第29話 儀式妨害!? 予期せぬトラブル
完璧な計画には、必ず落とし穴がある。
これはマーフィーの法則であり、私の前世からの経験則でもある。
王宮の大聖堂、新婦控え室。
窓からは、快晴の青空と、広場を埋め尽くす民衆の歓声が聞こえてくる。
「……仕上がりました、エリアナ様」
シルビアさんが、最後の一筆を私の唇に乗せた。
鏡の中には、純白のドレスをまとった私が映っている。
帝国製の天蚕シルクは、真珠のような光沢を放ち、2キロという軽さでありながら、重厚な威厳を醸し出していた。
「完璧です。……これなら、10時間の式典も耐えられます」
私は立ち上がり、軽く回ってみせた。
裾がふわりと舞う。
重くない。苦しくない。
これまでの苦労が報われた瞬間だ。
ガチャリ。
扉が開き、正装のクロード様と、ヴァレリウス大公が入ってきた。
「美しいよ、エリアナ」
クロード様が眩しそうな目を向けてくれる。
彼もまた、白と金を基調とした王族の正装が決まっている。
「ふん。……まあ、悪くない」
大公も、いつもの憎まれ口を叩きながらも、満足げに頷いた。
彼にとっても、今日の式は儀典長としての集大成だ。
帝国との同盟をアピールし、王家の威信を示す晴れ舞台。
ミスは許されない。
「時間だ。……『指輪』の確認をするぞ」
大公が、背後に控えていた儀典局の係官に合図をした。
係官は青ざめた顔で、震える手で小箱を差し出した。
パカッ。
箱が開く。
そこには、赤いベルベットのクッションが収まっていた。
……クッション「だけ」が。
「……おい」
大公の声が低くなった。
「指輪は、どうした」
係官が、その場に崩れ落ちた。
「も、申し訳ございませんっ! け、今朝確認した時にはあったのです! ですが、いざ箱を開けたら……!」
「馬鹿な! あれは国宝だぞ! 警備はどうなっていた!」
「わ、分かりません……! ただ、準備室に『伝統を汚す娘に、王家の指輪は渡さない』というメモが……!」
室内が凍りついた。
内部犯行。
儀典局の中に、まだ私を快く思わない保守派の狂信者が潜んでいたのだ。
私の「ドレス軽量化」や「馬車移動」を、伝統への冒涜だと捉えた誰かが、最後の最後で嫌がらせを仕掛けたらしい。
「おのれ……っ! 儂の顔に泥を塗る気か……!」
大公が激昂し、杖を振り上げた。
クロード様も顔を険しくさせる。
「今すぐ探せ! 犯人を捕らえろ!」
「ま、待ってくださいクロード様」
私は壁時計を見た。
開式まで、あと五分。
入場曲の演奏は既に始まっている。
「今から探しても間に合いません。予備の指輪は?」
「ない。あれは初代国王と王妃の指輪だ。……儀式において、あれ以外の指輪を使うことは法で禁じられている」
大公が頭を抱えた。
顔面蒼白だ。
指輪交換は式のクライマックス。
もしそこで指輪がなければ、式は中断し、王家は世界中の笑いものになる。
帝国のヒルダ様も来ているのだ。
「ルテティアは指輪の管理もできないのか」と呆れられるだろう。
「……延期するか?」
クロード様が苦渋の決断を口にする。
「駄目です」
私は即答した。
「延期すれば、それこそ犯人の思う壺です。それに……」
私はドレスの裾を握った。
「私、もう二度とこの準備期間をやり直すのは御免です。今日、この場で終わらせます」
「しかし、指輪がなければ……」
「あればいいのでしょう?」
私は部屋を見渡した。
高価な調度品。
花瓶。
そして、天井から吊り下げられた、豪華なシャンデリア。
その端に、予備として置かれていたクリスタルの飾り石があった。
拳大の、透明度の高い水晶だ。
「……あれを使います」
「は? あれはただの飾りだぞ?」
「素材としては十分です。……シルビアさん、あれを取ってください」
シルビアさんは一瞬驚いたが、すぐに椅子に登り、クリスタルを外して私に渡してくれた。
ずしりと重い。
混じり気のない、美しい水晶だ。
私はそれをテーブルに置き、深呼吸をした。
「クロード様、大公閣下。少し下がっていてください」
「エリアナ、何を……」
私は右手をかざした。
脳内でイメージを構築する。
これは「掃除」だ。
大きな石の塊から、「指輪ではない部分」を「汚れ」として除去する。
彫刻家が木の中に仏を見るように、私は水晶の中に二つの円環を見る。
「対象、水晶」
「分離指定、リング形状以外の全物質」
「作用、剥離および研磨」
「――《精密洗浄》!」
カッ!!
