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婚約破棄された翌日、私は王宮の墓場に就職して定時退社を選んだ  作者: 九葉(くずは)
第3章

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第25話 図書室の古文書が火を噴く時

歴史とは、勝者が作るものではない。

記録した者が作るのだ。

そして、その記録を「どう読むか」は、後世の読者に委ねられている。


私は今、薄暗い地下への階段を降りていた。


場所は第二図書室の最奥。

重厚な鉄扉の向こう側、「開かずの書庫」と呼ばれるエリアだ。

普段は立ち入らない場所だが、非常事態には非常手段で対抗するしかない。


カツ、カツ、カツ。


足音が反響する。

空気は乾燥しており、カビと古いインクの匂いが混じり合っている。

ここには、建国以来300年分の「忘れ去られた記録」が眠っている。


「……さて、宝探しと行きましょうか」


私は魔導ランプを掲げた。

オレンジ色の光が、天井まで届く本棚を照らし出す。

そこにあるのは、本というよりは、崩れかけた紙の束だ。


私の敵は、ヴァレリウス大公。

そして彼が盾にする「伝統」という名の怪物だ。


彼曰く、『聖地への行進は徒歩で行うべし』。

それが王家の習わしであり、変えられない鉄則だと。


だが、私は疑っていた。

本当に?

300年前の建国当初から、花嫁に10キロも歩かせるような体育会系の国だったのか?

