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婚約破棄された翌日、私は王宮の墓場に就職して定時退社を選んだ  作者: 九葉(くずは)
第3章

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第26話 お茶会という名の公開処刑

戦場には、様々な形がある。

剣と魔法が飛び交う戦場。

書類と印鑑が舞う戦場。

そして今、私が立たされているのは、「扇と微笑み」が凶器となる戦場だ。


王宮内にある白亜のサロン。

シャンデリアが煌めき、高価な磁器が触れ合う音が響く。

空気は甘い香水の匂いで満たされているが、その実態は毒ガスに近い。


「……あら、エリアナ様。よくいらっしゃいましたわ」


上座に座る恰幅の良い老婦人が、扇で口元を隠しながら言った。

グレモリー公爵夫人。

保守派貴族の筆頭であり、社交界の女帝と呼ばれる人物だ。

彼女の周囲には、同じような雰囲気の貴婦人たちが10人ほど、獲物を狙うハイエナのような目で私を取り囲んでいる。


「お招きいただき、光栄です。グレモリー様」


私は完璧な淑女の礼で応えた。

シルビアさんのスパルタ教育の成果だ。

背筋は伸び、膝の角度も計算され尽くしている。


「ふふっ。王弟殿下の婚約者として、少しはマナーを学ばれたようですわね。……以前は『氷の宰相』をたぶらかした田舎娘、と聞いておりましたけれど」


先制パンチだ。

挨拶に嫌味を混ぜるのは、この世界の社交界における基本スキルらしい。


私はニッコリと微笑んだ。


「ええ。未熟者ですので、叔父様のご配慮で教育を受けております。……今日は皆様から、古き良き『伝統』をご教授いただけると伺い、楽しみにしておりました」


「あら、殊勝な心がけですこと」


グレモリー夫人が目を細めた。

その目は笑っていない。

『ここがお前の処刑台よ』と言っている。


「では、座りなさいな。……お茶をいただきましょう」


          ◇


お茶会が始まった。

テーブルには色とりどりのケーキやサンドイッチが並んでいる。

特に、中央にあるイチゴのタルトは絶品に見える。

食べたい。

だが、フォークに手を伸ばそうとした瞬間、鋭い声が飛んだ。


「エリアナ様」


グレモリー夫人の扇が、私の手元を指した。


「扇の角度が、なっておりませんわ」


「……はい?」


「貴族の令嬢たるもの、扇は胸元から45度の角度で保つもの。……貴女のそれは、30度ほどしかありません。だらしなく見えますわよ?」


周囲の夫人たちが「クスッ」と笑う。

なるほど。

こうやって些細な動作を指摘し、精神を削っていく作戦か。


私は扇を持ち直さず、静かに口を開いた。


「45度、ですか。……それは、いつ頃からの『伝統』でしょうか?」


「いつ頃、ですって? 決まっておりますわ。50年前、華やかかりし頃の社交界で定着した、由緒ある作法です」


夫人は胸を張った。


私は記憶の引き出しを開けた。

図書室で読んだ『王宮服飾史』と『社交界ゴシップ年鑑』の知識を検索する。


「ああ、なるほど。……第12代国王の愛人、マダム・ポンパドゥールが流行らせたスタイルですね」


「……え?」


夫人の動きが止まった。


「当時、胸元が大きく開いたドレスが流行しており、それを隠しつつ、かつ男性の視線を誘導するために、四五度という角度が考案されたと記録にあります。……いわば、『誘惑』のための角度ですね」


私は小首を傾げた。


「対して、三〇度というのは、建国当初から続く『貞淑』を表す角度です。未婚の女性が身を守るための、神聖な結界の意味も持ちます。……王弟殿下の婚約者である私が、愛人の作法を真似て殿方を誘惑するのは、いささか不適切かと思いまして」


静まり返るサロン。

夫人たちの顔から、サーッと血の気が引いていく。

彼女たちは「伝統」だと信じていたマナーが、実は「愛人の誘惑テクニック」だったと知らされたのだ。

プライドの高い保守派にとって、これ以上の屈辱はない。


「そ、そう……でしたの? わ、私はただ、母からそう教わって……」


グレモリー夫人が狼狽える。


「ええ、無理もありません。流行というのは、時として伝統のように誤解されて定着するものですから」


私は優しくフォローを入れた。

逃げ道を作ってあげるのも、勝者の余裕だ。

(イチゴタルトを食べるための時間短縮でもある)


「……っ、で、では、紅茶のいただき方はどうかしら!」


別の夫人が、反撃とばかりに声を上げた。


「エリアナ様、カップの持ち手が逆ですわ! 指を揃えて、小指を立てるのがエレガントですのよ!」


「小指、ですか」


私は自分の手元を見た。

しっかりと指を揃え、小指は立てずにカップを支えている。


「その『小指を立てる』作法は、確か七〇年前に輸入された、異国の商人たちの流行ですね」


私は再び解説モードに入った。


「当時、指輪を見せびらかすために、わざと小指を立てて飲むのが成金たちの間で流行りました。……ですが、我が国の騎士道精神に基づけば、指は『剣を握るように』しっかりと揃え、隙を見せないのが礼儀です」


