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婚約破棄された翌日、私は王宮の墓場に就職して定時退社を選んだ  作者: 九葉(くずは)
第3章

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第29話 儀式妨害!? 予期せぬトラブル

完璧な計画には、必ず落とし穴がある。

これはマーフィーの法則であり、私の前世からの経験則でもある。


王宮の大聖堂、新婦控え室。

窓からは、快晴の青空と、広場を埋め尽くす民衆の歓声が聞こえてくる。


「……仕上がりました、エリアナ様」


シルビアさんが、最後の一筆を私の唇に乗せた。

鏡の中には、純白のドレスをまとった私が映っている。

帝国製の天蚕シルクは、真珠のような光沢を放ち、2キロという軽さでありながら、重厚な威厳を醸し出していた。


「完璧です。……これなら、10時間の式典も耐えられます」


私は立ち上がり、軽く回ってみせた。

裾がふわりと舞う。

重くない。苦しくない。

これまでの苦労が報われた瞬間だ。


ガチャリ。

扉が開き、正装のクロード様と、ヴァレリウス大公が入ってきた。


「美しいよ、エリアナ」


クロード様が眩しそうな目を向けてくれる。

彼もまた、白と金を基調とした王族の正装が決まっている。


「ふん。……まあ、悪くない」


大公も、いつもの憎まれ口を叩きながらも、満足げに頷いた。

彼にとっても、今日の式は儀典長としての集大成だ。

帝国との同盟をアピールし、王家の威信を示す晴れ舞台。

ミスは許されない。


「時間だ。……『指輪』の確認をするぞ」


大公が、背後に控えていた儀典局の係官に合図をした。

係官は青ざめた顔で、震える手で小箱を差し出した。


パカッ。


箱が開く。

そこには、赤いベルベットのクッションが収まっていた。


……クッション「だけ」が。


「……おい」


大公の声が低くなった。


「指輪は、どうした」


係官が、その場に崩れ落ちた。


「も、申し訳ございませんっ! け、今朝確認した時にはあったのです! ですが、いざ箱を開けたら……!」


「馬鹿な! あれは国宝だぞ! 警備はどうなっていた!」


「わ、分かりません……! ただ、準備室に『伝統を汚す娘に、王家の指輪は渡さない』というメモが……!」


室内が凍りついた。

内部犯行。

儀典局の中に、まだ私を快く思わない保守派の狂信者が潜んでいたのだ。

私の「ドレス軽量化」や「馬車移動」を、伝統への冒涜だと捉えた誰かが、最後の最後で嫌がらせを仕掛けたらしい。


「おのれ……っ! 儂の顔に泥を塗る気か……!」


大公が激昂し、杖を振り上げた。

クロード様も顔を険しくさせる。


「今すぐ探せ! 犯人を捕らえろ!」


「ま、待ってくださいクロード様」


私は壁時計を見た。

開式まで、あと五分。

入場曲の演奏は既に始まっている。


「今から探しても間に合いません。予備の指輪は?」


「ない。あれは初代国王と王妃の指輪だ。……儀式において、あれ以外の指輪を使うことは法で禁じられている」


大公が頭を抱えた。

顔面蒼白だ。

指輪交換は式のクライマックス。

もしそこで指輪がなければ、式は中断し、王家は世界中の笑いものになる。

帝国のヒルダ様も来ているのだ。

「ルテティアは指輪の管理もできないのか」と呆れられるだろう。


「……延期するか?」


クロード様が苦渋の決断を口にする。


「駄目です」


私は即答した。


「延期すれば、それこそ犯人の思う壺です。それに……」


私はドレスの裾を握った。


「私、もう二度とこの準備期間をやり直すのは御免です。今日、この場で終わらせます」


「しかし、指輪がなければ……」


「あればいいのでしょう?」


私は部屋を見渡した。

高価な調度品。

花瓶。

そして、天井から吊り下げられた、豪華なシャンデリア。


その端に、予備として置かれていたクリスタルの飾り石があった。

拳大の、透明度の高い水晶だ。


「……あれを使います」


「は? あれはただの飾りだぞ?」


「素材としては十分です。……シルビアさん、あれを取ってください」


シルビアさんは一瞬驚いたが、すぐに椅子に登り、クリスタルを外して私に渡してくれた。

ずしりと重い。

混じり気のない、美しい水晶だ。


私はそれをテーブルに置き、深呼吸をした。


「クロード様、大公閣下。少し下がっていてください」


「エリアナ、何を……」


私は右手をかざした。

脳内でイメージを構築する。

これは「掃除」だ。

大きな石の塊から、「指輪ではない部分」を「汚れ」として除去する。

彫刻家が木の中に仏を見るように、私は水晶の中に二つの円環を見る。


「対象、水晶」

「分離指定、リング形状以外の全物質」

「作用、剥離および研磨」


「――《精密洗浄マイクロ・クリーン》!」


カッ!!


