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婚約破棄された翌日、私は王宮の墓場に就職して定時退社を選んだ  作者: 九葉(くずは)
第2章

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第11話 婚約しても、私は図書室から出ません

第2章スタートです!!

楽しんでもらえたら幸いです!!

平和とは、勝ち取るものではなく、死守するものだ。


婚約発表から三日が経った。

王都はまだ、その話題で持ちきりらしい。

『氷の宰相』と呼ばれたクロード様が、まさか元婚約破棄された令嬢を選ぶなんて。

そんな噂話が風に乗って、この王宮の北外れにある塔まで届いてくる。


私は窓の隙間から、そっと外を覗いた。

普段なら鳥と庭師くらいしか通らない小道に、今日は色とりどりのドレスや騎士服が見える。


「……増えてる」


昨日までは三人だった野次馬が、今日は10人に増えている。

彼らは遠巻きに塔を眺め、ヒソヒソと何かを話している。

動物園のパンダになった気分だ。

もっとも、パンダのように愛想を振りまくつもりは毛頭ないけれど。


私はカーテンをピシャリと閉めた。


「ミナさん、今日のランチの買い出しは中止にしましょう。備蓄の乾パンで凌ぎます」


私は心の中で、下町のアパートにいる大家さんに詫びた。

外に出れば、囲まれる。

質問攻めにされる。

そして、「王弟殿下との馴れ初めは?」などと聞かれ、適当に答えた言葉が翌日の新聞で歪曲されて掲載される。

そんな未来が容易に想像できる。


私は机に向かい、筆を執った。

そして、達筆な文字で一枚の張り紙を書いた。


『当図書室は、資料整理のため完全予約制となりました。

 なお、現在予約は受け付けておりません。

 御用の方は、扉の前で回れ右をしてお帰りください』


これを入り口の扉に貼る。

これで完璧だ。

私は満足げに頷き、お湯を沸かした。

籠城戦の始まりである。


          ◇


午後二時。

厳重に施錠された扉が、規則正しく三回ノックされた。

合言葉代わりのリズムだ。


私は鍵を開けた。

隙間から入ってきたのは、いつものクマさん――ではなく、私の婚約者となったクロード様だ。

今日もまた、少し着崩した騎士服姿である。


「……すごい人だかりだったよ」


彼は苦笑しながら、差し入れの紙袋を渡してくれた。

中からは、焼きたてのクロワッサンの香りがする。


「ありがとうございます。バリケードを突破しての補給、感謝します」


「君が餓死していないか心配でね。……張り紙、見たよ。『回れ右』というのは、少々辛辣じゃないか?」


「親切心です。待っていても無駄だと早めに教えてあげるのが、互いのためですから」


私はポットから紅茶を注いだ。

湯気が立ち上る。

この香りだけが、私の心を落ち着かせてくれる。


クロード様はいつものソファに深く座り込み、ふぅ、と息を吐いた。

婚約しても、私たちの過ごし方は変わらない。

彼は公務の合間の休憩に。

私は管理業務(という名の読書)の合間のティータイムに。

ただ、以前と違うのは、彼が私の隣に座り、自然と手を握ってくることくらいだ。


「……エリアナ。実は、相談があるんだ」


彼が私の指先を弄びながら言った。

嫌な予感がする。

その口調は、大抵「面倒な案件」を持ち込む時のものだ。


「却下します」


「まだ何も言っていない」


「どうせ、『夜会に出ろ』とか『茶会を開け』とか、そういう話でしょう? 契約書をお忘れですか? 私の勤務時間は一七時まで。時間外労働は致しません」


私は断固として言った。

ここで譲歩すれば、なし崩し的に公務が増える。

前世のブラック企業で学んだ教訓だ。

『一度のサービス残業は、百回の残業の呼び水になる』。


クロード様は困ったように眉を下げた。


「いや、公務ではないんだ。……兄上が、君に会いたがっていてね」


「兄上……陛下ですか?」


「ああ。私の婚約者となった女性がどんな人物か、どうしても一目見たいと。……昨夜から、執務室で駄々をこねられていて、仕事にならないんだ」


国王陛下。

ルイ・ルテティア。

噂では、豪快で武闘派、そして弟であるクロード様を溺愛していると聞く。


「……謁見、ということですか」


「堅苦しい場ではない。内輪の茶会だ。三人で、少し話すだけでいい」


少し話すだけ。

その言葉に騙されてはいけない。

相手は一国の王だ。

「少し」の会話の中に、どれほどの政治的意図と品定めの視線が含まれているか。

緊張で胃に穴が空く未来が見える。

そして何より、準備が面倒だ。

ドレスを着て、髪を結い上げ、化粧をして、王宮のメイン棟まで移動する。

往復と準備で三時間はかかる。


「お断りします」


私はクロワッサンを一口かじりながら答えた。


「なっ……国王の呼び出しだぞ?」


「契約書の第三条。『王族としての儀式への参加免除』。これには、私的な家族の集まりも含まれると解釈しております」


