第26話 お茶会という名の公開処刑
戦場には、様々な形がある。
剣と魔法が飛び交う戦場。
書類と印鑑が舞う戦場。
そして今、私が立たされているのは、「扇と微笑み」が凶器となる戦場だ。
王宮内にある白亜のサロン。
シャンデリアが煌めき、高価な磁器が触れ合う音が響く。
空気は甘い香水の匂いで満たされているが、その実態は毒ガスに近い。
「……あら、エリアナ様。よくいらっしゃいましたわ」
上座に座る恰幅の良い老婦人が、扇で口元を隠しながら言った。
グレモリー公爵夫人。
保守派貴族の筆頭であり、社交界の女帝と呼ばれる人物だ。
彼女の周囲には、同じような雰囲気の貴婦人たちが10人ほど、獲物を狙うハイエナのような目で私を取り囲んでいる。
「お招きいただき、光栄です。グレモリー様」
私は完璧な淑女の礼で応えた。
シルビアさんのスパルタ教育の成果だ。
背筋は伸び、膝の角度も計算され尽くしている。
「ふふっ。王弟殿下の婚約者として、少しはマナーを学ばれたようですわね。……以前は『氷の宰相』をたぶらかした田舎娘、と聞いておりましたけれど」
先制パンチだ。
挨拶に嫌味を混ぜるのは、この世界の社交界における基本スキルらしい。
私はニッコリと微笑んだ。
「ええ。未熟者ですので、叔父様のご配慮で教育を受けております。……今日は皆様から、古き良き『伝統』をご教授いただけると伺い、楽しみにしておりました」
「あら、殊勝な心がけですこと」
グレモリー夫人が目を細めた。
その目は笑っていない。
『ここがお前の処刑台よ』と言っている。
「では、座りなさいな。……お茶をいただきましょう」
◇
お茶会が始まった。
テーブルには色とりどりのケーキやサンドイッチが並んでいる。
特に、中央にあるイチゴのタルトは絶品に見える。
食べたい。
だが、フォークに手を伸ばそうとした瞬間、鋭い声が飛んだ。
「エリアナ様」
グレモリー夫人の扇が、私の手元を指した。
「扇の角度が、なっておりませんわ」
「……はい?」
「貴族の令嬢たるもの、扇は胸元から45度の角度で保つもの。……貴女のそれは、30度ほどしかありません。だらしなく見えますわよ?」
周囲の夫人たちが「クスッ」と笑う。
なるほど。
こうやって些細な動作を指摘し、精神を削っていく作戦か。
私は扇を持ち直さず、静かに口を開いた。
「45度、ですか。……それは、いつ頃からの『伝統』でしょうか?」
「いつ頃、ですって? 決まっておりますわ。50年前、華やかかりし頃の社交界で定着した、由緒ある作法です」
夫人は胸を張った。
私は記憶の引き出しを開けた。
図書室で読んだ『王宮服飾史』と『社交界ゴシップ年鑑』の知識を検索する。
「ああ、なるほど。……第12代国王の愛人、マダム・ポンパドゥールが流行らせたスタイルですね」
「……え?」
夫人の動きが止まった。
「当時、胸元が大きく開いたドレスが流行しており、それを隠しつつ、かつ男性の視線を誘導するために、四五度という角度が考案されたと記録にあります。……いわば、『誘惑』のための角度ですね」
私は小首を傾げた。
「対して、三〇度というのは、建国当初から続く『貞淑』を表す角度です。未婚の女性が身を守るための、神聖な結界の意味も持ちます。……王弟殿下の婚約者である私が、愛人の作法を真似て殿方を誘惑するのは、いささか不適切かと思いまして」
静まり返るサロン。
夫人たちの顔から、サーッと血の気が引いていく。
彼女たちは「伝統」だと信じていたマナーが、実は「愛人の誘惑テクニック」だったと知らされたのだ。
プライドの高い保守派にとって、これ以上の屈辱はない。
「そ、そう……でしたの? わ、私はただ、母からそう教わって……」
グレモリー夫人が狼狽える。
「ええ、無理もありません。流行というのは、時として伝統のように誤解されて定着するものですから」
私は優しくフォローを入れた。
逃げ道を作ってあげるのも、勝者の余裕だ。
(イチゴタルトを食べるための時間短縮でもある)
「……っ、で、では、紅茶のいただき方はどうかしら!」
別の夫人が、反撃とばかりに声を上げた。
「エリアナ様、カップの持ち手が逆ですわ! 指を揃えて、小指を立てるのがエレガントですのよ!」
「小指、ですか」
私は自分の手元を見た。
しっかりと指を揃え、小指は立てずにカップを支えている。
「その『小指を立てる』作法は、確か七〇年前に輸入された、異国の商人たちの流行ですね」
私は再び解説モードに入った。
「当時、指輪を見せびらかすために、わざと小指を立てて飲むのが成金たちの間で流行りました。……ですが、我が国の騎士道精神に基づけば、指は『剣を握るように』しっかりと揃え、隙を見せないのが礼儀です」
私はニッコリと笑った。
「ここは王宮です。商人の流行よりも、騎士国の伝統を重んじるべきかと存じますが……いかがでしょう?」
撃沈。
二人目の夫人が扇で顔を覆って黙り込んだ。
そこからは、私の一人舞台だった。
