表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された翌日、私は王宮の墓場に就職して定時退社を選んだ  作者: 九葉(くずは)
第2章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/32

第15話 皇女様、図書室で「禅」の心を知る

「……おはようございます、師匠!」


朝九時。

私が図書室の鍵を開けると同時に、元気ハツラツな挨拶が飛んでくる。

扉の前で直立不動で待っていたのは、赤髪の皇女、ヒルダ様だ。


「……おはようございます、ヒルダ様。開館と同時ですね」


「うむ! 武人の朝は早い。師匠をお待たせするわけにはいかんからな!」


彼女は爽やかに笑い、私の荷物をひったくるように持ってくれた。

完全に下っ端の動きである。

一国の皇女に荷物を持たせるなど不敬もいいところだが、彼女が「これは修行だ」と言って聞かないので、甘えることにしている。


「では、今日も修練を始めましょう!」


「はいはい。まずは……お茶にしましょうか」


私は欠伸を噛み殺しながら、いつものソファへ向かった。


          ◇


ここ数日、私の職場環境は劇的に変化していた。


静寂な空間に、異物が混入したとも言える。

ヒルダ様は毎日通い詰め、私の「サボり」を観察し続けているのだ。


私がソファで紅茶を飲み、窓の外をぼんやり眺めていると――。


「……なるほど。視線を一点に集中させず、全体を俯瞰する。これが『明鏡止水』の境地か」


ヒルダ様が隣で頷き、真剣な顔でメモを取る。


私が面倒な書類仕事を後回しにして、編み物を始めると――。


「単純作業の反復による精神統一。指先の感覚を研ぎ澄まし、雑念を払う……。深い!」


ヒルダ様が感動して、自分も編み棒を握ろうとする。


……やりづらい。

非常にやりづらい。

私の怠惰な行動のすべてに、勝手に高尚な意味を見出されてしまう。

否定しても「謙遜なさるな!」と返されるので、もう諦めることにした。


「……師匠。今日の修行メニューは?」


紅茶を飲み終えたヒルダ様が、キラキラした目で聞いてくる。

彼女は体を動かしたくてうずうずしているようだ。

ちょうどいい。今日は少し力仕事がある。


「そうですね。今日は『知の重み』を知る修行をしましょうか」


私は適当なタイトルをつけた。


「あそこの棚にある『王国立法全書・全五〇巻』を、向こうの棚へ移動させたいのです。……手を使わず、気合で運べればベストですが」


「なっ、気合で……!?」


「無理なら手で構いません」


「押忍! やってみる!」


ヒルダ様は腕まくりをした。

あの全書は一冊がレンガのように重く、五〇巻ともなれば成人男性でも数人がかりの仕事だ。

私がやれば腰を痛めるのが確定している。


しかし。


「ふんッ!!」


ヒルダ様は五〇巻すべてを一度に抱え上げた。

タワーのように積み上げられた本が、彼女の腕の中で安定している。

バランス感覚と筋力が異常だ。


「ど、どこへ運べばいい!?」


「あちらの空いている棚へ。……静かに、丁寧に置いてくださいね。音を立てたら失敗です」


「御意!」


彼女は忍び足で移動し、驚くほど繊細な手つきで本を棚に収めた。

ドサッ、という音もしない。


「……完了した! どうだ、師匠!」


彼女が額の汗を拭いながら振り返る。

私は心からの拍手を送った。


「素晴らしいです。完璧な所作でした」


「おお……! ただ重いものを持つだけでなく、制御することの難しさ……。筋肉との対話ができた気がする!」


彼女は自分の上腕二頭筋を見つめて感動している。

幸せな人だ。

でも、おかげで私の腰は守られた。

これぞWin-Winの関係である。


          ◇


労働の後は、報酬が必要だ。


「休憩にしましょう」


私はバスケットから、ミナさん特製の「チョコチップクッキー」を取り出した。

大判で、チョコがごろごろ入っている庶民的なお菓子だ。


「どうぞ。糖分補給も修行のうちです」


「かたじけない」


ヒルダ様はクッキーを手に取り、まじまじと見つめた。

そして、一口かじる。


ザクッ。


「……ッ!!」


彼女の目がカッと見開かれた。


「なんだこれは……! 甘い! そして力が湧いてくる!」


「下町のパン屋のものです。貴族の食べるような上品な味ではありませんが」


「いや、美味い! 帝国の糧食は硬いパンと干し肉ばかりだ。こんなに心が満たされる兵糧は初めてだ!」


彼女は猛烈な勢いでクッキーを食べ始めた。

リスのように頬を膨らませる姿は、年相応の少女に見えなくもない。


「……師匠」


三枚目を食べ終えたところで、彼女が真剣な顔になった。


「私は今まで、力こそが正義だと思っていた。弱肉強食こそが世界の理だと」


「まあ、自然界ではそうですね」


「だが、ここでは違う。貴女は剣を持たず、魔法も攻撃には使わない。なのに、誰よりも強く、そして……心地よい空間を作っている」


彼女は図書室を見渡した。

西日が差し込み、埃ひとつない清浄な空気。

整然と並んだ本たち。


「『強さ』とは、敵を倒すことだけではないのかもしれん。……場を整え、人を癒やすこともまた、強さなのか」


「……買いかぶりすぎですよ」


私は苦笑した。

私はただ、自分が快適に過ごしたいだけだ。

そのために環境を整えているに過ぎない。


「いいえ。私は貴女から学びたい。……帝国のやり方だけが、正解ではないと知るために」


彼女の瞳は澄んでいた。

最初は脳筋の戦闘狂かと思ったけれど、彼女なりに国のことを考え、視野を広げようとしているのだろう。

素直で、実直な人だ。


「……まあ、気が済むまで通えばいいですよ。人手があるのは助かりますし」


「感謝する!」


ヒルダ様は破顔し、残りのクッキーを口に放り込んだ。


「そうだ、師匠! この御礼に、私からも良いものを提供したい!」


「良いもの?」


「うむ! 師匠は掃除がお好きだろう? だが、魔法を使うのも疲れるはずだ。そこで、本国から取り寄せた『最新鋭の魔導具』を献上したい!」


彼女は自信満々に胸を叩いた。


「帝国の技術部が総力を挙げて開発した、自律型清掃ゴーレムだ! これがあれば、師匠は指一本動かさずに部屋をピカピカにできる!」


「へえ、それは便利そうですね」


私は素直に興味を持った。

全自動掃除機みたいなものだろうか。

それがあれば、私の《洗浄》魔法の手間も省ける。

まさに怠惰のためのアイテムだ。


「明日には届く手はずだ。楽しみにしていてくれ!」


「期待しています」


私は微笑んだ。

便利な道具は大歓迎だ。

帝国が誇る技術力とやら、見せてもらおうじゃないか。


……しかし。

私は忘れていたのだ。

東方帝国という国が、「出力こそ正義」「デカいことはいいことだ」というマッチョな思想で作られた国であることを。


そして翌日。

届けられた「それ」を見た瞬間、私は自分の甘さを呪うことになる。


それは、どう見ても、小型戦車だったのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