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婚約破棄された翌日、私は王宮の墓場に就職して定時退社を選んだ  作者: 九葉(くずは)
第4章

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第35話 クロードの嫉妬・リターンズ

朝の寝室に流れる空気は、通常であれば甘く緩やかなものだ。

しかし今、ここには「法廷」のような緊張感が漂っていた。


「……エリアナ」


「はい」


「説明を、頼めるか」


ベッドの上で上半身を起こしたクロード様が、冷徹な宰相の顔で私を見ている。

その視線の先には、クローゼットの前で私のドレスの裾を食い散らかし、満足げに「ゲフッ」とげっぷをした謎の生物――ルンがいた。


「キュウ?」


ルンは首を傾げ、つぶらな瞳でクロード様を見上げている。

子猫サイズになった灰色の体。

背中の小さな翼。

そして、口の端から垂れ下がる高級レースの残骸。


現行犯逮捕である。


「……可愛いですね」


私は精一杯の笑顔で誤魔化そうとした。


「誤魔化すな。……なんだその生き物は。昨夜、君の足元でゴソゴソしていたのは、これか?」


「……はい」


「香水だと言っていた『土の匂い』も、これか?」


「……はい」


「なぜ隠した?」


クロード様の目が細められる。

怒っている。

いや、これは怒りというより、「拗ねている」時の顔だ。

信頼していた妻に秘密を作られたショックと、得体の知れない侵入者への警戒心。


「隠すつもりはありませんでした。ただ、紹介するタイミングを見計らっていただけで……」


「ドレスを食わせて育ててからか?」


「成長期みたいでして」


私は冷や汗を流しながら、ルンを抱き上げた。

ずしりと重い。

昨日まではポケットに入ったのに、今は両手で抱えなければならない。


「クロード様。紹介します。この子は『ルン』です」


「ルン?」


「はい。昨日、図書室で保護しました。……レオナルド様が置き忘れた卵から孵ったのです」


「あの建築家の? ……ろくなものじゃないな」


クロード様は露骨に嫌そうな顔をした。


「捨ててきなさい。得体が知れないし、何より君のドレスを食べるような害獣だ」


「待ってください! 害獣ではありません!」


私は必死にプレゼンを開始した。

これはルンの命運と、私の家事負担軽減がかかった重要な交渉だ。


「この子は『益獣』です。ドレスを食べたのは事故ですが、本来の主食は『埃』や『ゴミ』なのです」


「ゴミ?」


「はい。見ていてください」


私はベッドの下を指差した。

そこには、掃除が行き届きにくい四隅に、わずかな綿埃が溜まっているはずだ。


「ルン、ご飯ですよ」


私が床に下ろすと、ルンは鼻をヒクヒクさせた。

そして、ベッドの下へ猛ダッシュした。


シュッ!

パクッ!


一瞬で戻ってきたルンの口からは、埃が消えていた。

さらに、床に落ちていた私の髪の毛一本までも、器用に舌で絡め取って飲み込んだ。


「キュウ!(きれいになった!)」


ルンが得意げに尻尾を振る。


「……ご覧の通りです」


私は胸を張った。


「この子は、自律走行型の掃除機なのです。電源いらず、排気ガスなし、騒音も『キュウ』だけ。……どうですか? 我が家の衛生管理に役立つと思いませんか?」


クロード様は呆気にとられていたが、やがて疑わしげな目をルンに向けた。


「……確かに便利そうだが。安全なのか? 私を噛んだりしないか?」


「大丈夫です。私には懐いていますし、貴方は私の夫ですから……」


その時だった。


ルンが、クロード様に近づいた。

トテトテとベッドに前足をかけ、クロード様の胸元をじっと見つめる。


「……なんだ? 和解を求めているのか?」


クロード様が少し気を許して、手を伸ばそうとした瞬間。


カッ!