「あれは公式行事の話だろう? 兄上は家族だ」


「家族だからこそ、距離感は大切です。……それに、私、今はとても悲しいのです」


「悲しい?」


クロード様が目を丸くした。

私は机の上に置いてある、分厚い本を指差した。


「昨日、この『西方大陸年代記・全二十巻』を読み終えてしまったのです。……一ヶ月かけて旅してきた物語が、終わってしまった。この喪失感、分かりますか?」


「……は?」


「心に穴が空いているのです。物語の登場人物たちとの別れを惜しみ、余韻に浸る時間が必要です。……いわば、喪中です」


「喪中……」


クロード様が絶句した。

呆れているのが分かる。

だが、私は本気だ。

素晴らしい物語の読了後は、現実に戻るのにリハビリ期間が必要なのだ。

そんな繊細な時期に、筋肉質と噂される国王陛下と対面などしたら、情緒が乱れてしまう。


「というわけで、陛下にはよろしくお伝えください。『今は心の整理がつかないので、またの機会に』と」


私はにっこりと微笑んだ。

クロード様はしばらく天井を仰ぎ、それから深いため息をついた。


「……君らしいな。普通なら、不敬罪で首が飛ぶところだ」


「貴方が守ってくださるのでしょう? 私の平穏を」


「ああ、誓ったからな。……分かった。兄上には私が上手く言っておく」


彼は私の髪を一撫でし、諦めたように笑った。

その笑顔に、私は少しだけ罪悪感を覚えた。

……少しだけ、だ。


          ◇


しかし、国王陛下は諦めの悪い方だったらしい。


翌日の午前中。

一通の封書が届いた。

差出人は王室侍従長。

中身は、金箔の押された正式な招待状だった。


『親愛なる義妹、エリアナ嬢へ。

 明日の午後、白の離宮にて茶会を催す。

 最高の菓子を用意して待つ。

 来ない場合は、こちらから迎えに行く』


最後の一文が、もはや脅迫である。

迎えに行く、というのは、衛兵に担がれて連行されるという意味だろうか。

それとも、王自らこの図書室に突撃してくるという意味だろうか。

どちらにせよ、私の静寂が脅かされることに変わりはない。


私は招待状を机に置き、腕組みをした。


行くべきか。

いや、ここで行けば「押せば来る」と思われてしまう。

私の「断固たる拒絶」の姿勢を見せつけなければ、これからの結婚生活はずるずると公務に侵食されていく。


私はペンを執った。

返信用のカードに、丁寧に、しかし容赦なく文字を綴る。


『国王陛下。

 過分なご招待、恐悦至極に存じます。

 しかしながら、昨日の喪失感はいまだ癒えず、涙で枕を濡らす日々を送っております。

 腫れ上がった瞼で陛下の御尊顔を拝見することは、失礼にあたると存じます。

 つきましては、誠に残念ながら欠席させていただきます。

 追伸:お菓子は郵送していただければ、涙と共に美味しく頂戴いたします』


これでよし。

「喪中(読書ロス)」という設定を貫き通す。

一貫性は信頼を生むはずだ。


私はこの手紙を、図書室に来た使いの侍従に渡した。

侍従は手紙の内容を確認し、顔面を蒼白にさせていたが、私は知らんぷりをした。


「……エリアナ様。本当によろしいのですか? これは、陛下への……」


「事実ですから。嘘をついて参上する方が、陛下に対して不誠実でしょう?」


「は、はあ……」


侍従は震える手で手紙を受け取り、逃げるように去っていった。


私は扉を閉め、鍵をかけた。

カチャリ、という音が心地よい。


これで、少なくとも明日は静かに過ごせるはずだ。

陛下もまさか、こんなふざけた理由で断られるとは思っていないだろう。

怒るなら怒ればいい。

その時は、クロード様に土下座して守ってもらうだけだ。


私は新しい本――『東方帝国見聞録』を棚から取り出し、ソファに寝転がった。


「さて、次の世界へ旅立ちましょうか」


ページをめくる。

紙の匂い。

活字の羅列。

これこそが、私の求めていた平穏だ。


……まさか、その手紙を読んだ国王陛下が、「面白い! これほど肝の据わった令嬢は初めてだ!」と大爆笑し、興味を倍増させてしまうとは、この時の私は露知らず。


そして、私の「来ないなら行く」という予感が、最悪の形で的中することになる。

王がやってくるのだ。この狭い図書室に。

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― 新着の感想 ―
 王太子の婚約者だったのに、なぜ国王と会ったことがないのか?  その設定は、いくら何でも無理がある。  この図書塔でクロードと会ったときだって、以前から何度も会っていたはずだし、王弟で宰相だってことも…
皆様仰ってますが将来に王太子妃として夜会にも参加してたのに国王が会ったことないはずないですよね??? お相手を隣国の王弟にしておけば良かったですね…
息子の婚約者だったのに、会ったことが無かったのが驚きです。夜会も出て、公務もやっていたのに。
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