第24話 予算との戦い 〜そのドレス、重すぎます〜
物理法則は、誰にでも平等だ。
どんなに高貴な身分でも、重力には逆らえない。
王宮の特別衣装室。
そこに鎮座していたのは、ドレスという名の「建造物」だった。
「……シルビアさん。これは何ですか?」
「婚礼の儀で着用いただく、正装ドレスです」
「中に人が入るスペースがありますか? 柱か何かですか?」
私は目の前の物体をまじまじと見つめた。
純白の生地は、金糸と銀糸の刺繍で埋め尽くされ、さらに拳大の宝石が無数に縫い付けられている。
布のドレープは、糊とワイヤーでガチガチに固められ、床に置いただけで直立している。
「総重量、約20キログラム。……さあ、ご試着を」
シルビアさんが涼しい顔で促す。
私は一歩後ずさった。
「お断りします」
「……はい?」
「無理です。これを着て10キロ歩く? 頚椎捻挫どころか、圧迫骨折します。」
私は首を横に振った。
前世で米袋を10キロ持ったことがあるが、あれを二つ背負ってマラソンをするようなものだ。
死ぬ。確実に死ぬ。
「甘えるな!」
背後から雷が落ちた。
杖をついたヴァレリウス大公が、憤然と入ってくる。
「その重さは、責任の重さだと言うだろう! ドレスの重みは、国の歴史の重みそのもの! それを拒否するなど、覚悟が足りん証拠だ!」
大公の持論だ。精神論である。
昭和の体育会系上司を彷彿とさせる。
「大公閣下。精神論で物理的な重量は消えません」
私は冷静に反論した。
「もし私が途中で倒れたら? あるいは、重さに足を取られて転倒したら? それこそ王家の恥、世界の笑いものです」
「む……。ならば倒れぬよう鍛えればよい!」
「式は来月です。一ヶ月で20キロの鎧を着こなす筋力をつけることは不可能です。」
話が平行線だ。
この人は「伝統」という色眼鏡をかけているため、物理的なリスクが見えていない。
ならば、攻め手を変えよう。
最強の武器。それは「数字」だ。
「……分かりました。では、試着の前に一つ確認させてください」
私は手を差し出した。
「このドレスの『発注書』と『予算明細』を見せていただけますか?」
大公が怪訝な顔をした。
「は? 金の話か? 下世話な。王家の儀式に予算など関係ない。最高のものを用意させただけだ」
「最高のものが、適正な価格であるかを確認するのも、妻となる者の務めです」
私はシルビアさんに目配せした。
彼女は一瞬驚いたが、すぐに机の引き出しから分厚いファイルを取り出してくれた。
さすが仕事が早い。
私はファイルをめくった。
一ページ目。
『最高級サファイア(大粒)×50個:金貨500枚』。
「……ほう」
二ページ目。
『儀式用刺繍糸(金):金貨300枚』。
私は目を細めた。
前世の経理スキルと、以前培った帝国との貿易知識が、脳内で高速計算を始める。
「大公閣下。……この業者、即刻契約解除をおすすめします」
「何だと? 彼らは建国以来の御用達だぞ」
「カモにされていますよ」
私は明細書の一行を指差した。
「このサファイア。市場価格の三倍です。しかも『最高級』とありますが、加工賃が含まれてこの値段なら、原石の質は中の下でしょう」
「なっ……」
「それに、この刺繍糸。金貨300枚もするなら純金であるべきですが、実物を見る限り、金メッキを施した合金です。……重いだけで、輝きが鈍い」
私はドレスの表面を爪で弾いた。
キン、と軽い金属音がする。
「伝統を盾に、言い値で請求書を送りつけ、中身は粗悪品で重量をごまかす。……これが『歴史の重み』の正体ですか?」
「ば、馬鹿な……!」
大公が青ざめてドレスに駆け寄った。
片眼鏡で刺繍を凝視する。
彼も審美眼はあるはずだ。今まで「御用達だから」と盲信していただけで。
