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婚約破棄された翌日、私は王宮の墓場に就職して定時退社を選んだ  作者: 九葉(くずは)
第4章

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第39話 リノベーション対決、最終決戦

屋根がある。

壁がある。

窓がある。

それは、人類が数千年かけて勝ち取った「文明」の証だ。

それを捨てるなど、猿に戻るのと同義である。


「……本気で言っているのですか?」


私は呆れ果てた声で言った。

図書室の中央。

建築家レオナルドは、天井を指差して高らかに宣言していた。


「もちろんだとも! この天井こそが、諸悪の根源なんだ!」


彼が広げた(ルンに食べられないよう石板に彫った)設計図には、驚愕の光景が描かれていた。

図書室の屋根が、ない。

本棚が青空の下に晒され、読書スペースには直射日光が降り注いでいる。


「名付けて、『スカイ・ライブラリー』! 知識とは空のように無限だ。ならば、物理的な蓋(天井)を取り払い、宇宙と直結すべきだろう!」


「雨が降ったらどうするのですか」


「濡れるのもまた一興! インクが滲み、紙がふやける……その儚さこそが美だ!」


「本がカビます。却下です」


私は即答した。

本を愛する者として、いや、管理者として、これ以上の暴挙はない。

文化遺産の破壊行為だ。


「君は分かっていない! 守られているだけの温室育ちの知識に、価値などないんだよ!」


レオナルドが熱弁を振るう。

どうやら、言葉で説得するのは不可能らしい。

彼の辞書には「維持管理」という言葉がないのだから。


ならば。

体に教えるしかない。


「……分かりました」


私はため息をつき、静かに言った。


「レオナルド様。そこまで仰るなら、一つの提案があります」


「なんだい? 僕の美学に降参かな?」


「いいえ。……今日一日、この図書室で過ごしてみてください」


私は部屋の鍵を取り出し、チャリと鳴らした。


「朝から晩まで。一歩も外に出ず、ただここで過ごすのです。……この部屋の『死んでいる』部分を、貴方の肌で感じ取ってください。もしそれでも『屋根はいらない』と仰るなら……」


「その時は?」


「私が責任を持って、屋根を爆破しましょう」


「……面白い!」


レオナルドはニヤリと笑った。


「受けて立とう! 僕の感性が、こんな古臭い箱に屈するはずがないからね!」


こうして。

芸術家と管理人の、最後の戦いが始まった。

武器は、剣でも魔法でもない。

「居心地」だ。


          ◇


午前一〇時。


レオナルドは、持参したスケッチブックに向かっていた。

場所は、私が指定した窓際の席。


「フン、悪くない日差しだ。……だが、ガラス一枚隔てているのが惜しいな」


彼は文句を言いながらも、筆を走らせている。


私は何も言わず、少し離れた席で事務仕事をしていた。

ただし、環境調整には全神経を注いでいる。


『第一フェーズ:採光』。


この図書室の窓は、ただのガラスではない。

私が《洗浄》魔法の応用で、光の透過率を調整してある。

直射日光の眩しさはカットし、本を読むのに最適な、柔らかい拡散光だけを取り入れる。

長時間いても目が疲れない、魔法の光だ。


レオナルドの筆が進む。

一時間、二時間。

彼は一度も目を擦らない。

眉間の皺が、少しずつ消えていく。


午後一三時。


「……ふぅ。少し暑くなってきたかな」


レオナルドが服の襟を緩めた。

外は初夏の日差しが照りつけている。

もし屋根がなければ、今頃彼は熱中症で倒れているだろう。


『第二フェーズ:空調』。


私はルンに目配せをした。

ルンは心得たように、換気口のフィルターの埃を吸い取った。

風が通る。

石造りの壁が蓄えた冷気と、外からの風が混じり合い、室内は常に二四度の適温に保たれる。

人工的な冷房ではない、自然の風の心地よさ。


「……おや?」


レオナルドの手が止まった。

彼は深呼吸をした。


「……空気が、澄んでいる? 埃っぽさがない……」


「ルンが掃除していますから」


「そ、そうか……。だが、風の通り道が計算されているな。……誰が設計したんだ?」


「私です」


「……チッ」


彼は悔しそうに舌打ちしたが、その表情は穏やかだった。

快適さに、体が正直に反応し始めている。


午後一五時。


おやつの時間だ。

シルビアさんが、冷たいアイスティーとシフォンケーキを運んできた。


「どうぞ」


「……もらうよ」


レオナルドはソファ(私が死守したもの)に深く座り、ケーキを口にした。

ふわふわの食感。

冷たい紅茶。

そして、静寂。


ここには、王宮の喧騒はない。

あるのは、ページをめくる音と、時折聞こえるルンの「キュウ」という寝息だけ。


レオナルドの瞼が、重くなってきた。

徹夜続きだと言っていた。

常に「美」を追求し、気を張っている彼にとって、何も強要されないこの空間は、毒のように甘いはずだ。


「……駄目だ、寝てはいけない……。僕は、戦いに来たんだ……」


彼は必死に抵抗している。

だが、私の愛用するソファの魔力(人を駄目にする力)は強大だ。

彼の体が、スライムのように溶けていく。


「……くそっ……。なぜだ……。なぜこんなに、落ち着くんだ……」


          ◇


そして、午後一七時。

勝負の刻が訪れた。


ポツリ。

ポツ、ポツ……ザーーーッ!!


