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婚約破棄された翌日、私は王宮の墓場に就職して定時退社を選んだ  作者: 九葉(くずは)
第1章

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10/31

第10話 私はこれからも、王都でゆるやかに生きていく

私の日常が戻ってきた。

いや、以前よりも少しだけ「アップグレード」された日常が。


「……体調は、もうよろしいのですか?」


「ああ。おかげさまで、全快だ」


いつものソファ。

いつもの午後二時。

クロード様は、以前よりも血色の良い顔で紅茶を飲んでいる。

目の下のクマは完全に消え、肌には艶があった。

どうやら、私の「リンゴ療法」と「強制睡眠」が効いたらしい。


「それは何よりです。……ですが、病み上がりに公務を詰め込むのは感心しませんよ」


私は彼の膝の上にある書類の束を指差した。

彼は苦笑して、書類を脇にどけた。


「これは公務ではない。……私の『私用』だ」


「私用?」


「ああ。君に、渡したいものがあってね」


彼は懐から、小さなベルベットの箱を取り出した。

パカッ、と蓋が開く。


そこには、私の瞳と同じ色をした、深い青色の宝石が輝いていた。

シンプルだが、どう見ても家が一軒買える輝きだ。


私は瞬きをした。

紅茶のカップを置く。

これは、あれだ。

人生の分岐点というやつだ。


「エリアナ・ベルンシュタイン」


彼はソファから立ち上がり、私の前に片膝を突いた。

まるで物語の騎士のように。

いや、彼は本物の王子様なのだが。


「私と、結婚してほしい」


ストレートな言葉だった。

飾り気も、遠回しな比喩もない。


「君を愛している。君がいないと、私は息が詰まる。……君の隣で、生きていきたいんだ」


その瞳は真剣そのもので、熱っぽい。

先日、熱に浮かされて手を握られた時と同じ。

いや、あの時よりも確かな意志を感じる。


普通なら、ここで涙を流して「はい、喜んで」と言う場面だろう。

だが、私はエリアナだ。

元社畜で、現・定時退社至上主義者だ。

感情だけで契約書にサインするような真似はしない。


私は一つ、深呼吸をした。

そして、彼を真っ直ぐに見返した。


「……条件があります」


「条件?」


クロード様はきょとんとした。

私は指を三本立てた。

これは、私の人生をかけた労使交渉だ。


「一つ。私は『王弟妃』という役職には就きますが、残業は一切いたしません。公務は朝一〇時から夕方一七時まで。それ以降は、いかなる夜会も茶会も欠席させていただきます」


クロード様は目を丸くし、それからふっと笑った。


「……いいだろう。夜の時間は、私と二人で過ごすために使ってくれ」


「二つ。週末は完全にオフとします。公務はもちろん、王族としての儀式への参加も免除してください。私は二度寝と、ミナさんのパンを食べるために生きていますから」


「分かった。私も一緒に寝ていいなら、喜んで」


「三つ。これが一番重要です」


私は身を乗り出した。


「私に、『国を良くしよう』とか『国民のために』という高尚な期待をしないでください。私は、自分が楽をするためにしか動きません。結果的に国が良くなることはあっても、それはあくまで『ついで』です」


