第38話 ルンの成長と、驚きの正体
子供の成長は早いと言うが、家電のアップグレードも早い方がいい。
だが、ペットが「一晩でサイズ倍増」というのは、生物学的にどうなのだろうか。
「……おはようございます、ルン」
朝の図書室。
いつものように鍵を開けた私は、床に落ちている「物体」を見て足を止めた。
それは、灰色の半透明な抜け殻だった。
トカゲの形をしている。
そして、その横には――。
「キュウ!」
元気な鳴き声と共に飛びついてきたのは、昨日までは掌サイズだったはずの謎生物。
しかし今は、中型犬……いや、大きな猫くらいのサイズになっている。
背中の翼も立派になり、鱗には金属的な光沢が出ている。
「……大きくなりましたね」
私は冷静に受け止めた。
重い。
飛びつかれた衝撃で、少しよろめいた。
これでは「引き出しに隠す」という作戦はもう使えない。
「キュウ、キュウ!」
ルンは私の足元にすり寄り、尻尾を振っている。
可愛い。
サイズが大きくなった分、ゴミの吸引口(口)も大きくなっている。
これなら、本棚の裏の大きな埃も一息でいけるだろう。
「……いや、感心している場合ではありませんね」
この成長速度は異常だ。
このままでは、来週には牛サイズ、来月には象サイズになりかねない。
そうなれば、図書室の床が抜ける。
「エリアナ、おはよう。……って、うわあ!?」
タイミングよく(悪く)、クロード様が入ってきた。
彼は大きくなったルンを見て、素っ頓狂な声を上げて後ずさった。
「な、なんだその怪獣は!? 昨日のトカゲか!?」
「はい。脱皮したらボリュームアップしました」
「育ちすぎだろう! ……待てよ、その翼、その鱗の形状……」
クロード様の顔色がサッと変わった。
彼は書架へ走り、一冊の分厚い図鑑『古代幻獣大全』を引き抜いた。
パラパラとページをめくる。
「……やはりだ」
彼が指差したページには、ルンによく似た……いや、ルンがさらに厳つく成長したような、巨大なドラゴンの挿絵があった。
『種族名:ダストドラゴン(塵旋風竜)』
『分類:災害指定幻獣』
『特徴:あらゆる物質を腐食・分解する吐息を吐く。成体は城一つを数秒で「風化」させ、塵へと還す』
「……災害指定?」
不穏な単語だ。
「伝説の生き物だぞ。本来は汚染された魔境にしか生息しないはずだ。……なぜこんな所に」
クロード様が青ざめて私を見る。
「エリアナ。……このまま飼うのは危険だ。もし成体になって、王宮の中で『吐息』を使われたら……ルテティア王国が更地になってしまう」
「更地……」
それは困る。
私の図書室も、美味しいご飯も、ふかふかのベッドも消えてしまう。
「討伐、あるいは隔離が必要だ」
クロード様の手が、腰の剣に伸びる。
ルンが殺気を感じて、私の後ろに隠れた。
震えている。
「待ってください」
私はクロード様の前に立ちはだかった。
「ルンは危険ではありません。見てください、このつぶらな瞳を」
「ドラゴンは皆、幼体は可愛いんだ! 騙されるな!」
「ですが、この子は『掃除』しかしませんよ? 城を消すのではなく、城の『汚れ』を消しているだけです」
私はルンの頭を撫でた。
「図鑑には『腐食・分解』とありますが、それは解釈の問題です。……要は、強力な分解酵素を持っているということでしょう? 使い方次第で、これほど有能な焼却炉はありません」
「焼却炉扱いか……」
「それに、この子は私に懐いています。私の言うことなら聞きます。……ね?」
「キュウ!」
ルンはお座りをした。
賢い。
クロード様は迷っていた。
宰相としての危機管理意識と、妻への甘さが戦っている。
その時だった。
「あああ……! 終わった……! 僕の人生は終わりだ……!」
絶望的な叫び声と共に、あの男が現れた。
建築家レオナルドだ。
今日はいつもの蛍光色のマントではなく、純白のシャツを着ている。
……いや、「純白だった」シャツを。
「どうした、レオナルド。朝から騒々しい」
クロード様が眉をひそめる。
「宰相殿! 見てくれ、これを!」
レオナルドは、シャツの胸元を指差した。
そこには、べっとりと黒いシミが広がっていた。
「最高級シルクのシャツに、製図用の特殊インクをこぼしてしまったんだ! このインクは魔力定着型で、一度ついたら二度と落ちない! もう着れない! 美しくない!」