「スコーンの割り方ですか? ナイフを使うのは『農具』を連想させるため、本来は手で割るのが貴族の作法ですよ」
「そのカーテシーの深さは、喪に服す時のものです。祝賀の場では不吉ですね」
「ナプキンの畳み方が……」
次々と飛んでくる指摘を、私はすべて「歴史的根拠(出典付き)」で打ち返した。
図書室に引きこもって本ばかり読んでいた私の知識量は、彼女たちの比ではない。
彼女たちの「伝統」は、せいぜいここ一〇〇年の流行り廃りに過ぎない。
対して、私の知識は三〇〇年前の「原典」だ。
格が違う。
一五分後。
サロンは、お通夜のような静けさに包まれていた。
夫人たちは誰一人として、私と目を合わせようとしない。
扇を持つ手が震えている。
私はようやく、イチゴタルトにフォークを入れた。
サクッ。
甘酸っぱい香りが広がる。
「……皆様。伝統とは、形を守ることだけではありません」
私はタルトを口に運びながら言った。
「その作法が『なぜ』生まれたのか。その歴史と心を知ることこそが、真の教養ではないでしょうか?」
「……っ!」
グレモリー夫人が、ハッとしたように顔を上げた。
悔しさではない。
その瞳に宿っていたのは、ある種の「感動」だった。
「……歴史と、心……」
彼女は震える声で繰り返した。
そして、ゆっくりと扇を閉じた。
「参りましたわ、エリアナ様」
「え?」
「わたくしたちは、形ばかりに囚われておりました。……貴女様こそ、真の『伝統の守り人』ですわ」
彼女は席を立ち、私に向かって深々と頭を下げた。
いびりが終わったと思ったら、今度は崇拝が始まったらしい。
「エリアナ様! ぜひ、来週のサロンで講義をお願いできませんか!」
「わたくしの娘にも、その『真のマナー』をご教授いただきたいですわ!」
「参考文献のリストを頂けなくて!?」
夫人たちが一斉に群がってきた。
目が怖い。
ハイエナから、餌を求める雛鳥の目に変わっている。
「あ、あの……私、忙しくて……」
「まあ! 王妃教育でお忙しいのですわね。……ならば、わたくしたちが全力でバックアップいたしますわ!」
グレモリー夫人が胸を叩いた。
「大公閣下にも、わたくしから申し上げておきます。『エリアナ様は素晴らしい』と。……これからの社交界のリーダーは、貴女様ですわ!」
「えええ……」
面倒なことになった。
私はただ、静かにタルトを食べたかっただけなのに。
どうして私の周りには、こうも熱量が高い人たちが集まってくるのだろう。
◇
その様子を、マジックミラー越しの隣室で見ている男がいた。
ヴァレリウス大公だ。
彼はワイングラスを揺らしながら、満足げに口角を上げた。
「……やりおる」
彼は呟いた。
「あのグレモリー公爵夫人(うるさ型)を、知識と度胸だけで手懐けるとはな。……ただの怠け者かと思っていたが、どうやら化け物の類らしい」
大公は、エリアナを試すつもりだった。
古い因習や理不尽なマナーを押し付けられた時、彼女がどう反応するか。
泣いて逃げ出すか、クロードに泣きつくか。
それならば、王妃の器ではないと判断して切り捨てるつもりだった。
だが、彼女は違った。
理不尽を「知識」という剣で切り裂き、逆に相手を心服させた。
それも、相手の顔を立てつつ、優雅に。
「……いいだろう」
大公はグラスを飲み干した。
「認めてやろう。あれならば、この国の古臭い因習を、中から食い破れるかもしれん」
彼は立ち上がり、杖をついた。
「だが、まだ終わりではないぞ。……知識だけでは、王妃は務まらん。次は『人心』の掌握だ」
◇
茶会が終わり、図書室に戻った私は、ソファにぐったりと倒れ込んだ。
「……疲れました」
「お疲れ様でした、エリアナ様」
シルビアさんが、温かいお茶を出してくれた。
香ばしい匂い。
どくだみ茶だ。
「……シルビアさん。貴女、知っていたでしょう? あの茶会がどうなるか」
「まさか。……ですが、貴女様なら『つまらない』と一蹴なさるかと思っておりました」
彼女の鉄仮面が、ほんの少しだけ緩んでいるように見えた。
「大公閣下も、ご満足されたようです。……教育期間も残り半分。ここからが正念場ですよ」
「まだ半分ですか……」
私は遠い目をした。
社交界のボスたちは手懐けた。
ドレスの軽量化も成功した。
移動手段の理論武装も完了した。
だが、私の最大の敵は、まだ身近にいる。
そう、目の前のシルビアさんだ。
彼女を完全に味方に引き入れない限り、私の「楽な結婚式」は完成しない。
私はカップを握りしめた。
次は、この鉄の侍女を陥落させる番だ。
彼女もまた、大公という組織の歯車として疲弊しているはず。
そこを突く。
「……シルビアさん。今夜、少しお時間いただけますか?」
「教育の時間外ですが?」
「ええ。……『補習』ではなく、『女子会』のお誘いです」
私はニヤリと笑った。
懐から取り出したのは、ヒルダ様から追加で送られてきた、帝国製の最高級美容パック。
これが、私の次なる武器だ。