ルンの口が大きく開いた。

狙いは、クロード様の指――ではなく、パジャマのボタンだった。

最高級の白蝶貝で作られた、艶やかなボタン。

それがルンには「美味しそうなカルシウムの塊」に見えたらしい。


「わっ!?」


クロード様が慌てて身を引く。

ボタンが一つ、食いちぎられた。


ガリッ、ボリボリ。


ルンは硬い貝殻をスナック菓子のように噛み砕いた。


「き、貴様……!」


クロード様が青ざめてパジャマを押さえる。

はだけた胸元があらわになる。


「エリアナ! こいつ、私を襲ったぞ! やはり危険だ!」


「襲ったのではありません。ボタンが美味しそうだっただけです!」


「私のパジャマだぞ!? 君が去年の誕生日にくれた大切な……!」


「また買いますから! ……こら、ルン! 食べ物は床にあるものだけです!」


私はルンを捕獲し、叱りつけた。

ルンは「チェッ」という顔をして、私の腕の中で丸くなった。


クロード様は乱れたパジャマを直し、深いため息をついた。

そして、じっと私とルンを見た。


「……はぁ」


「クロード様……?」


「君は、そのトカゲが気に入ったんだな」


彼の声のトーンが落ちた。

怒気は消え、代わりにどこか寂しげな響きが含まれている。


「……はい。可愛いですし、役に立ちますから」


「私よりも?」


「へ?」


「昨夜、君はずっと上の空だった。……こいつのことを考えていたんだろう?」


彼はベッドから降り、私に近づいた。

大きな手が、私の頬を包む。


「私は、君との時間を何よりも大切にしている。……なのに、君が私以外のものに夢中になっていると、正直……面白くない」


嫉妬だ。

トカゲ相手に、この国の宰相が本気で嫉妬している。

なんて大人げない。

そして、なんて愛おしいのだろう。


私はルンを床に置き、クロード様の腰に腕を回した。


「……馬鹿ですね、クロード様」


「ああ、馬鹿だ。君に関しては、分別がなくなる」


「ルンはペットです。貴方は私の夫です。比較対象にもなりませんよ」


私は背伸びをして、彼の拗ねた唇にキスをした。

チュッ、と軽い音。


「……それだけか?」


「足りませんか?」


「ボタンを一つ食われたんだ。その分の『修繕費』と、昨夜の『放置料』を請求する」


彼は私の腰を引き寄せ、耳元で囁いた。


「……ルンとやらには、少し席を外してもらおうか」


「えっ、でも、どこへ……」


「バスルームにでも入れておけ。……今は、私だけを見てくれ」


彼の瞳が、熱っぽく揺れている。

朝からこの色気は反則だ。

これでは、定時出社が危うい。


でも。

秘密を作って心配させたのは私だ。

ここは、妻として責任を取るべきだろう。


「……分かりました。少しだけですよ?」


私はルンを抱き上げ、バスルームへと隔離した。

「キュウ〜(なんで〜)」という抗議の声が聞こえるが、心を鬼にして扉を閉める。


戻ると、クロード様が満足げに笑っていた。

ライバルを排除した勝者の顔だ。


「……さて、機嫌を直してもらおうか」


彼は私をベッドに押し倒した。

朝の光の中で、彼の顔が近づいてくる。


「……クロード、遅刻しますよ」


「構わん。……今日は少し、重役出勤にさせてもらう」


結局。

その日の私たちは、予定より一時間遅れて部屋を出ることになった。

クロード様の機嫌は完全に直り、肌艶も良くなっていたが、私の唇は少し腫れていたかもしれない。


そして、バスルームから解放されたルンは、さらに一回り大きくなっていた。

どうやら、バスルームの湿気(水垢?)まで食べたらしい。


「……エリアナ。こいつ、またデカくなってないか?」


「気のせいですよ。……さあ、行きましょう」


私は笑顔で誤魔化し、ルンを抱えて図書室へと向かった。


とりあえず、飼育許可は勝ち取った。

多少の嫉妬と、ボタン一つの犠牲で済んだなら安いものだ。


図書室に着いた私を待っていたのは、トイレの壁を破壊しようとするレオナルドの姿だった。

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