私はニッコリと笑った。


「ここは王宮です。商人の流行よりも、騎士国の伝統を重んじるべきかと存じますが……いかがでしょう?」


撃沈。

二人目の夫人が扇で顔を覆って黙り込んだ。


そこからは、私の一人舞台だった。


「スコーンの割り方ですか? ナイフを使うのは『農具』を連想させるため、本来は手で割るのが貴族の作法ですよ」

「そのカーテシーの深さは、喪に服す時のものです。祝賀の場では不吉ですね」

「ナプキンの畳み方が……」


次々と飛んでくる指摘を、私はすべて「歴史的根拠(出典付き)」で打ち返した。

図書室に引きこもって本ばかり読んでいた私の知識量は、彼女たちの比ではない。

彼女たちの「伝統」は、せいぜいここ一〇〇年の流行り廃りに過ぎない。

対して、私の知識は三〇〇年前の「原典」だ。

格が違う。


一五分後。

サロンは、お通夜のような静けさに包まれていた。

夫人たちは誰一人として、私と目を合わせようとしない。

扇を持つ手が震えている。


私はようやく、イチゴタルトにフォークを入れた。

サクッ。

甘酸っぱい香りが広がる。


「……皆様。伝統とは、形を守ることだけではありません」


私はタルトを口に運びながら言った。


「その作法が『なぜ』生まれたのか。その歴史と心を知ることこそが、真の教養ではないでしょうか?」


「……っ!」


グレモリー夫人が、ハッとしたように顔を上げた。

悔しさではない。

その瞳に宿っていたのは、ある種の「感動」だった。


「……歴史と、心……」


彼女は震える声で繰り返した。

そして、ゆっくりと扇を閉じた。


「参りましたわ、エリアナ様」


「え?」


「わたくしたちは、形ばかりに囚われておりました。……貴女様こそ、真の『伝統の守り人』ですわ」


彼女は席を立ち、私に向かって深々と頭を下げた。

いびりが終わったと思ったら、今度は崇拝が始まったらしい。


「エリアナ様! ぜひ、来週のサロンで講義をお願いできませんか!」

「わたくしの娘にも、その『真のマナー』をご教授いただきたいですわ!」

「参考文献のリストを頂けなくて!?」


夫人たちが一斉に群がってきた。

目が怖い。

ハイエナから、餌を求める雛鳥の目に変わっている。


「あ、あの……私、忙しくて……」


「まあ! 王妃教育でお忙しいのですわね。……ならば、わたくしたちが全力でバックアップいたしますわ!」


グレモリー夫人が胸を叩いた。


「大公閣下にも、わたくしから申し上げておきます。『エリアナ様は素晴らしい』と。……これからの社交界のリーダーは、貴女様ですわ!」


「えええ……」


面倒なことになった。

私はただ、静かにタルトを食べたかっただけなのに。

どうして私の周りには、こうも熱量が高い人たちが集まってくるのだろう。


          ◇


その様子を、マジックミラー越しの隣室で見ている男がいた。

ヴァレリウス大公だ。


彼はワイングラスを揺らしながら、満足げに口角を上げた。


「……やりおる」


彼は呟いた。


「あのグレモリー公爵夫人(うるさ型)を、知識と度胸だけで手懐けるとはな。……ただの怠け者かと思っていたが、どうやら化け物の類らしい」


大公は、エリアナを試すつもりだった。

古い因習や理不尽なマナーを押し付けられた時、彼女がどう反応するか。

泣いて逃げ出すか、クロードに泣きつくか。

それならば、王妃の器ではないと判断して切り捨てるつもりだった。


だが、彼女は違った。

理不尽を「知識」という剣で切り裂き、逆に相手を心服させた。

それも、相手の顔を立てつつ、優雅に。


「……いいだろう」


大公はグラスを飲み干した。


「認めてやろう。あれならば、この国の古臭い因習を、中から食い破れるかもしれん」


彼は立ち上がり、杖をついた。


「だが、まだ終わりではないぞ。……知識だけでは、王妃は務まらん。次は『人心』の掌握だ」


          ◇


茶会が終わり、図書室に戻った私は、ソファにぐったりと倒れ込んだ。


「……疲れました」


「お疲れ様でした、エリアナ様」


シルビアさんが、温かいお茶を出してくれた。

香ばしい匂い。

どくだみ茶だ。


「……シルビアさん。貴女、知っていたでしょう? あの茶会がどうなるか」


「まさか。……ですが、貴女様なら『つまらない』と一蹴なさるかと思っておりました」


彼女の鉄仮面が、ほんの少しだけ緩んでいるように見えた。


「大公閣下も、ご満足されたようです。……教育期間も残り半分。ここからが正念場ですよ」


「まだ半分ですか……」


私は遠い目をした。

社交界のボスたちは手懐けた。

ドレスの軽量化も成功した。

移動手段の理論武装も完了した。


だが、私の最大の敵は、まだ身近にいる。

そう、目の前のシルビアさんだ。

彼女を完全に味方に引き入れない限り、私の「楽な結婚式」は完成しない。


私はカップを握りしめた。

次は、この鉄の侍女を陥落させる番だ。

彼女もまた、大公という組織の歯車として疲弊しているはず。

そこを突く。


「……シルビアさん。今夜、少しお時間いただけますか?」


「教育の時間外ですが?」


「ええ。……『補習』ではなく、『女子会』のお誘いです」


私はニヤリと笑った。

懐から取り出したのは、ヒルダ様から追加で送られてきた、帝国製の最高級美容パック。


これが、私の次なる武器だ。

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― 新着の感想 ―
ここまでくると、逆に王太子は期待されてなさすぎるだろwwって 叔父といい兄といいクロードに期待しすぎだし、王太子は廃嫡間近なんでは?婚約者とかすら認識外なら結構前から廃嫡路線だったんだろうな。王太子母…
知識でなぎ倒すヒロイン大好きです!いいぞもっとやれってなります そもそも長く王太子妃となるべく教育指導されてきたのに全てが今さらですよね でも王妃ってことはクロード様が次の王様で確定なの?(記述あるの…
王太子妃教育の時は大公は出てこなかったんだろうか?
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