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婚約破棄された翌日、私は王宮の墓場に就職して定時退社を選んだ  作者: 九葉(くずは)
第3章

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第27話 最強の味方、それは「元」敵

完璧な鎧にも、継ぎ目はある。

どんなに強固な城壁でも、内側から崩せば脆いものだ。


地獄の王妃教育が始まって二週間。

折り返し地点を迎えた今日、図書室の空気は張り詰めていた。


「……明日正午、大公閣下が視察にいらっしゃいます」


シルビアさんが、手帳を見ながら告げた。

その声はいつも通り抑揚がなく、冷徹だ。


「中間報告です。貴女様の進捗状況、および『矯正すべき欠点』を閣下に報告する義務があります」


「欠点、ですか。……レポート用紙三枚くらいになりそうですね」


私は自虐的に笑った。

この二週間、私は彼女の課題をこなしてきたが、そのやり方は全て「省エネ」だ。

歩き方は能楽のようだし、カーテシーは筋肉を使わない。

伝統を重んじる大公から見れば、「ふざけている」と取られても仕方がない。


「……事実をありのままに報告するだけです」


シルビアさんは眼鏡の位置を直した。

その指先が、ほんのわずかに震えているのを、私は見逃さなかった。


彼女の顔色は悪い。

ファンデーションを厚く塗っているが、目の下のクマと、肌の荒れは隠しきれていない。

大公という絶対君主と、私という規格外の生徒。

その板挟みで、彼女のストレスは限界に達しているのだろう。


(……可哀想に)


中間管理職の悲哀だ。

前世の私と同じ。

上からの無茶振りと、下からの突き上げ。

放置すれば、彼女はいずれ壊れるか、あるいは私を道連れに自爆するかもしれない。


なら、手当てが必要だ。

敵を倒すのではなく、味方に引き入れるための手当てが。


「シルビアさん」


私は教科書を閉じた。


「視察の前に、少し『補習』をお願いできますか?」


「補習? どの科目でしょう」


「『美容』です。……今夜、図書室の鍵を閉めた後に」


私は悪戯っぽく微笑んだ。


「これは命令ではありません。……戦友としての、お誘いです」


          ◇


深夜の図書室。

静寂に包まれた空間に、二人の女性が向かい合って座っていた。


私と、シルビアさんだ。

ただし、普段のような教師と生徒という関係ではない。

私たちの顔には、白い仮面――現代でいう美容パックが貼り付いている。


「……エリアナ様。これは一体……」


「喋らないでください。仮面がずれます」


私はソファに深く沈み込み、ハーブティーを啜った。

照明は落とし、アロマキャンドルの炎だけが揺らめいている。


「これは『強制リセット』です。シルビアさん、貴女の肌は悲鳴を上げていましたよ」


「……お見苦しいところを」


「謝る必要はありません。誰かのために頑張りすぎて、自分が擦り切れてしまう。……よくあることです」


私は言った。

彼女は「氷の処刑人」と呼ばれているが、その実は、誰よりも責任感が強く、真面目な女性なのだ。

大公の理想を叶えるために、自分の感情を殺してマシーンになりきっている。


「でもね、シルビアさん。手入れされていない道具では、いい仕事はできません」


私は自分の頬をぺちぺちと叩いた。


「貴女は『完璧』を目指しすぎています。100点を取り続けるのは不可能です。時には60点で妥協して、残りの40点を明日のために温存する。……それが、長く戦い抜くコツですよ」