「……本当だ。糸の撚りが甘い……。サファイアも、よく見れば内包物が多い……」
大公の手が震え始めた。
怒りだ。
私に対してではない。
王家の伝統を食い物にしてきた業者への、烈火の如き怒り。
「おのれ……! 儂の目を欺いていたのか……!」
「彼らにとって、貴方は『値段を見ない良い客』だったのでしょうね」
私はファイルパタンと閉じた。
「このドレスは没収。業者には損害賠償請求と出入り禁止を。……よろしいですね?」
「……うむ。……認めざるを得ん」
大公がガックリと肩を落とした。
「ですが、式は迫っています。今から新しいドレスを作る予算も時間も……」
シルビアさんが不安げに言う。
そこは、私の出番だ。
「ありますよ。安くて、軽くて、最高に美しい素材が」
私はニヤリと笑った。
「シルビアさん。先日の、帝国からの贈り物を持ってきてください」
◇
運ばれてきたのは、一本の反物だった。
光沢のある、真珠色の布。
「これは……?」
「東方帝国の特産、『天蚕シルク』です」
先日、ヒルダ様が「掃除機の詫びだ」と言って送ってきたものだ。
「帝国では、飛竜の羽衣として使われる素材です。鋼鉄より強く、刃物を通さない。それでいて……」
私は布をふわりと持ち上げた。
空気を含んで、ゆっくりと舞う。
「羽毛より軽いのです」
「おお……!」
大公が感嘆の声を漏らした。
「美しい……。宝石などなくとも、布そのものが発光しているようだ」
「ええ。これを使えば、ドレスの総重量は2キロ程度に抑えられます。刺繍も最小限で映えるでしょう」
私は畳み掛けた。
「それに、これを使うことには政治的な意味もあります。帝国との同盟成立を、王弟妃の衣装でアピールするのです。『伝統』に『新時代の風』を取り入れた、賢明な王弟妃として……外聞も完璧だと思いませんか?」
「……ぬう」
大公が唸った。
政治的メリット。
外聞。
そして何より、軽量化。
彼はしばらく沈黙した後、重々しく頷いた。
「……よかろう。その案、採用する」
「ありがとうございます」
私は心の中でガッツポーズをした。
勝った。
20キロの拘束具から解放された。
2キロなら、厚手のコートくらいの重さだ。これならまだ歩ける。
「……見事だ、エリアナ」
シルビアさんが、ボソリと言った。
彼女は新しい布を手に取り、その軽さに目を輝かせている。
「実は私も……あの重すぎるドレスの着付けには、毎回腰を痛めておりました。……感謝します」
「お互い様です、シルビアさん。私たちの腰は、国の宝ですから」
私たちは目を見合わせ、小さく笑い合った。
共犯関係の成立だ。
「ただし!」
大公が杖を鳴らした。
「ドレスは軽くなったが、儀式の手順は減らさんぞ! 10キロの行進は予定通り行う! 『聖地巡礼』は、己の足で歩くことに意味があるのだからな!」
「……チッ」
思わず舌打ちが出そうになった。
やはり、物理的な移動距離までは削れなかったか。
だが、ここで引き下がる私ではない。
ドレスの軽量化には成功した。
次は、移動手段の緩和だ。
「……分かりました。では、歩く練習に戻ります」
私は淑やかに礼をした。
図書室に戻った私は、すぐに鍵をかけ、奥の「開かずの書庫」へと向かった。
そこには、300年前の建国当初の資料が眠っているはずだ。
「見ていなさい、古狸……。法律というのは、解釈次第でどうとでもなるものなのよ」
私は埃まみれの古文書の山にダイブした。
探すのはただ一行。
『徒歩でなければならない』という記述を覆す、例外規定。
そして数時間後。
私はそれを見つけ出すことになる。
それは、私の「引きこもり精神」を正当化する、最強の武器だった。