聖女のように崇められるのは御免だ。

「賢者」と呼ばれるのも、もう懲り懲りだ。

私はただの、怠惰な女でありたい。


クロード様は、しばらく私を見つめていた。

そして、堪えきれないように吹き出した。


「くくっ……ははは! ああ、最高だ」


彼は肩を震わせて笑った。


「君は本当にブレないな。……だからこそ、私は君を選んだんだ」


彼は私の手を取り、指輪を薬指に滑り込ませた。

サイズはぴったりだった。


「その条件、すべて呑もう。君には、私の隣で、ただ笑って座っていてくれればいい。……面倒な仕事は、すべて私が片付けるから」


「言いましたね? 言質げんちは取りましたよ?」


「ああ。王族の名にかけて誓うよ。……私の、愛しい『怠け者』の女神」


彼は私の手の甲に口づけた。

その唇の温かさに、私の頬が熱くなる。

心臓が、早鐘を打っている。


「……よろしくお願いします、旦那様」


私は小さく呟いた。

悔しいけれど、嬉しかった。

この人と一緒なら、きっと退屈で忙しい王宮生活も、悪くないものになる気がしたから。


          ◇


それから、いくつかの「事後処理」があった。


まず、元婚約者であるカイル王太子の処遇だ。

彼は廃嫡こそ免れたものの、当分の間、公務への決定権をすべて凍結された。

そして、「王としての資質」を一から学び直すため、王立学園の初等科からやり直すことになったらしい。


「なぜ余が、一〇歳の子供と机を並べねばならんのだ……!」


そう嘆いていたらしいが、自業自得だ。

マリエル様も一緒になって勉強しているそうで、彼女の方が意外と成績が良いという噂も聞く。

まあ、二人がどうなろうと、私にはもう関係のないことだ。


そして、私とクロード様の婚約発表。

王宮は大騒ぎになったが、私の「定時退社宣言」が周知されると、意外にも好意的に受け入れられた。


『あのクロード殿下が選んだ方だ。きっと深遠な理由があるに違いない』

『無理をしないという姿勢が、新しい時代の象徴だ』


……相変わらず、過大評価されている気がする。

でも、誰も私に仕事を押し付けてこなくなったので、結果オーライだ。


          ◇


そして、数ヶ月後。


季節は春になっていた。

第二図書室の窓からは、桜色の花弁が舞い込んでくる。


「……んぅ……」


私は心地よいまどろみの中で目を覚ました。

背中には柔らかなクッション……ではなく、温かい体温を感じる。


「起きたか?」


頭上から、優しい声が降ってきた。

見上げると、クロード様が本を読みながら、私の頭を撫でていた。

そう、私は今、夫となった彼の膝枕で昼寝をしていたのだ。


「……今、何時ですか?」


「一四時だ。まだ寝ていていいぞ」


「……はい」


私は再び目を閉じた。

彼の指が、私の髪を梳く感触が心地よい。


この部屋は、相変わらず静かだ。

たまに学生や学者が訪れるようになったが、彼らは入り口で一礼し、音もなく本を探して帰っていく。

ここが「賢者エリアナの聖域」として、勝手に神聖視されているからだ。

おかげで、私の平穏は守られている。


「……ねえ、クロード」


「ん?」


「私、今、すごく幸せです」


ふと、口から出た言葉。

前世で過労死した私。

婚約破棄されて、絶望したふりをして家出した私。


色々なことがあったけれど。

結局、私は「成り上がる」ことなく、ただ自分の心地よい場所を守り抜いた。

その結果が、これだ。


愛する人の腕の中。

静かな午後。

美味しいお茶の香り。


努力して掴み取る栄光も素晴らしいかもしれない。

でも、努力しないで、手の届く範囲の幸せを大切にする生き方も、悪くない。


「……私もだ」


クロード様が、本を置いて私を抱きしめた。

その腕の力強さに、私は身を委ねた。


「君のおかげで、私も息ができる。……愛しているよ、エリアナ」


「私もです。……でも、足が痺れるので、そろそろ起きてもいいですか?」


「……君らしいな」


彼は笑い、私の額にキスをした。


窓の外では、小鳥がさえずっている。

明日のことは分からない。

また書類がなくなるかもしれないし、カイル様が騒ぎを起こすかもしれない。


でも、大丈夫。

私には「定時」がある。

そして、隣には一緒にサボってくれる、最強のパートナーがいるのだから。


私は大きく伸びをして、彼に向かって微笑んだ。


「さて、お茶にしましょうか。今日はミナさんの新作タルトがありますよ」


「それは楽しみだ。……半分こ、だろう?」


「ええ。半分こです」


幸せも、美味しいものも、苦労も。

これからは全部、半分こ。


私はこれからも、この王都で、私らしく、ゆるやかに生きていく。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!


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― 新着の感想 ―
面白かったです。 エリアナの立ち位置がぶれずにいるのが素敵。 エリアナのためにより頑張りすぎそうな感じのクロードさんですが、いざというときにはしっかり休ませるのでしょうね。 二つほど疑問が。 エリアナ…
そーいや修道院に送った娘が王弟妃になってしまったパッパ出てきてないなぁ。まぁよっぽどの恥さらしじゃないと出てこれんか
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