予報通りの夕立だ。

バケツをひっくり返したような豪雨が、王都を襲った。


窓の外は、灰色の雨のカーテンに覆われている。

木々は激しく揺れ、道行く人々が悲鳴を上げて走っていく。


だが、ここは違う。


図書室の中は、静かだった。

屋根が、壁が、窓が。

暴力を外で食い止め、私たちを守っている。


雨音だけが、BGMのように優しく響く。


「……」


レオナルドは、窓ガラスに手を当てていた。

その向こうでは、激しい雨が叩きつけている。


「……もし」


彼が震える声で呟いた。


「もし、僕の計画通りに天井を抜いていたら……」


「今頃、ここは水浸しですね」


私は淡々と告げた。


「本は全滅。貴方のスケッチブックも泥の塊。そして私たちは、ずぶ濡れで寒さに震えていたでしょう」


「……」


「レオナルド様。貴方は言いましたね。『守られているだけの温室に価値はない』と」


私は彼の隣に立った。


「でも、守られているからこそ、人は安心して夢を見られるのではありませんか? 雨の音を『美しい』と感じる余裕は、濡れていないからこそ生まれるのです」


本を読むこと。

絵を描くこと。

そして、二度寝すること。

それらはすべて、安全な「巣」があって初めて成り立つ、高度な知的活動だ。


「屋根は、ただの物理的な蓋ではありません。……人の心を守る、結界なのです」


レオナルドは、ゆっくりと振り返った。

その目には、涙が溢れていた。


「……暖かいんだ」


「え?」


「ここは……まるで、実家の暖炉の前みたいに……暖かい」


彼は泣き崩れた。

奇抜なファッションの芸術家が、子供のように泣いている。


「僕は……忘れていた。美しさを追い求めるあまり、一番大切な『安らぎ』を……。人が帰る場所を作るという、建築の原点を……!」


彼は私の手を取った(ルンが威嚇したが無視した)。


「負けだ! 僕の完敗だ、エリアナ君! ……いや、師匠!」


「師匠はやめてください。ヒルダ様だけで手一杯です」


「この屋根は残そう! 壁も、窓も! これらは全て、完璧に機能している! これこそが……『機能美』だ!」


彼は感動に打ち震えながら、懐から自分の設計図(石板)を取り出した。

そして、それを床に叩きつけ……ようとして、やめた。

重いし、床が傷つくからだ。

彼はそっと石板を裏返し、机の脚の高さ調整に使った。


「……リノベーション計画は白紙だ。いや、変更する!」


彼は目を輝かせた。


「僕はこの図書室の『快適さ』を維持したまま、さらに補強する! 雨漏りの修繕、断熱材の追加、そしてルン君のための専用通路の設置! どうだい!?」


「……それなら、歓迎します」


私は微笑んだ。

ようやく、話の通じる相手になったようだ。


雨が上がる。

雲の切れ間から、夕日が差し込んできた。

濡れた窓ガラスが、キラキラと輝いている。


「……美しいな」


レオナルドが呟いた。


「ああ、なんて美しいんだ。……屋根の下から見る夕日は」


その言葉は、彼のこれまでのどんな芸術論よりも、真実に満ちていた。


          ◇


一時間後。

レオナルドは「生まれ変わった気分だ!」と言って、スキップしながら帰っていった。

彼が置いていった新しい設計図には、『世界一居心地の良い図書室』というタイトルが書かれていた。


「……やれやれ」


私はソファに深々と沈み込んだ。

長かった。

ガラスの椅子から始まり、トイレの壁、そして屋根。

私の聖域を巡る戦いは、完全勝利で幕を閉じた。


「キュウ〜」


ルンが私の膝に乗ってくる。

温かい。


「お疲れ様、ルン。……平和が戻りましたね」


ガチャリ。

扉が開く音がした。


「ただいま、エリアナ」


入ってきたのは、仕事を終えたクロード様だった。

彼は部屋の中を見渡し、満足げに頷いた。


「……天井はあるな。トイレの壁もあるな」


「もちろんです。誰が守ったと思っているのですか」


「感謝する。……もし屋根がなくなっていたら、私はレオナルドを月まで吹き飛ばすところだった」


彼は冗談めかして言ったが、目が笑っていなかった。

本気だったらしい。


「さあ、帰ろう。……今日は記念日だぞ」


「記念日?」


「忘れたのか? 結婚一ヶ月目の」


「……あっ」


忘れていた。

建築家との戦いに夢中で、すっかり失念していた。


「す、すみません。ディナーの予約もしていません……」


「構わないさ」


クロード様は優しく私の髪を撫でた。


「外食もいいが……今日は、家でゆっくりしたい気分なんだ。君の手料理……いや、二人で作るのも悪くない」


「……ふふっ。そうですね」


私は立ち上がった。

派手なパーティーも、豪華な食事もいらない。

屋根のある家で、愛する人と、温かいスープを飲む。

それ以上の贅沢が、どこにあるだろうか。


「帰りましょう、あなた」


「ああ」


私たちは手を繋ぎ、図書室を出た。

ルンも嬉しそうに後ろをついてくる。


私の「マイホーム計画」は、これにて完了。

誰にも邪魔されない、最高の城を手に入れた。


そして、家に帰れば。

不格好だけど温かい、二人だけの食卓が待っている。

日常という名の、奇跡のような物語だ。

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