「……60点」


彼女がポツリと繰り返した。


「そんな不完全な仕事、許されるはずが……」


「私が許します。だって、私が目指しているのは『完璧な王妃』ではなく、『幸せな王弟妃』ですから」


私はニッと笑った。


「私が幸せなら、貴女の教育は100点満点です。……違いますか?」


シルビアさんは沈黙した。

キャンドルの光の中で、彼女の鉄仮面が溶けていく気配がした。


「……貴女様は、狡い方ですね」


しばらくして、彼女が震える声で言った。


「怠惰で、わがままで、口が達者で。……なのに、なぜか憎めない」


「最高の褒め言葉です」


「……このパック、冷たくて気持ちいいです」


「でしょう? 帝国製の高級品です。余っていますから、持って帰ってください」


「……頂きます」


彼女は小さく笑った。

それは、初めて見せる素の笑顔だった。

肩の力が抜け、ただの一人の女性に戻った瞬間。


私たちはその夜、マナーの話も、大公の話もしなかった。

ただ、お茶を飲み、ぼんやりと炎を眺めた。

言葉はいらない。

同じ激務を戦う同志としての連帯感が、そこに生まれていた。


          ◇


翌日の正午。

ヴァレリウス大公が、約束通り図書室に現れた。


「……さて、シルビアよ」


大公はソファに座り、鋭い視線を侍女長に向けた。


「報告を聞こう。この娘の教育は順調か? 矯正すべき欠点、王族として相応しくない振る舞い……洗いざらい申してみよ」


大公の狙いは明白だ。

ここで私の欠点を列挙させ、さらに厳しい教育を追加するか、あるいは私の心を折ること。


私は隣で黙って立っていた。

背筋は「骨格スタッキング」で伸ばしている。

視線はシルビアさんに向けない。

彼女がどう報告するか、それは彼女の選択だ。


シルビアさんは一歩進み出た。

その肌は、昨夜の仮面のおかげで艶やかだ。

表情はいつものポーカーフェイスだが、その瞳には迷いがない。


「ご報告いたします、閣下」


彼女の声が凛と響く。


「エリアナ様の進捗状況ですが……『極めて順調』でございます」


「ほう?」


大公が片眉を上げた。


「欠点はないと言うのか? あの歩き方、あの力の抜けた所作。あれを是とするのか?」


「はい。是といたします」


シルビアさんは断言した。


「エリアナ様の所作は、一見すると怠惰に見えます。しかし、それは無駄を極限まで削ぎ落とした『洗練』の極みでございます」


彼女は私の方を手のひらで示した。


「最小限の動きで、最大限の効果を生む。……これは、古き良き伝統をただ守るだけでなく、新時代の解釈を加えて『進化』させた姿と言えましょう」


「……進化、だと?」


「はい。歴代の王妃様方が苦労された所作を、エリアナ様は軽々とこなされます。それは、彼女が『ことわり』を理解しているからです」


シルビアさんは眼鏡を直した。

そのレンズの奥が、キラリと光る。


「私は教育係として断言します。……エリアナ様こそ、これからの王家に必要な『強さ』を持った女性です。これ以上の矯正は不要かと」


嘘ではない。

でも、完全な真実でもない。

彼女は私の「サボり」を、「進化」という美しい言葉でラッピングしてくれたのだ。

最強の擁護だ。

鬼軍曹が「こいつは完璧だ」と言えば、誰も文句は言えない。


大公は呆気にとられた顔をしていた。

信頼していた腹心からの、まさかの高評価。


「……シルビア。お前がそこまで言うとはな」


大公は私を見た。


「お前、何をした? シルビアを買収でもしたか?」


「まさか。私はただ、真面目に授業を受けていただけですよ?」


私は澄ました顔で答えた。

パックで買収したとは口が裂けても言えない。


大公はしばらく私たち二人を交互に見つめ、やがてフンと鼻を鳴らした。


「……よかろう」


彼は杖をついて立ち上がった。


「『氷の処刑人』が合格点を出したのだ。儂がとやかく言うことではない。……教育期間は残り半分あるが、今の調子で励め」


「はい、叔父様」


「ただし!」


大公は釘を刺した。


「来週の『予行演習』は甘くないぞ。……あの山道を、本当に馬車で登り切れると思っているのか?」


「ご期待ください。完璧な『清浄』をお見せします」


大公はニヤリと笑い、去っていった。

どうやら、報告を受け入れたようだ。

あるいは、彼もまた、シルビアさんの変化(肌艶の良さと、憑き物が落ちたような雰囲気)を感じ取り、安堵したのかもしれない。


扉が閉まる。

緊張が解ける。


「……ありがとうございました、シルビアさん」


「礼には及びません」


シルビアさんは振り返り、小さくウィンクした。

鉄仮面の彼女が、ウィンクを。

衝撃映像である。


「私は事実を述べたまでです。……それに、貴女様が失格になれば、私のパックの補給が絶たれますから」


「ふふっ。在庫なら一生分ありますよ」


私たちは笑い合った。

もう、教師と生徒ではない。

私たちは共犯者であり、最強のパートナーだ。


これで、内側の憂いはなくなった。

私の身だしなみとマナーは、シルビアさんという鉄壁の盾によって守られる。


あとは、外側の敵。

そう、物理的な「聖地巡礼」の山道だ。


10キロの悪路。

泥と埃。

それを「清浄な乗り物」で突破する。


私は机の引き出しから、クロード様と共同開発した「改造馬車」の設計図を取り出した。


「さて、仕上げといきましょうか」


最強の侍女を手に入れた私は、もはや無敵だ。

待っていろ、聖地。

タイヤの跡ひとつ残さず、優雅に制圧してやる。

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