微細な魔力の閃光が走る。

私の指先が、レーザーカッターのように水晶の分子結合を断ち切っていく。

余分な欠片が砂となって崩れ落ちる。

残ったのは、二つの透明な輪。


さらに、表面に残った微細な凹凸を「汚れ」と認識して弾き飛ばす。

研磨剤も布もいらない。

魔力による分子レベルの研磨。


シュゥゥゥ……。


光が収束する。

テーブルの上には、ダイヤモンドよりも澄んだ、二つの指輪が輝いていた。

表面には、シャンデリアのカット技術を応用した、複雑な幾何学模様が刻まれている。

光を受けると、虹色に輝く。


「……で、できた」


私は額の汗を拭った。

所要時間、三分。

ギリギリだ。


「な、なんという……」


大公が、震える手で指輪を拾い上げた。


「美しい……。国宝の金指輪よりも、遥かに純度が高い……」


「即席ですが、サイズは合わせてあります」


私はクロード様に微笑んだ。


「でも、これは伝統の指輪ではない。……法に触れるぞ」


大公が我に返って言った。

まだ法律を気にしているのか、この古狸は。


「叔父様。法には何と?」


「『王家の指輪は、黄金にて不変の愛を象徴すべし』と……」


「では、解釈を変えましょう」


私は立ち上がり、扉の方を指差した。


「黄金は物質です。いつかは朽ちるかもしれません。ですが、これはクリスタル。……光を宿します」


私は屁理屈回路をフル回転させた。


「愛とは、物質的な重さではなく、光のように形なく、しかし世界を照らすもの。……新時代の王家に相応しいのは、黄金の重圧ではなく、光の輝きではありませんか?」


沈黙。

大公は指輪を見つめ、そして私を見つめた。

やがて、フッと力なく笑った。


「……口が減らん娘だ。……よかろう。その解釈、儀典長として承認する」


彼は指輪を小箱に収めた。


「犯人の処分は後だ。……行くぞ! 開式だ!」


          ◇


大聖堂の扉が開く。

パイプオルガンの荘厳な音色。

ステンドグラスから降り注ぐ光。


私たちは、長いバージンロードを歩き出した。


沿道には、各国の要人が並んでいる。

最前列には、東方帝国のヒルダ様がいた。

彼女は私のドレスを見て、親指を立ててニヤリと笑った。

『いい生地だ』と言っているのだろう。


祭壇の前。

大司教様が待っている。


長い、長い誓いの言葉。

そして、指輪の交換。


クロード様が、クリスタルの指輪を私の薬指に滑り込ませた。

光を受けて、指輪が虹色に輝く。

ステンドグラスの光と共鳴し、まるで指先に星が宿ったようだ。


どよめきが起こる。


『あれは……ダイヤモンドか?』

『いや、もっと透き通っている』

『なんて美しい……新しい流行になるぞ』


本来の黄金の指輪でないことなど、誰も気にしていない。

ただ、その圧倒的な美しさに魅入られている。


私も、クロード様の指に指輪を嵌めた。

彼の手が、私の手を優しく包み込む。


「……綺麗だ」


彼が小声で囁いた。


「君の魔法は、いつも世界を美しくするね」


「汚れを落としただけですよ」


私は照れ隠しに答えた。


「……愛している、エリアナ」


「私もです」


これで、最大の危機は去った。

あとは、この後の長すぎるスピーチと祝宴を乗り切るだけだ。


……と思っていたのだが。


祭壇の横で、大公が感極まった顔をしているのが見えた。

彼は巻物のように長い祝辞の原稿を握りしめている。

その厚さ、辞書並み。


時計を見る。

16時45分。

私の「定時」である17時まで、あと15分。


(……叔父様。その原稿、全部読む気ですか?)


あの量を読めば、1時間はかかる。

定時退社が危うい。

私の「初夜」が削られる。


私はクロード様に目配せをした。

(巻きます)

(了解した)

以心伝通だ。


「では、儀典長ヴァレリウス大公より、祝辞を……」


司会が告げると同時に、私は動いた。

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