第20話 そして私は二度寝に戻る
会議室の空気は、湿った重りのように沈殿していた。
王宮の大会議室。
長いテーブルを挟んで、我がルテティア王国と、東方帝国の高官たちが対峙している。
私はクロード様の婚約者という立場で、壁際の椅子に座らされていた。
あくまで「お飾り」として。
(……お腹空いた)
時計を見る。
11時15分。
あと15分で昼食の時間だが、会議が終わる気配は微塵もない。
「ですから! 我が国としては、小麦50000トンの支援を要求しているのです!」
帝国の交渉官が机を叩く。
対する我が国の財務大臣が、脂汗を流しながら首を振る。
「無理です! それだけの量を陸路で運べば、馬車が何台あっても足りない! 山越えの間に腐敗するリスクもある。輸送コストだけで国家予算が吹っ飛びますぞ!」
議論は平行線だ。
帝国は食料不足を解消したい。
ルテティアは支援の意志はあるが、物理的な輸送手段がない。
「……やはり、交渉決裂か」
誰かが呟いた。
空気が凍りつく。
もしここで決裂すれば、これまでのヒルダ様との交流も、狩猟場でのバーベキューも、すべて無駄になる。
そして何より、クロード様が「事後処理」のために数日徹夜することになる。
それは困る。
非常に困る。
私の「クロード様」が不在になるのは、生活の質に関わる重大問題だ。
私はクロード様の背中を見つめた。
彼は眉間に皺を寄せ、手元の書類を見つめている。
そして、ふと私の方を振り返った。
目が合う。
私は小さく頷いた。
やってしまいなさいという合図だ。
クロード様は意を決したように立ち上がった。
「……輸送コストの問題なら、解決策があります」
よく通る声が、会議室の喧騒を断ち切った。
「解決策だと? 宰相殿、魔法で山を消すとでも言うのか?」
帝国の交渉官が鼻で笑う。
クロード様は動じず、一冊の薄い冊子をテーブルに滑らせた。
「魔法ではありません。……『知恵』です」
冊子の表紙には、素っ気ない文字でこう書かれている。
『物流効率化計画書 〜テトリス理論に基づく積載術〜』。
◇
ことの発端は、三日前だった。
「師匠。帝国の馬車は、なぜこうも荷物が乗らないのだ?」
ヒルダ様が図書室でこぼした愚痴だ。
彼女曰く、帝国の補給部隊は、荷崩れを防ぐために荷台に隙間を多く作り、結果として一度に運べる量が少ないという。
私は本棚の整理をしながら答えた。
「隙間があるから崩れるのです。隙間なく詰め込めば、互いが支え合って崩れませんよ」
「なにっ?」
「本の整理と同じです。サイズを規格化し、組み合わせる。……箱を作ればいいのです」
私はメモ用紙にさらさらと図を描いた。
前世の記憶にある「コンテナ輸送」の概念と、テトリスのブロックを組み合わせた図解だ。
四角い木箱に物資を詰め、その木箱をパズルのように荷台に積む。
さらに、《洗浄》魔法の応用で「乾燥」処理を施し、腐敗を防ぐ。
「……これなら、積載量は三倍、保存期間は五倍になります。あと、荷下ろしも楽ですよ」
それを聞いたヒルダ様が目を剥き、クロード様が「これを清書してくれ!」と叫んだのが、このマニュアルの正体だ。
◇
会議室。
冊子を回し読みした帝国の技術官たちの手が、震え始めた。
「こ、これは……!」
「荷物を『規格化』するだと……? その発想はなかった!」
「『乾燥魔法』による真空パック……これなら肉も腐らん!」
「革命だ……! これは物流の革命だ!」
ざわめきが、感嘆の声へと変わっていく。
ガンダルフ侯爵も目を丸くしている。
「これなら……いける! コストは三分の一以下に圧縮できるぞ!」
クロード様が、勝利を確信した笑みを浮かべた。
「いかがですか。この方式を採用することを条件に、支援を行いましょう」
「異議なし! 即刻採用する!」
帝国の交渉官が叫んだ。
そして、ヒルダ様が立ち上がり、バンと机を叩いた。
「決まりだな! 父帝には私が説明する! ……やはり師匠の知恵は、国一つを救う値千金だ!」
彼女がバッと私の方を振り返る。
全員の視線が、壁際の私に集中した。
「えっ」
私は素知らぬ顔で窓の外を見ていたが、逃げられなかった。
「エリアナ嬢……いや、エリアナ殿。貴女がこれを?」
「……趣味の延長です」
私は短く答えた。
嘘ではない。
本棚整理のついでに考えたことだ。
パズルゲーム感覚で。
「素晴らしい……。我が国にも貴女のような人材がいれば……」
帝国の高官が悔しそうに唸る。
クロード様がすかさず私の前に立ちふさがった。
「お断りします。彼女は我が国の至宝であり、私の婚約者ですので。引き抜きは戦争行為とみなしますよ?」
氷の宰相の目が、笑っていなかった。
独占欲丸出しである。
こうして、長きにわたる交渉は、あっけなく決着した。
私の空腹も、限界を迎える前に救われたのだった。
◇
数日後。
嵐のような日々が過ぎ去り、王宮第二図書室には、元の静寂が戻ってきていた。
ヒルダ様は昨日、大量の「お土産」と、新しい「掃除機(今度は暴走しないハンディタイプ)」を置いて帰国した。
去り際に、「また来る! 次こそは師匠から一本取る!」と叫んでいたので、きっとまた嵐を連れてくるだろう。
でも、それは今日ではない。
「……ふぁ」
私は大きな欠伸をした。
午後二時。
窓からは柔らかな春の日差し。
鳥のさえずり。
私の定位置であるソファには、今、先客がいる。
「……よく寝ているな」
クロード様だ。
彼はソファに横になり、私の膝に頭を乗せている。
いわゆる膝枕だ。
外交交渉と事後処理で疲れた彼を、私が充電している最中である。
「クロード様こそ。公務はいいのですか?」
「兄上が『今日は休め』と言ってくれた。……エリアナのおかげで、向こう十年は国境が安定するとなれば、安いものだと」
「それは良かったです」
私は彼のアッシュグレイの髪を指で梳いた。
サラサラとしていて、手触りがいい。
「……ねえ、エリアナ」
「はい」
「私は、幸せだ」
彼は目を閉じたまま、呟いた。
「君に出会えてよかった。……君が『頑張らない』を選んでくれて、本当によかった」
もし私が、あの時「見返してやる!」と奮起して、完璧な令嬢を目指していたら。
きっと私たちは、互いに仮面を被ったまま、すれ違っていただろう。
私が図書室に逃げ込み、彼がそこに転がり込んだからこそ、この穏やかな時間が生まれたのだ。
「……私もですよ」
私は微笑んだ。
窓の外を見る。
青い空。白い雲。
成り上がり?
復讐?
そんなものは、この心地よい昼寝の前では、塵のように軽い。
私はこれからも、この場所で生きていく。
愛する人と、美味しいお茶と、読みかけの本と共に。
世界がどれほど騒がしくなろうとも、ここだけは私の聖域だ。
「……おやすみなさい、クロード」
「ああ。おやすみ、エリアナ」
私たちは同時に目を閉じた。
二度寝の誘惑には、勝てない。
そして、勝つ必要もないのだ。
きっと明日も、明後日も。
この図書室の扉は、疲れた誰かのために、そっと開かれていることだろう。
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