微細な魔力の閃光が走る。
私の指先が、レーザーカッターのように水晶の分子結合を断ち切っていく。
余分な欠片が砂となって崩れ落ちる。
残ったのは、二つの透明な輪。
さらに、表面に残った微細な凹凸を「汚れ」と認識して弾き飛ばす。
研磨剤も布もいらない。
魔力による分子レベルの研磨。
シュゥゥゥ……。
光が収束する。
テーブルの上には、ダイヤモンドよりも澄んだ、二つの指輪が輝いていた。
表面には、シャンデリアのカット技術を応用した、複雑な幾何学模様が刻まれている。
光を受けると、虹色に輝く。
「……で、できた」
私は額の汗を拭った。
所要時間、三分。
ギリギリだ。
「な、なんという……」
大公が、震える手で指輪を拾い上げた。
「美しい……。国宝の金指輪よりも、遥かに純度が高い……」
「即席ですが、サイズは合わせてあります」
私はクロード様に微笑んだ。
「でも、これは伝統の指輪ではない。……法に触れるぞ」
大公が我に返って言った。
まだ法律を気にしているのか、この古狸は。
「叔父様。法には何と?」
「『王家の指輪は、黄金にて不変の愛を象徴すべし』と……」
「では、解釈を変えましょう」
私は立ち上がり、扉の方を指差した。
「黄金は物質です。いつかは朽ちるかもしれません。ですが、これはクリスタル。……光を宿します」
私は屁理屈回路をフル回転させた。
「愛とは、物質的な重さではなく、光のように形なく、しかし世界を照らすもの。……新時代の王家に相応しいのは、黄金の重圧ではなく、光の輝きではありませんか?」
沈黙。
大公は指輪を見つめ、そして私を見つめた。
やがて、フッと力なく笑った。
「……口が減らん娘だ。……よかろう。その解釈、儀典長として承認する」
彼は指輪を小箱に収めた。
「犯人の処分は後だ。……行くぞ! 開式だ!」
◇
大聖堂の扉が開く。
パイプオルガンの荘厳な音色。
ステンドグラスから降り注ぐ光。
私たちは、長いバージンロードを歩き出した。
沿道には、各国の要人が並んでいる。
最前列には、東方帝国のヒルダ様がいた。
彼女は私のドレスを見て、親指を立ててニヤリと笑った。
『いい生地だ』と言っているのだろう。
祭壇の前。
大司教様が待っている。
長い、長い誓いの言葉。
そして、指輪の交換。
クロード様が、クリスタルの指輪を私の薬指に滑り込ませた。
光を受けて、指輪が虹色に輝く。
ステンドグラスの光と共鳴し、まるで指先に星が宿ったようだ。
どよめきが起こる。
『あれは……ダイヤモンドか?』
『いや、もっと透き通っている』
『なんて美しい……新しい流行になるぞ』
本来の黄金の指輪でないことなど、誰も気にしていない。
ただ、その圧倒的な美しさに魅入られている。
私も、クロード様の指に指輪を嵌めた。
彼の手が、私の手を優しく包み込む。
「……綺麗だ」
彼が小声で囁いた。
「君の魔法は、いつも世界を美しくするね」
「汚れを落としただけですよ」
私は照れ隠しに答えた。
「……愛している、エリアナ」
「私もです」
これで、最大の危機は去った。
あとは、この後の長すぎるスピーチと祝宴を乗り切るだけだ。
……と思っていたのだが。
祭壇の横で、大公が感極まった顔をしているのが見えた。
彼は巻物のように長い祝辞の原稿を握りしめている。
その厚さ、辞書並み。
時計を見る。
16時45分。
私の「定時」である17時まで、あと15分。
(……叔父様。その原稿、全部読む気ですか?)
あの量を読めば、1時間はかかる。
定時退社が危うい。
私の「初夜」が削られる。
私はクロード様に目配せをした。
(巻きます)
(了解した)
以心伝通だ。
「では、儀典長ヴァレリウス大公より、祝辞を……」
司会が告げると同時に、私は動いた。




