表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された翌日、私は王宮の墓場に就職して定時退社を選んだ  作者: 九葉(くずは)
第3章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

30/31

第30話 誓いのキスは「定時」の鐘と共に

「叔父様っ!!」


私は叫んだ。

大聖堂の隅々まで響くような、感極まった声で。


「な、なんだ?」


大公が驚いて目を丸くする。

私はドレスの裾を翻し、祭壇を駆け下りた。

そして、大公の目の前で立ち止まると、両手を広げた。


「私……っ、私、嬉しくて!」


「えっ、ちょ、エリアナ?」


「叔父様が、こんなにも私たちのことを考えてくださって……! その原稿の厚さを見ただけで、胸がいっぱいです!」


私は大公に抱きついた。

ガバッ!

老紳士の体に、2キロのドレスと私の全体重が乗る。


「むぐっ!?」


「もう、言葉はいりません! 叔父様の愛は、痛いほど伝わってきましたから!」


私は彼の胸に顔を埋め、声を張り上げた。

実際、物理的に痛いほど抱きしめている。

これで彼は呼吸ができず、喋れないはずだ。


「んぐ、む……! は、離せ……!」


大公がもがくが、私は離さない。

これはハグではない。

拘束だ。


会場がどよめいた。


『なんて感動的なんだ……』

『あの厳しい大公閣下に、あんなに素直に甘えるなんて』

『二人の絆は本物だったんだな』


参列者たちがハンカチで目頭を押さえている。

よし、世論は味方につけた。

これなら「無礼」ではなく「感動のハプニング」として処理される。


「……ありがとう、叔父様」


私は耳元で、彼にだけ聞こえる声で囁いた。


「(長話はカットです。……後でゆっくり読みますから)」


「(……き、貴様……っ)」


大公は赤面し、わなわなと震えていたが、空気の読める人だ。

この状況で私を突き飛ばせば、それこそ台無しになると分かっている。

彼は諦めたように脱力し、不器用に私の背中をポンポンと叩いた。


「(……ふん。……幸せになれよ、馬鹿者が)」


「(はい)」


私はパッと体を離した。

大公の手から巻物を抜き取り、近くにいたシルビアさんにパスする。

ナイスキャッチ。


私はクロード様の元へ戻った。

彼は堪えきれない笑みを噛み殺しながら、私の手を取った。


「……君には敵わないな」


「共同作業ですよ」


時計の針が動く。

カチ、カチ、カチ。


16時59分50秒。


「皆様! 本日はありがとうございました!」


クロード様が、よく通る声で宣言した。


「私たちは誓います。……この国の未来と、互いの幸福を」


55秒。

大聖堂の鐘楼が、予備動作に入る。

鳩たちが飛び立つ。


58秒。

59秒。


ゴォォォォォォォォン……!


17時を告げる鐘が、王都中に鳴り響いた。

定時だ。

私の業務終了の合図だ。


「エリアナ」


「はい、クロード」


鐘の音に重なるように、彼は私の腰を引き寄せ、唇を重ねた。


誓いのキス。

それは形式的なものではなく、一日の労働を終え、自由な時間へと踏み出すための、スイッチのようなキスだった。

温かくて、甘い。

そして何より、達成感の味がした。


割れんばかりの拍手と歓声。

花びらのシャワーが降り注ぐ。


「……終わりだ」


クロード様が唇を離し、安堵の息を吐いた。


「ええ。完璧な定時退社です」


私は彼に向かって、いたずらっぽくウィンクした。


「さあ、行きましょう。馬車が待っています」


「ああ」


私たちは腕を組み、バージンロードを歩き出した。

入り口の扉が大きく開かれる。

外には、眩しいほどの西日と、私たちを祝福する民衆の海が広がっている。


通り過ぎざま、大公と目が合った。

彼は呆気にとられた顔をしていたが、最後にはフッと苦笑し、小さく手を振ってくれた。

どうやら、許してくれたらしい。

あるいは、私の手際の良さに呆れ果てたのか。


「おめでとう!」

「お幸せに!」


声援の中、私たちは大聖堂を出た。

白い「改造馬車」が待機している。

あの揺れない、快適な箱舟だ。


「乗ってください、奥様」


クロード様がエスコートしてくれる。


「ええ、旦那様」


私はドレスの裾を翻し、馬車に乗り込んだ。

ふかふかのシート。

冷えたシャンパン。

そして、靴を脱ぎ捨てられる解放感。


プシュウ。

扉が閉まり、外の喧騒が遠のく。

静寂な空間に、二人きり。


「……ふぅーーーーっ!」


私は背もたれに倒れ込んだ。

終わった。

終わったのだ。

あの地獄のデスマーチも、スパルタ教育も、10キロの行進計画も。

すべてを乗り越え、私は勝ち取った。


「お疲れ様、エリアナ」


クロード様が、私のヒールを脱がせてくれながら微笑んだ。


「これからは、この馬車でハネムーンだ。……行き先は?」


「無人島です」


私は即答した。


「誰もいない、電話もない、書類もない南の島で。……一週間、泥のように眠ります」


「同感だ。私も一緒に寝ていいか?」


「もちろんです。……だって」


私は左手の指輪をかざした。

クリスタルの中に、夕日が差し込んでオレンジ色に輝いている。


「私たちはもう、一蓮托生なのですから」


馬車が動き出す。

滑るように、王都の大通りを抜けていく。

目指すは港。

そして、その先にある、真の自由な休日へ。


私の戦いは、ひとまずここで幕を閉じる。

「成り上がらない」はずだった私の人生は、気づけば国の頂点近くまで来てしまったけれど。

まあ、隣にこの人がいて、定時で帰れるなら、悪くないかもしれない。


「……おやすみなさい、クロード」


「まだ早いだろう」


「いいえ。……今からが、私たちの時間です」


私は彼の肩に頭を乗せ、幸せな微睡みへと落ちていった。

馬車の揺れは、ゆりかごのように優しかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
時間の関係で帰路の描写は省略しました、とかかな?(笑) 態度が軟化したのは帰りの馬車に乗せてもらえたのも一因だと勝手に妄想してました
あれ?帰りに乗せてあげないのかい叔父様を?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