もしそうなら、この国はとっくに滅んでいるのではないか。

王族の花嫁なんて、大抵は深窓の令嬢で体力がないはずだ。


「……判例集は、大公閣下が管理しているはず」


直近100年ほどの記録は、あちらの手にある。

きっと、「徒歩で完遂した王妃たちの美談」ばかりが集められているだろう。

そちらで勝負しても勝ち目はない。


だから、私は時間を遡る。

「伝統」の起源。

最初の王が決めた、原典を探すのだ。


「《洗浄クリーン》」


私は指先から微弱な魔力を放った。

触れるだけで崩れそうな羊皮紙の束。

その表面についた酸化した脂や、紙魚シミの食害痕だけを慎重に取り除く。

私の魔法は、もはや修復師の領域に達している。


『第一棚:農地法』……違う。

『第二棚:税法』……これも違う。

『第三棚:王家儀典法・初期草案』。


「……ビンゴ」


私は分厚い革張りの書物を引き抜いた。

ずしりと重い。

表紙には、建国の王の紋章が刻印されている。


私は慎重にページをめくった。

古語で書かれた文字が並ぶ。

解読は困難だが、第二図書室の管理人を舐めないでほしい。

暇な時に古文書を読み漁っていた経験が、ここで生きる。


ページを繰る。

100ページ。

200ページ。


あった。

『第七章:婚礼の儀』。


私は目を皿のようにして文字を追った。


『花嫁は、国の母となる者なり』

『その身は清浄にして、地上の穢れに触れるべからず』


ふむふむ。

ここまではいい。

問題は次だ。移動手段についての記述。


『聖地への道のりは険し』

『故に、花嫁は……』


私の指が止まった。

心臓が高鳴る。

そこに書かれていた単語は、『徒歩』ではなかった。


『花嫁は、“清浄なる乗り物”にて向かうべし』


「……勝った」


私は思わずガッツポーズをした。

乗り物。

はっきりとそう書いてある。

馬車か、あるいは輿こしか。

少なくとも、自分の足で歩けとは書いていない。


さらに読み進める。


『花嫁の足は、聖地の祭壇に立つまで、土に触れさせてはならぬ』

『汗と泥は、神への冒涜なり』


なんと素晴らしい記述だろうか。

建国の王は、非常に合理的で、衛生観念のしっかりした方だったらしい。

汗と泥は冒涜。

つまり、10キロ歩いて汗だくになり、靴を汚して聖地に入る現在のやり方こそが、本来の伝統に反しているということだ。


「……なるほどね」


私は推測した。

おそらく、歴史のどこかで「歩くのが好きな王妃」か「馬車酔いの激しい王妃」がいて、徒歩を選んだのだろう。

それがいつの間にか美談になり、「苦労して歩くことこそ尊い」という精神論にすり替わったのだ。

伝統とは、得てしてそういうものだ。


「……エリアナ様?」


背後から声がした。

振り返ると、シルビアさんがカンテラを持って立っていた。

いつも冷静な彼女が、少し息を切らせている。


「探しましたよ。……まさか、こんなところにいらっしゃるとは」


「ごめんなさい。調べ物をしていたもので」


私は本を閉じた。

パタン、という音が心地よく響く。


「逃げ出したのかと思いました」


「まさか。……勝つための武器を探していただけです」


私はニヤリと笑った。

シルビアさんが怪訝な顔をする。

彼女にはまだ、私が手に入れた「武器」の正体は分からないだろう。


「シルビアさん。大公閣下は?」


「執務室にいらっしゃいます。……午後のお茶の時間です」


「ちょうどいいですね。歴史の講義をして差し上げましょう」


私は重い古文書を抱え、立ち上がった。

ドレスの裾が埃で少し汚れてしまったが、気にならない。

この汚れは、勝利への勲章だ。


          ◇


王宮、儀典長執務室。

ヴァレリウス大公は、優雅に紅茶を楽しんでいた。


「……そろそろ、あの娘も音を上げる頃か」


彼は窓の外を見ながら呟いた。

ドレスの軽量化は認めたが、徒歩行進だけは譲れない。

あれこそが、王家に嫁ぐ覚悟を試す最大の試練なのだから。


コンコン。

ノックの音。


「入れ」


入ってきたのは、エリアナだった。

ドレスが少し薄汚れている。

そして、その腕には古びた本が抱えられていた。


「……なんの用だ。修行はどうした」


「修行の一環です、叔父様」


私は愛想よく微笑んだ。

そして、ドサリと本を机の上に置いた。

カップの中の紅茶が波打ち、大公が眉をひそめる。


「なんだ、この汚い本は」


「建国当初の『王家儀典法』の原典です。……叔父様、私、重大な発見をしてしまいました」


「発見?」


「はい。私たちが予定している『徒歩での行進』ですが……どうやら、建国の祖の教えに背く『不敬』にあたるようなのです」


「……何だと?」


大公の目が険しくなった。

伝統を守る彼にとって、「祖への不敬」という言葉は聞き捨てならないはずだ。


私は該当ページを開いた。

そして、指で文字をなぞりながら読み上げた。


『花嫁の足は、土に触れるべからず』

『汗と泥は、神への冒涜なり』

『故に、“清浄なる乗り物”にて向かうべし』


大公が前のめりになった。

片眼鏡の位置を直し、古語の文字を食い入るように見つめる。


「……こ、これは……」


「書いてありますよね? 『乗り物』と。そして『汗と泥は冒涜』だと」


私は畳み掛けた。


「叔父様。今のやり方は、いつから始まったのですか? 100年前? 200年前? ……いずれにせよ、300年前の『真の伝統』よりも新しい改変ですよね?」


「……ぐっ」


「私は、建国の王の意志を尊重したいのです。汗だくで泥まみれの花嫁を神前に立たせるなんて、野蛮な真似はしたくありません。……もっとも古く、もっとも神聖なやり方に戻すべきではありませんか?」


論理的チェックメイトだ。

「伝統」を武器にするなら、より古い伝統を出されたら反論できない。

古ければ古いほど偉い。

それがこの世界のルールなのだから。


大公はしばらく沈黙した。

古文書と、私の顔を交互に見る。

その表情は、苦虫を噛み潰したようでもあり、同時に……どこか楽しげでもあった。


「……やりおったな」


彼がポツリと呟いた。


「儂の知識の穴を突いてくるとは。……開かずの書庫か」


「はい。埃っぽかったです」


「……ふん。よかろう」


大公は本を閉じた。


「貴様の言い分には一理ある。……いや、原典にある以上、それが正義だ。徒歩行進は取りやめる」


「ありがとうございます!」


心の中でファンファーレが鳴り響く。

やった。

10キロのマラソン回避だ。


「ただし!」


大公の声が再び厳しくなった。


「『清浄なる乗り物』とあるな。……ただの馬車では認めんぞ。神前に乗り入れるに相応しい、一点の曇りもない『清浄さ』を証明せねばならん」


「……え?」


「泥ハネ一つ、埃一つ許さん。もし道中で少しでも汚れたら……その時点で婚約は破棄だ。」


彼はニヤリと笑った。

意地悪だ。

外を走る馬車が汚れないわけがない。

舗装されていない聖地への山道など、泥だらけになるに決まっている。


「……受けて立ちます」


私は不敵に微笑み返した。

汚れ?

埃?

私を誰だと思っているのですか。

洗浄クリーン」のエキスパートですよ。


「最高に『清浄』な馬車をご用意してみせます。……汚れ一つ存在しないレベルで」


こうして、移動手段を巡る戦いは、新たな局面を迎えた。

次は、馬車の改造だ。

帝国から取り寄せた最新式サスペンション付きの馬車を、私の魔法で清浄に変えてやる。


……だが、その前に。

大公はまだ諦めていなかった。

物理攻撃が通じないなら、精神攻撃で潰してやろうと。


翌日。

私のもとに届いたのは、保守派の貴族夫人たちが集まる「お茶会」への招待状だった。

名目は「親睦会」だが、実態は「マナー違反の揚げ足取り大会」であることは明白だった。

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このおっさん、王弟に結婚してほしくないわけ?老害なの?
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