すべて、書き出したのか? この部屋にある数万冊を?」
「ええ。まあ、魔法でタイトルを複写して、紙を切っただけですが」
私の《洗浄》魔法の応用だ。インクを紙に乗せるのも、逆に剥がすのも似たようなものだから。
彼はカードを持ったまま、呆然と本棚を見上げた。
そして、震える声で呟いた。
「……『知』が、体系化されている……」
「はい?」
「この国の図書寮でさえ、分類は『著者の爵位順』か『寄贈された年代順』だ。だから、ある事象について調べようと思えば、何千冊もの本を片っ端から開くしかなかった。それこそ、一生をかけても辿り着けない知識があったんだ」
彼は私を見た。
その瞳が、怖いほどに輝いている。
まるで、伝説の聖剣でも見つけた少年のようだ。
「君は……『知への地図』を作ったんだ。これは、革命だぞ」
「……はあ」
私は気の抜けた返事をした。
大袈裟な。
ただの整理整頓だ。
スーパーマーケットの商品棚だって、「野菜」と「肉」と「お菓子」に分かれているではないか。あれと同じだ。
混ぜて置いたら買い物が面倒だから分ける。それだけのことなのに。
「これがあれば、必要な知識に最短で辿り着ける……! 行政の効率も、研究の速度も、劇的に変わるぞ!」
彼は興奮して立ち上がり、何やらブツブツと呟きながらメモを取り始めた。
まあ、喜んでもらえたならいいか。
私は冷めかけたお茶を飲み干した。
◇
異変が起きたのは、その一時間後だった。
ドカドカドカッ!
静寂を破る、無遠慮な足音。
「ここか! ここに『叡智の泉』があるというのは!」
扉が乱暴に開かれ、白髭を生やした老人たちが雪崩れ込んできた。
全員、分厚い眼鏡をかけ、興奮で鼻息が荒い。
王立学術院のローブを着ている。教授たちだ。
「な、なんです?」
私が目を白黒させていると、先頭の老人が私の机の上の木箱に飛びついた。
「これか! クロード様が仰っていた『魔法の検索機』とは!」
「いえ、ただの紙のカードですけど……」
「おお……! 見ろ、この美しい分類! 歴史と地理が隣接し、自然科学と魔法学が体系的に接続されている! 宇宙の真理を表しているようだ!」
「神の御業だ……!」
老人たちはカードを拝み始めた。
ちょっと待ってほしい。
それは宇宙の真理ではなく、前世の図書館司書さんが考えた事務ルールだ。
「あの、困ります。静かにしていただけないと……」
私が注意しようとすると、一人の教授が私の手を取った。
「貴女がこれを作ったのですか! 一体どのような哲学的思考を経て、この『十進法』という概念に到達されたのですか!?」
唾が飛ぶ。近い。
私は後ずさりながら、正直に答えた。
「……指が十本あるので、キリがいいかなと」
一瞬の沈黙。
教授たちは顔を見合わせ、そして一斉に感嘆の声を上げた。
「なんという……! 『人間の原点に回帰せよ』という示唆か!」
「複雑怪奇な世界を、己の肉体という尺度で測る……まさに悟りの境地!」
「賢者様! ぜひ我々に講義を!」
違う。
そうじゃない。
面倒だから適当に決めただけだ。
否定しようとしたが、彼らの熱量に圧倒されて言葉が出ない。
囲まれる。
酸素が薄い。
私の平穏な職場が、老人たちの熱気でサウナみたいになっている。
(帰りたい……)
時計を見る。
一六時四五分。
あと十五分で定時だ。
このままでは、質問攻めにされて残業コースが確定してしまう。
それだけは嫌だ。
私は助けを求めて、部屋の隅を見た。
そこには、いつの間にか壁際に避難していたクマさんがいた。
彼は苦笑していた。
そして、私の「助けて」という視線を受け取ると、ゆっくりと前に進み出た。
「……そこまでにしておけ、お前たち」
低く、よく通る声。
ただそれだけで、興奮していた教授たちがピタリと止まった。
「ク、クロード様……」
「彼女は、思索の時間を何よりも重んじている。騒ぎ立てて、この貴重な『知の管理者』を失いたくはないだろう?」
クロード様(そう呼ばれていた)は、私の肩にそっと手を置いた。
その手は大きく、温かい。
「彼女がこの分類を作ったのは、我々に『効率』という武器を与えるためだ。その意図を汲むなら、まずは自分たちでこの目録を書き写し、検証するのが筋だろう。……彼女の時間を奪うのではなく」
教授たちはハッとした顔になり、深々と頭を下げた。
「も、申し訳ございません! あまりの感動に、礼節を欠いておりました」
「直ちに写本を作成し、研究させていただきます!」
「賢者様、また改めて教えを請いに参ります!」
彼らは嵐のように去っていった。
カードの内容を必死にメモした紙を抱きしめて。
バタン、と扉が閉まる。
再び、静寂が戻ってきた。
私はその場にへたり込んだ。
「……疲れました」
「すまない。私が少し、彼らに自慢してしまったんだ」
クロード様は申し訳なさそうに眉を下げた。
「君の仕事があまりに見事で、つい……。まさか、あんなに大挙して押し寄せるとは思わなかった」
「……もう、勘弁してください。私はただ、楽に仕事をしたいだけなんです」
「ああ、分かっている。……君は欲がないな」
彼は優しく笑った。
その目は、どこか尊敬を含んだものになっている。
「これだけの偉業を成し遂げて、『楽をしたい』と謙遜するとは。……やはり君は、得難い人材だ」
どうやら、誤解は解けていないらしい。
むしろ深まっている気がする。
でも、訂正する気力もなかった。
チーン。
五時の鐘が鳴る。
「……定時です。帰ります」
「ああ。お疲れ様」
私は荷物をまとめ、逃げるように図書室を出た。
背後で、彼が愛おしそうにカードの箱を撫でているのが見えた。
(……まあ、いいか)
彼があのカードを使って、仕事が少しでも楽になるのなら。
そうすれば、彼の目の下のクマも少しは薄くなるかもしれない。
私はミナさんの焼く夕食のパンを思い浮かべながら、家路を急いだ。
明日はもう少し、平和だといいのだけれど。
しかし私の願いも虚しく、この噂はすぐに広まることになる。
「王宮の墓場に、叡智を司る隠された賢者がいるらしい」と。
そしてその噂は、あろうことか元婚約者の耳にも届いてしまうのだ。