彼はその場に膝をつき、髪をかきむしった。
「僕は潔癖症なんだ……! 一点の曇りも許せない! こんな汚れた服を着ている自分を見るくらいなら、死んだ方がマシだ!」
面倒くさい男だ。
芸術家というのは、なぜこうも情緒が不安定なのか。
「着替えればいいではありませんか」
私が正論を言うと、彼は涙目で睨んできた。
「これは僕の勝負服なんだ! 今日のプレゼンに合わせて仕立てた一点物なんだよ! 代わりなんてない!」
「……はぁ」
私はため息をつき、そして足元のルンを見た。
ルンは、レオナルドの胸元のシミをじーっと見つめている。
鼻をヒクヒクさせている。
よだれが出ている。
どうやら、あの特殊インクは、ルンにとって「極上のソース」の匂いがするらしい。
「……レオナルド様。そのシミ、落とせるかもしれませんよ」
「なっ、本当か!? 王宮の洗濯係も匙を投げたんだぞ!?」
「うちの『専門家』にお任せください」
私はルンを抱き上げた。
ずしりと重いが、なんとか持ち上がる。
「ルン。……食事の時間ですよ」
「キュウ!」
私はルンをレオナルドの胸元に近づけた。
レオナルドが「ひっ、なんだその怪獣は!」と悲鳴を上げるが、無視する。
シュッ。
ルンの舌が伸びた。
正確無比なスナイプ。
黒いインクのシミだけを、舐め取っていく。
ペロリ、ペロリ。
「う、うわぁぁぁ! 食べられてる! 僕が食べられてる!」
「じっとしていてください。服は噛みませんから」
数秒後。
「……キュウ!」
ルンは満足げに舌なめずりをした。
そして、レオナルドの胸元には――。
「……き、消えた?」
シミ一つない、純白の生地が戻っていた。
繊維の傷みもない。
ただ、汚れだけが「存在しなかった」かのように消滅している。
「嘘だ……。魔法でも落ちなかったのに……」
レオナルドは震える手で自分の胸を触った。
そして、キラキラした目でルンを見た。
「ブラボー……!!」
彼は叫んだ。
「なんて美しい機能美だ! 汚れを糧とし、純白を取り戻す……! これこそが自然界の浄化システム! 君は天使か!?」
彼はルンを抱きしめようとしたが、ルンは「嫌だ」という顔で私の後ろに逃げた。
潔癖症の男が、トカゲ(ドラゴン)に求愛している。
カオスだ。
「……クロード様。ご覧になりましたか?」
私は勝ち誇った顔で夫を見た。
「この洗浄能力。……これを『災害』と呼んで排除しますか? それとも、『益獣』として国益に繋げますか?」
クロード様は、呆気にとられた顔をしていたが、やがて諦めたように笑った。
「……参ったな。あのレオナルドを黙らせるとは」
彼はルンを見下ろした。
「分かった。認めよう。……ただし、『ペット』ではない。『職員』としてだ」
「職員?」
「ああ。これだけの能力があるなら、予算をつけて管理すべきだ。『王宮特別清掃員』。……どうだ?」
「最高です!」
私は拍手した。
公務員だ。ルンが公務員になった。
これで堂々と飼えるし、餌代(ゴミ処理費用)も経費で落ちる。
「レオナルド氏も、異存はないな?」
「もちろんだ! この子は美しい! 僕のアトリエにも派遣してほしいくらいだ!」
レオナルドは完全にルン信者になっていた。
こうして。
伝説のダストドラゴンは、私の「ペット」から、王宮の正式なスタッフへと昇格した。
首には、シルビアさんが夜なべして作ったという、王家の紋章入りのリボンが巻かれた。
ルンは誇らしげに胸を張り、私の足元で丸くなった。
これで、私の図書室ライフは盤石だ。
掃除の手間はゼロ。
快適な空間は守られた。
……はずだった。
だが、あのレオナルドが、一度の失敗と感動で大人しくなる男ではなかったことを、私は甘く見ていた。
「エリアナ君! ルン君の美しさにインスピレーションを受けたよ!」
数日後。
彼が持ち込んできたのは、図書室の天井をぶち抜いて「青空と一体化する」というとんでもない計画だった。
「雨が降ったらどうするんですか!」
「雨もまた、自然の恵みだよ!」
……やはり、この男とは戦う運命にあるらしい。
私はルンを撫でながら、最終決戦の予感に震えた。
私の「屋根のある生活」を守るために、負けられない。




